Dr.中川泰一の医者が知らない医療の話(毎月10日掲載)
中川 泰一 院長

中川 泰一 院長

1988年
関西医科大学卒業
1995年
関西医科大学大学院博士課程修了
1995年
関西医科大学附属病院勤務
2006年
ときわ病院院長就任
2016年
現職
2017年10月号
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がん治療の現状(1)

 コラムを依頼された。どうやら医療関係のネタ話が豊富と思われているらしい。色々と興味深い話はあるが、最初は少々まともな話からしていこうと思う。

 まず、医師としての私の専門分野は「癌」と「医療情報」である。大学で肝臓癌に電極を刺して焼灼する「経皮的マイクロウエーブ焼灼術」という治療法の開発に携わっていた。学会内で各大学が提案してくる治療法の中から、優位性が認められ、保険収載されるまでをつぶさに経験してきた。近年は、名人芸の必要なこの治療より、誰でも広範囲を焼灼できる「ラジオ波」が主流になっている。

 患者さんが亡くなって、その病理組織を得るために病理学教室が担当する「病理解剖」に潜り込んで必要部位の組織(癌と正常部の境界は特に大事)を優先的に切り出してくるのも臨床研究では大事な仕事だ。もちろん、病理の知識が必要なだけでなく、病理教室の先生方とも仲良くしてないと、勝手に検体を採らせてもらうことは出来ない。この辺は、大学などで「科」の壁を実感されてる方にはわかっていただけると思う。

 そんなわけで数千例の肝臓癌患者さんを診てきた。一旦「完治」したとしても多くの方が、いずれ再発して最後は亡くなってしまう。長年入退院を繰り返し、顔見知りの患者さんが亡くなるのは正直つらい。検体が欲しい症例の患者さんが、危篤と聞いてから亡くなるのを何日か待ち構えていて、いざとなると解剖室(ゼク部屋)へ飛んでいかなくてはならない。病理解剖で臓器が切り出されてしまうと、お目当の部位が入手できないからだ。凍結保存用の液体窒素の入ったポットを持ってゼク部屋へ向かうのはなんとも気の重い作業だった。大学では主治医は出向など出入りが激しいので、一人の患者さんと長年付き合うのは、私のような治療グループの医師達だ。

 当時は、目の前の業務をこなすので精一杯で、「これが今の医学の限界だ」ぐらいにしか思っていなかった。ただ、なぜ再発する人とそうでない人がいるのか? そもそも、なぜ発癌するのか?

 肝臓癌については、C型肝炎の発見でなんとなく納得してしまっていたし、当時はp53などの癌抑制遺伝子などが発見され、遺伝子レベルでの発癌機序の解明が進むと思われていた。まあ、20年以上前の話だけど。

* * * * * * * *

 前置きが長くなったが、そんなわけで癌治療の話をしようと思う。現在、いわゆる標準医療以外は医療にあらず、「たとえ他に治療法がなくとも、標準医療以外の治療を受けるくらいならホスピスへ行け!(つまり、黙って死になさいということ)」という「標準治療絶対派」と主に、抗癌剤を否定し、今の医療(標準医療)が患者を殺しているとして、「癌と戦うな!」という「自然治癒派」という極端な論法がマスコミなどにもてはやされている。極端な理論ほど素人受けしやすいのは世の常である。なんかおかしくないか?

 念のため、私のスタンスは臨床医、すなわち「目の前の患者さん」を助けるのが最大の目標である。多くの先生方もそうだと思う。ミソは「目の前」と言う所。先述した通り私は標準治療派であるが、標準治療だけでは助からない方々が多々居る。当たり前だ。ただ、そこで「仕方がない」と思うのか「何か手はないか?」と思うかの違いだと思う。

 「標準治療」ということが盛んに言われだしたのは、20年ほど前の事と思う。当時は、各先生方がそれぞれの経験に基づいて治療方針を決めておられた。現に、私の携わっていた肝臓癌の局所治療法は、外科の先生方とよく論争の種になっていた。我々が「残存肝機能がより保てるから、再発しても再治療できる!」というと「ICG40%でもまだ切れる!」と仰った先生がいた。これは肝臓学会で有名な先生の発言だったが、「先生は切れても、普通の外科医では無理でしょう」と思ったものだ。患者さんは、同じ疾患でも年齢や体の状態、さらに経済事情などバラバラである。医者も技量の差がある。専門分野に引っ張られることもある。先の内科と外科のように。 しかしこれでは埒があかないので「基準となる治療方法を決めましょう」となって、各分野で「標準治療」が決められていった。ただ、これはあくまで「基準」であり「絶対」ではない。理由は先ほど述べた。「癌拠点病院ですら標準治療の実施率が低い」などと騒いでいる人がいるが、当たり前だ。百戦錬磨の先生方である。患者さん個々の状態に合わせて「基準」を調整するからだ。

 そして、標準治療が導入された理由はもう一つある。最近あまり言う人がいないのであえて書くが、医療費削減のため包括評価制度(DPC制度)を導入することになった。癌治療などは特に、出来高払制では医療費が高騰するからだ。そこで、一定の基準である「標準治療」を決める必要があった。つまり、疾患ごとに支払われる保険料は患者さんの状態などにかかわらず、一定に決められ、「標準」より安く治療すれば病院の利益になり、高く治療すると損が出るという仕組みだ。

 2000年頃、大学情報センターで電子カルテの開発導入に携わっていた頃、この「DPC」が大問題になっていた。システム的には簡単になるのだが、術後の経過など患者さんごとの差が激しいのに、全てを一緒とみなしてしまうこの制度には非常に違和感を覚えた。私を含む、医師達は皆反対だった。まあ、厚労省が決めたことだから、我々が反対した所で「ゴマメの歯ぎしり」だけどね。 今となっては、「国家財政」と言う見地からすると仕方ないのかもしれないとは思うが。

 この当時は「医薬分業」なども導入され、医療の大改革期だった。こちらも、医療費削減目的だったが、最近再び「院内処方」に戻ったことからも、明らかに失敗だった。結局、調剤薬局が儲けて、病院が利益を削られ、患者さんは不便になったのと自己負担が増しただけだった。

 標準治療などもこの観点から見ると色々言いたいこともあるが、話が逸れるのでまたの機会に。ただ、単に医学的な目的で導入された訳でないことだけは覚えておいて欲しい。

(11月号に続く)

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