ドクター転職ショートストーリー

肩書きのない世界へ(下)

2010年4月1日 コンサルタントM

最初の壁は、55歳という年齢。ほとんどの病院では院長や部長の年齢がA先生と同じくらいか年下で、30歳代の若いドクターを求めていた。整形外科という比較的縦社会の診療科だけに、部長より年上ではやり難いという病院側の考えだ。
第2の壁は『准教授』の肩書き。私は先生の経歴の『准教授』の肩書きを伏せ、人柄を見てもらう事を優先にした。
第3の壁は先生から一つだけ出された条件『院長がB大学出身でない事』。これは想像していたより遥かに苦労をした。B大学出身の病院長はものすごく多い。本当にビックリしたが、こればかりはどうにもならない。
第4の壁はオペの術式。整形のオペは医局によってかなり術式が異なるので何処でも良いというわけにはいかない。
例えば、私がうっかり相談をしてしまった総合病院は先生のご自宅から徒歩5分で、部長として迎えたいと求められたが、院長がB大学出身だった。
また、先生のご自宅から電車で10分の公立病院は雰囲気も良く整形外科の研修医が多いので「指導医を探してほしい」という依頼に期待をしたが、医局が違うのでオペの指導は無理と言う事で話が流れた。

A先生と最初にお会いしてから1ヵ月半後、やっと面接にお連れしたい病院が見つかった。150床ほどのC病院は、建物は少し古いが先生のご自宅から電車で約30分横須賀方面へ。下り電車なので混雑は避けられる。院長を含む常勤のドクター4人が一生懸命に病院を盛り立てていて雰囲気も良く、看護師さん達の感じがとても良かった。二次救急ではあるが設備が古いので、あまりに重症な患者さんは救急車も運んでこないとのこと。オペも多すぎず、忙しさの具合もちょうど良いと思い期待をした。准教授の肩書きを隠さない履歴書を出し面接を気持ち良く終えて、A先生も病院の常勤の先生方もお互いに「一緒に働きたい」と言われ、とても嬉しく安心した。後は勤務条件の交渉のみ。
C病院の就業条件は週5日勤務・当直月2回。理事会で話し合われ決まったA先生の年俸は1800万円。仕事量から算出すると妥当である。
A先生の希望は週4.5日勤務・当直なし。あくまでも希望だが年俸2000万円。
数度にわたる交渉の結果、先生の希望は全て通った。
しかし、A先生がなかなかその気にならない。A先生は「他の先生方が週5日勤務に月2回の当直をして一生懸命に病院を盛り立てようとしているのが凄くよく分かる。そこに少し楽をしたいと思っている自分が入って、土曜日に半日で帰ったり、当直をしなかったりするのが心苦しいんだよ・・・」とおっしゃった。
なるほど、私が勝手に盛り上がってしまっていた事に反省をした。結果苦労して交渉したものの入職には至らなかった。

数日後、新規でD整形外科病院から求人依頼があり、住所を見てピンときた。市は跨ぐがA先生の自宅から自転車なら15分くらいの距離。幸いな事にA先生はスポーツマン。自転車通勤を薦めてみようなどと考えながら、即日病院へ向った。
100床未満の新しいD整形外科病院は、いかにも新設病院らしく洗練されたデザインで、何よりもオペ室が素晴らしかった。院長をはじめ常勤医師3人は全員30代の整形外科医、隣でクリニックを開院しているD整形外科病院の院長のお父様も整形外科医。当然、オペ室は整形外科医が使いやすい最新機器が揃えられ、贅沢なオペ室になっている。オペ件数はまだ少なく、外来も予約のみで多くはない。仕事は病棟管理と時々ある手術のみ。A先生の希望にピッタリあてはまる。
今回は、先に条件交渉を済ませ、週4.5日1900万円を確保した。先生を必ず面接にご案内する事を約束しD整形外科病院を後にした。私はA先生に一刻も早くD整形外科病院を見せたくて帰り道その場で電話をかけ、次の週に面接を設定した。
 面接当日、思った通りA先生はあのオペ室に眼を輝かせ、35歳の院長もA先生を頼りにしたいと言ってくれた。
A先生は自転車通勤にも賛同してくれ、勤務条件にも納得。返事を聞くまではさすがに気が気ではなかったが、1週間程で了解を得られた。

入職され半年が経った今もA先生は自転車通勤をしている。
今年の夏、ご家族で念願の海外旅行に行かれるそうである。

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