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一人一人の患者さまを大切に、良質で安心なぬくもりのある医療を
医療法人新都市医療研究会「君津」会 玄々堂君津病院

プロフィール

玄々堂君津病院

玄々堂君津病院

千葉県君津市は房総半島のほぼ中央に位置し、市の北西部は東京湾に面している。市の面積は千葉県下で市原市に次いで第2位であり、人口は約86000人である。東京湾沿いは新日鐵住金君津工場を中心とする重工業地域であり、市街地はJR内房線の君津駅を中心とした沿岸部に集中している。 一方、内陸の久留里地域はかつて黒田氏が支配した久留里藩の城下町であり、JR久留里線が通っている。近年、館山自動車道の延伸や東京湾アクアラインの開通により、君津市から千葉、東京、横浜、羽田空港方面への車による利便性は大幅に向上している。
玄々堂君津病院はJR君津駅から徒歩5分の場所に位置する。二次救急指定病院として、ICU15床、一般病床109床、地域包括ケア病床8床、医療療養病床28床の計160床を有し、診療の柱となる腎臓病診療のほか、糖尿病診療、消化器診療、泌尿器科診療に力を入れている。
今回は玄々堂君津病院の池田重雄院長にお話を伺った。


池田 重雄

池田 重雄 院長 プロフィール

1964年に生まれる。1991年に東京大学を卒業し、東京大学医学部附属病院で外科系研修医となる。1992年に河北総合病院外科で、1994年に癌研究会付属病院(現 がん研有明病院)外科で研修医となる。1995年に東京大学医学部附属病院外科の医員として勤務する。2000年に米国テネシー大学外科に研究員として留学し、2001年に米国ウィスコンシン大学外科の研究員となる。2003年1月に帰国し、癌研究会付属病院外科の医員として勤務する。2003年4月に茨城県立中央病院地域がんセンター外科に医長として勤務する。2005年に医療法人新都市医療研究会「君津」会南大和病院に勤務する。南大和病院副院長を経て、2014年に医療法人新都市医療研究会「君津」会玄々堂君津病院に院長として着任する。

日本外科学会専門医、日本消化器外科学会専門医、マンモグラフィ読影認定医、消化器がん外科治療認定医。日本消化器病学会、日本透析医学会、日本静脈経腸栄養学会、日本乳癌学会、日本大腸肛門病学会、米国静脈経腸学会、日本胃癌学会、日本褥瘡学会にも所属する。

病院の沿革


 玄々堂君津病院は1972年2月に玄々堂坂田診療所として出発した。この設立には当時の社会情勢が大きく関わっている。全国的に大学紛争が激しくなり、東京大学医学部でもインターン制度廃止を軸とした東大紛争が起こっていた。その中で、東京大学医学部附属病院外科の医局員8人を主体とする新都市医療研究会が東京都渋谷区の千駄ヶ谷で発足した。

「大学病院の風通しの悪さを敬遠した医師たちによる研究会です。患者さん主体であり、かつ大学病院と同等のレベルの医療を行おうと始めたんですね。中央と地方の医療格差をなくし、どの地域であっても最良の医療を行うことを目指しました。」

 新都市医療研究会が最初の開業地として定めたのが千葉県君津市であった。当時は新日鉄君津製鉄所の進出による人口急増地域であったので、医療事情が逼迫し、医療圏人口に対する医師数や病床数は全国平均の半分ほどしかなかったという。名称の中の「新都市」はスプロール現象を起こし始めていた都市周辺を意味している。また、玄々堂とは文禄・慶長の役で明に行った森玄孝が伝えた医術をもとに、何代にも渡って君津で医業を行ってきた診療所の名前である。

「君津は茅野嗣雄院長の地元でもありました。最初は40坪のプレハブ平屋の診療所だったんですよ。診察室は午後になると手術室に早変わりして、手術が終わると、また診察室に戻して夜間診療を行っていたそうです(笑)。」

 1974年に玄々堂君津病院が病床数43床で開設されたため、診療所は閉鎖となった。ほぼ同時期にグループ病院である関越病院が埼玉県入間郡鶴ヶ島町(現 鶴ヶ島市)に開設された。1975年に医療法人新都市医療研究会「君津」会を設立し、玄々堂君津病院では血液透析を開始した。

「当時も今も、私どもは自分たちが得意とする医療を行うというよりも、断らない医療をしようという病院です。血液透析は当時の新しい治療法でしたし、この頃のメンバーの中に透析を研究していた医師がいたこともありましたが、何よりも一人の患者さんからのニーズが大きかったので始めたのです。」

 1981年には血液透析センターの増築工事が完成し、1985年には東館の増築工事が完成する。これで病床数130床、透析36床の規模となった。また、新都市医療研究会は1980年に神奈川県大和市に南大和病院を開設した。大和市も君津市と同様に、人口急増地域であった。

「1981年の増床は増え続ける外来、入院、手術、透析をカバーするための計画だったようです。人口が急増し、既に高齢者人口も増えていましたので、医療ニーズにも変化があったんですね。しかし、再び病床不足が慢性的になり、東館を新設したのです。このときにICUなどの重症ケア施設が充実しました。」

 玄々堂君津病院は時代の要求に応える形で、1992年に君津訪問看護ステーション、1993年に玄々堂木更津クリニック、1998年に坂田クリニックを開設する。1998年には西館、2005年には東館の増築工事が完成した。そして、2009年に新館が完成し、病床数160床、外来透析49床、入院透析10床の規模となる。2010年には総合腎臓病センターが設立された。

「地域の方々からご支持をいただき、病院として発展することができました。総合腎臓病センターは地域で唯一の透析医療を拡大していこうとするもので、地域の基幹病院にふさわしい内容を持っています。今後も、常に最新で最高の医療を提供していきたいと思っています。」

2015.03.01 掲載 (C)LinkStaff

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