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「キュアとケア」
一般財団法人育生会 横浜病院

プロフィール

横浜病院

横浜病院(神奈川県 横浜市)

 神奈川県横浜市保土ケ谷区狩場町は保土ケ谷区南部に位置する。起伏に富み、自然豊かな街であるが、中央部には横浜横須賀道路と首都高速神奈川3号狩場線が交わる狩場ジャンクションや狩場インターチェンジがあるほか、北から西にかけては国道1号線が通っている。自然環境を活かした横浜市児童遊園地は保土ケ谷プールを含み、春の桜や秋の紅葉を楽しめる都市公園となっている。
 一般財団法人横浜病院はその狩場町に1995年に新築移転を行った。箱根駅伝で有名な権太坂のそばである。現在は内科、消化器内科・消化器外科、循環器内科、外科、婦人科、リハビリテーション科、放射線科、皮膚科、歯科口腔外科、麻酔科を標榜し、一般病床4床、地域包括ケア病床45床、療養病床57床の計106床を有する。超高齢社会を見据え、介護老人保健施設のユトリアムと介護老人福祉施設のよつば苑を併設した複合施設であることが大きな特徴となっている。
 今回は横浜病院の長堀優院長にお話を伺った。


長堀 優 院長

長堀優 横浜病院院長 プロフィール

1958年に東京都江東区で生まれる。1983年に群馬大学を卒業し、横浜市立大学医学部附属病院研修医となる。1985年に横浜市立大学第二外科(現 消化器腫瘍外科)に入局する。1993年にドイツ学術交流会奨学生として、ドイツ・ハノーファー医科大学に留学する。1994年に藤沢市立市民病院外科医長として勤務する。1997年に国立伊東温泉病院(現 伊東市民病院)に外科医長として勤務する。1998年に横浜市立市民病院に外科医長として勤務する。1999年に横須賀共済病院に外科医長として勤務する。2005年に横浜市立みなと赤十字病院外科部長として着任する。2008年に横浜船員保険病院(現 JCHO横浜保土ヶ谷中央病院)副院長として着任する。2015年に一般財団法人横浜病院に院長として着任する。

日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、消化器がん治療医認定医、国際生命情報科学会(ISLIS)理事、NPO法人神奈川胃癌治療研究会世話人、信州大学医学部組織発生学講座委嘱講師など。

病院の沿革


 

1946年 6月
横浜病院開設許可を受ける。(西区岡野町)
1946年 9月
財団法人育生会の設立許可を受ける。
1946年10月
開院。初代院長として須藤求氏が就任する。
1950年 6月
衛生研究所を開設し、許可を受ける。
1956年11月
鉄筋3階建とする。(創立10周年)
1963年10月
3階部分の一部を増築する。
1965年12月
4階部分を増築する。
1974年 1月
院内保育所を開設する。
1974年 1月
2代目院長として堀口可吉氏が就任する。
1974年 8月
老人病棟を開設する。
1976年 9月
内科に人間ドックを開設する。
1983年 1月
3代目院長として三浦道夫氏が就任する。
1984年12月
全面改修工事を行う。
1995年12月
 
4代目院長として赤岩順氏、名誉院長として三浦道夫氏が就任する。
複合施設(横浜病院、老健ユトリアム、特養よつば苑)が完成する。
1996年 5月
敷地内のモノレールカーを設置し、患者さんの利便性を図る。
1996年 9月
創立50周年を迎える。
2002年 7月
5代目院長として塩谷陽介氏が就任する。
2004年 3月
院外処方を実施する。
2005年12月
移転10周年を迎える。
2006年 3月
産科を廃止する。
2006年 7月
訪問診療を開始する。
2006年 9月
創立60周年を迎える。
2007年12月
療養病棟を7床増床し、57床とする。
2014年11月
在宅復帰や運動機能の維持向上を図るためにリハビリ室の移転拡充を図る。
2015年 1月
訪問看護事業を開始する。
2015年 4月
6代目院長として長堀優氏が就任する。
2016年 2月
一般病棟49床のうち37床を地域包括ケア病床に転換する。

