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川崎病院

東京品川病院

 東京都品川区東大井は第一京浜、海岸通り、池上通りが通り、JR京浜東北線、東急大井町線の大井町駅、京急本線の立会川駅、鮫洲駅もあるなど、交通の要所である。また、大井公園には史跡も多く、観光スポットとなっている。
 東京品川病院は2018年4月1日に東芝病院の建物、職員、患者さんを引き継いで、新しい体制で開院した。新しい体制を築いたのは医療法人社団緑野会である。緑野会が属するカマチグループは現在、全国で8つの急性期病院、14の回復期リハビリテーション病院、7つの学校、2つのクリニック、1つの助産院を運営しているが、さらに東京品川病院が加わった。創設者の蒲池真澄医師の「助かる命を助けたい」との思いを引き継ぎ、東京品川病院の方針は「断らない医療」である。
 今回は東京品川病院の瓜生田曜造院長にお話を伺った。


瓜生田 曜造 院長

瓜生田 曜造 院長 プロフィール

1957年に兵庫県で生まれる。1982年に防衛医科大学校を卒業後、海上自衛隊幹部候補生学校に入学し、初任実務研修医官として防衛医科大学校に勤務する。1984年に海上自衛隊佐世保病院外科、1986年に防衛医科大学校第二外科(専門研修医)、1988年に自衛隊阪神病院外科に勤務する。1989年に防衛省海上幕僚幹部衛生企画室に勤務を経て、1990年に防衛医科大学校医学研究科に勤務する。1992年にスウェーデンのカロリンスカ研究所病院循環器内科に留学する。1994年に海上自衛隊自衛艦隊司令部に医務長として勤務する。1996年に海上自衛隊舞鶴衛生隊に衛生隊長として勤務する。1997年に自衛隊舞鶴病院に副病院長として着任する。1998年に防衛省海上幕僚監部衛生企画室医務衛生官に就任を経て、2001年に自衛隊舞鶴病院に病院長として着任する。2004年に衛生企画室企画室長、2005年に自衛隊中央病院研究検査部長、2007年に防衛省海上幕僚監部首席衛生官を経て、2011年に自衛隊中央病院に副院長として着任する。2014年に自衛隊中央病院院長に就任する。2016年4月に一般社団法人巨樹の会千葉みなとリハビリテーション病院に入職し、5月に一般社団法人巨樹の会理事に就任する。10月に巨樹の会明生リハビリテーション病院院長に就任する。2018年4月に東京品川病院に院長として着任する。
日本外科学会認定外科医、産業医、医学博士、スウェーデン王国医学博士など。

病院の沿革

1945年
東芝大井病院が開院する
1964年
東芝中央病院が開院する
1970年
総合健診センターを設置し、日本で初めて自動化健診を行う
1970年
整形外科、泌尿器科、皮膚科、神経科を新設する
1972年
2号館を増築し、病床数が211床になる
1985年
3号館を増築し、病床数が311床になる
1986年
脳神経外科、画像センターを新設する
1987年
心臓疾患集中治療室を設置する
1987年
麻酔科を新設する
1989年
スポーツ整形外科を新設する
1989年
内科を総合、消化器、循環器、血液、呼吸器、神経に専門分化する
1993年
東芝病院に改称する。新1号館が完成し、病床数が310床となる
1994年
リハビリテーション科を新設する
1994年
臨床研究室を新設し、肝炎ウイルスの研究を主に臨床と研究の相互交流を行う
2018年
医療法人社団緑野会へ法人移譲する

旧東芝病院の変遷イメージ


 東京品川病院の前身はゼームズ坂病院である。

 「ゼームズ坂病院は現在の当院とは大井町駅を挟んで反対側の南品川にあった民間病院です。『智恵子抄』の高村智恵子が亡くなった病院で、跡地にはレモン哀歌の碑があり、今も命日にはファンの方々が集まっているそうですよ。」

 戦後に東芝がゼームズ坂病院を買収、改修して、東芝大井病院を開院した。戦後の混乱期における従業員医療と地域医療への貢献が目的で、内科、外科の45床の病院だったという。そして、1964年に東芝中央病院になった。

 「これは東芝創立85周年事業の一環でした。そのときに南品川から、ここ東大井に場所を変えたのです。設立に際しては地元の品川区医師会との話し合いがあり、職域病院に徹することになりました。東芝の医務室が大きな病院になったということでしょうね。」

 1993年に東芝病院に改称され、一般にも開放された病院となった。

 「東芝の華やかなりし時代ですから、1号館の建設には200億円かかったと言われています。東芝の最新鋭の医療機器や総合医療情報システムが入りました。これで院内機能が効率化されました。」

 しかし、東芝病院は東芝再建策の一環として、運営主体が医療法人社団緑野会へと変わる。そして、名称を東京品川病院に変え、2018年4月に開院した。

 「カマチグループの会長である蒲池真澄は19床の病院を一代でここまで大きくしてきました。会長は現場主義で、当院の立ち上げのときもずっとここにいたのです。東芝病院を買った理由はこれまでの成功をもとに都心に病院を作りたいと考えたからです。カマチグループは九州では救急や急性期医療に力を入れてきました。福岡和白病院がその代表です。その後、偶然なのですが、関東で回復期リハビリテーション病院を作ったところ、思わぬニーズがあったのです。しかし、カマチグループの原点は急性期医療です。そこで、関東では初めての急性期病院である新久喜総合病院を開院しました。激戦区の埼玉県にありながら、こちらも住民の皆さんに喜ばれています。そうした経験を活かして、東芝病院を買いました。『福岡和白病院を都心に作ろう』とのコンセプトのもとで、2017年の秋に準備室を作り、4月の移行に向けて準備をしてきました。一部を回復期リハビリテーション病棟にしたことが大きな改装でしたね。開院して1年経ったところですが、ようやく軌道に乗ってきたところです。今後も会長の信念である『助かる命を助けたい』、『断らない救急』を目指して、力を尽くしていきます。」

2019.04.01 掲載 (C)LinkStaff

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