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「救急から在宅まで、何時いかなる時でも対応します」
倉敷平成病院(岡山県倉敷市老松町)

プロフィール

倉敷平成病院(岡山県倉敷市老松町)

倉敷平成病院(岡山県倉敷市老松町)

 倉敷平成病院は観光地としてよく知られている蔵屋敷が並ぶ「倉敷美観地区」から西へ徒歩10分(1.4キロ)に位置する岡山県倉敷市老松町にあり、周囲は倉敷市立老松小学校、幼稚園、保育園、倉敷工業高校などの閑静な文教地区となっている。
 倉敷市は白壁の町並みが残る倉敷美観地区や、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋などで知られる。中国地方で3番目となる48万人もの人口を擁し、2002年には全国30番目に中核市に移行している。「晴れの国岡山」というキャッチフレーズが県の広報に使用されるほど、晴天が多く、温暖な瀬戸内海式気候に属し、積雪はまれである。また、地震、台風などの風水害の発生も比較的少ないと言われている。
 倉敷平成病院は倉敷市のみならず、岡山県南西部の救急医療を担う急性期病院である。2012年に救急医療の分野で社会医療法人の認定を受けており、365日24時間の救急対応を実施している。病床数は220床で、一般病床(7対1看護)127床、回復期リハビリ病棟91床の病床編成となっている。
 今回は倉敷平成病院の高尾聡一郎理事長にお話を伺った。


高尾 聡一郎 倉敷平成病院 理事長

高尾 聡一郎 理事長 プロフィール

1973年に倉敷市に生まれる。岡山中学・高校卒業。1996年に岡山大学医学部を卒業後、岡山大学脳神経外科に入局する。岡山赤十字病院(岡山市)で脳神経外科領域に従事する。2009年に倉敷平成病院に勤務する。2013年に社会医療法人全仁会副理事長、2015年に同理事長に就任する。
日本脳神経外科学会専門医など。

病院の沿革


 倉敷平成病院は高尾病院として、1988年1月11日に倉敷市老松町に開院した。当時はベッド規制の前年であり、220床の許可病床を得るのは奇跡的だという声も多かったそうだ。しかし、創設者である高尾武男医師は倉敷中央病院神経内科医長であったが、専門とする神経内科領域、特に脳卒中にはリハビリテーションが欠かせないという信念があった。患者さんの声を聞き、「救急から在宅まで何時いかなる時でも対応します」という理念の実践ができる病院を作りたいとの熱い思いをもって、病院を開設した。
 以降、急性期医療から、継続したリハビリ、在宅支援を視野に入れたサポートが実践できる病院を目指すこととなった。

「全仁会という名前は『全ての医療は思いやりの心である』という意味の中国の故事『医療これ仁なり』に由来しています。当院の目指す医療は病気だけを診るのではなく、病気を患っている患者さんの全てを診る、継続的に診るという意味も含めており、プライマリケアにも通じる言葉です。すなわち、患者本位の医療の実践を掲げる全仁会にふさわしい名称として、命名されました。」

 倉敷平成病院は、1988年1月に「高尾病院」として開院し、翌1989年に「倉敷平成病院」と名称を変更する。また、隣接地に100床の倉敷老健を開設する。

「全仁会の理念は『救急から在宅まで何時いかなる時でも対応します』ですが、この理念通り、病院の開設や運営だけでなく、介護保険の制定前から、介護老人保健施設や在宅介護支援センター、訪問介護、訪問看護ステーションなどの運営を行い、退院後の在宅支援が円滑に実施できる機能を整備してきています。特に、1999年にそれまでの在宅サービス機能を統合した医療法人と社会福祉法人合築の倉敷在宅総合ケアセンターを開設する際には『在宅支援ホスピタル』と命名したかったのですが、叶わなかったと聞いています。人生のうち、病院で過ごす期間は限られた一定の期間です。病気と向き合いながら、障害や不自由さとともに在宅で過ごす時間が圧倒的に長いんですね。その日常を支えることこそが大切なのです。高齢になっても、障害を負っても、住みよい社会になるように、私たちができることをという想いで、病院開院からの25年を駆け抜けてきたと聞いています。今から思えば、地域包括ケアシステムの概念を患者さんの声をもとに地道に運営してきたといった感があります。

 私は2007年に着任し、脳神経外科の診療部門を担いながら、副理事長として病院運営に携わってきましたが、2013年に理事長に就任しました。そのときには病院、老健、特養、ショートステイ、ケアハウス、サ高住などの機能が一通り揃ったと考えています。これからは質の向上に力を注ぎたいですね。

 2017年はパーキンソン病や難治性疼痛に対する機能的脳神経外科手術のセンターである『倉敷ニューロモデュレーションセンター』の開設を予定しています。県南西部医療圏では近隣の大病院でも行っていない領域です。この手技を必要とする患者さんに最良の医療が届けられるよう、機材の準備、人員の確保などを進めていきたいと考えています。
 また、社会医療法人全仁会、社会福祉法人全仁会、有限会社医療福祉研究所ヘイセイの3つの法人からなる全仁会グループの職員は1,000人を超えます。私たち職員が同じ方向性で力を合わせて進んでいくために、毎年スローガンを定めており、2017年のスローガンを『one~心ひとつに、新たな挑戦を~』と掲げました。全員で心を一つに挑戦し、新たな未来を切り開いていきたいと考えています。」

2017.02.01 掲載 (C)LinkStaff

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