 横浜病院が開設許可を受けたのは戦後間もない1946年のことである。現在の横浜市西区岡野町に開院した。

 「戦後の荒廃した医療状況の中で、初代の理事長が産婦人科と小児科に重点を置いた医療を行おうとしたのです。当法人はよく『育成会』と誤記されるのですが、『育生会』が正しい字です。『生』という字を入れているのは産婦人科と小児科から始まったことによるものです。開設時の理念はそこにあったのですね。」

 また、横浜病院では無料低額診療事業を行っている。これは社会福祉法に定める「生活困難者のために無料または低額な料金で診療を行う事業」である。経済的な理由で支払いが困難な方を対象としており、横浜病院の規程に基づき、減免を行うものだ。
 産婦人科をメインにして順調に発展していた横浜病院であったが、1995年に大きな転換を図る。現在地である横浜市保土ヶ谷区狩場町に新築移転し、介護老人保健施設のユトリアムと介護老人福祉施設のよつば苑を併設した複合施設となった。

 「超高齢社会の到来を見据えた施設を作ろうということだったのです。それまでは産婦人科を中心にした医療を行っていましたが、高齢者向けの医療を行うことに方針転換しました。現在は老健や特養のほか、グループホーム、訪問診療、訪問看護も展開し、高齢者を念頭に置いた地域医療に従事しています。」

 現在地の横浜市保土ヶ谷区狩場町はJR保土ヶ谷駅からバスで10分足らずで、横浜駅からもさほど離れていないが、緑豊かな環境が広がっている。

 「以前は横浜市の中心部にありましたが、その土地を売却し、ご縁のあったこの場所に決定したのだそうです。緑に囲まれた奇跡的な場所ですね。当院のすぐそばに旧東海道の権太坂があります。正月の箱根駅伝のテレビ中継では当院の看板が映るんですよ(笑)。また、当院の全景も空撮されますが、緑に囲まれた空間になっていることがよく分かります。横浜駅からも近いのに、春にはウグイスの鳴き声が聞こえてきますし、療養環境としては申し分ないですね。」

 1996年には敷地内にモノレールカーの「ごんたん」を設置し、大きな話題となった。敷地の入り口から病院の玄関までの坂道を走っているモノレールであるが、病院の敷地内を走るモノレールは日本で唯一の存在である。

 「病院を建てた日揮から提案があったのです。当院の患者さんやお見舞いの方はもちろんですが、鉄道マニアにも喜んでいただいている乗り物です。」

 2015年に長堀院長が着任し、2016年には地域包括ケア病棟を開設する。

 「地域包括ケア病棟は時代の流れですね。私は横浜市立みなと赤十字病院や横浜保土ヶ谷中央病院でずっとがん診療などの急性期医療に携わってきました。急性期病院が『断らない病院』であることの理念は見事なのですが、病床管理の観点からは難しいのです。高齢の患者さんは誤嚥性肺炎や大腿骨骨折が多いです。誤嚥性肺炎は全身の衰弱が原因ですし、大腿骨骨折は認知症が進んだり、QOLが下がったりします。私は高齢の患者さんの救急診療後や手術後を診たいと考えていたところに、当院の院長就任のお話が来ました。この病院なら、特養や老健といった送る場所があるし、地域包括ケアに向けての準備ができると思いましたね。それで院長になり、横浜市立市民病院、聖隷横浜病院、横浜市立大学附属市民総合医療センター、横浜市立みなと赤十字病院、横浜保土ヶ谷中央病院などに行き、長引いている患者さんを送ってくださいというお願いをしたのです。この機能分化が良かったですね。これからも地域連携を進め、地域の皆さんに満足いただける医療を提供していきたいと考えています。」

2018.04.01 掲載 (C)LinkStaff

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