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予防、医療、介護、そして在宅まで地域が求める
保健、医療、福祉をシームレスに実現 藤村病院

プロフィール

藤村病院

藤村病院

 埼玉県上尾市は江戸時代には中山道に上尾宿が置かれたことで発展が始まった街である。
1883年に日本初の私鉄である日本鉄道が開通し、上尾駅が開業したが、駅周辺は賑わったものの、郊外は農村だったという。しかし、戦後は東京近郊の住宅地として、人口が急増する。1960年代に建設が始まった日本住宅公団(現 UR都市機構)の原市団地、尾山台団地、西上尾第一団地、西上尾第二団地は埼玉県有数の規模を持ち、若年人口の流入をもたらした。現在はJR上尾駅周辺に高層マンションが立ち並び、人口22万人を有する中規模都市である。
藤村病院は1886年に開設された藤村医院を前身に持つ、長い歴史のある病院である。現在はJR高崎線の上尾駅から徒歩5分の場所で、一般病棟76床、療養病棟26床の102床を有し、地域に密着した医療を行っている。病院のほか、介護老人保健施設、健康管理センター、訪問看護ステーション、指定居宅介護支援事業所、上尾市上尾南地域包括支援センター、小規模多機能型居宅介護、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)などを展開しているが、多職種連携を充実させ、医療、介護、終末期までを総合的に関わることを重視している。
今回は藤村病院の藤村作理事長にお話を伺った。


藤村 作 院長

藤村 作 院長 プロフィール

1967年に埼玉県上尾市で生まれる。1995年に獨協医科大学を卒業し、獨協医科大学越谷病院外科に勤務する。2000年に藤村病院の非常勤医師となる。2003年に藤村病院に副院長として着任すると同時に、介護老人保健施設「ふれあいの郷あげお」を施設長として立ち上げる。2006年に藤村病院院長に就任する。2008年に藤村病院理事長に就任する。日本外科学会専門医、マンモグラフィー読影認定医、日本医師会認定産業医、全日本病院協会理事、上尾市介護認定審査委員など。

病院の沿革

 1886年(明治19年)6月、藤村悠重初代院長が藤村医院を開設した。1886年は第1回の条約改正会議が開かれたほか、日本赤十字社病院の前身となる博愛社病院が開設された年である。

「初代院長は千葉の出身ですが、開業にあたっては中山道沿いで場所を探していたそうです。藤村医院は上尾市で2番目に開業した医院で、現在は駐車場になっている場所に建てられていました。初代院長は私の曽祖父ですが、祖父によりますと、馬に乗って、地域の患者さんのところに往診していたそうです(笑)。」

1912年(大正元年)には新医院が落成し、1944年には藤村茂院長が継承を行った。藤村茂院長は藤村作現理事長の祖父にあたり、専門は外科であったという。
1968年には藤村医院を改築し、10床の有床診療所となる。藤村秀先生が副院長に就任した。そして、1974年に藤村外科医院を開設し、藤村秀院長が継承した。

「藤村秀は私の父で、やはり外科医でした。自宅も医院のすぐ裏にあり、私もそこで育ちました。この頃は痔の患者さんが多く、父は痔の手術に追われていたようです。」

1976年に藤村病院に改称し、36床の増改築を行った。

「私は小学生でしたが、病院が大きくなったんだなあと思っていました。その頃の父との思い出はあまりありません。父は患者さんの具合が悪いと、病院に寝泊まりしていて、自宅には帰ってきませんでした。何もなければ、飲みに行っていたようですね(笑)。」

1980年に医療法人藤村病院を開設し、1986年に医療法人藤仁会と改称した。そして、1989年に新病院が落成し、119床、HCU2床を備える。

「病床を増やすのはこれが最後だと聞きました。それまでは常勤医師は父ともう一人ぐらいの体制だったのですが、外科を拡充し、整形外科や内科の常勤医師に入っていただいたのです。父は群馬大学医学部を卒業後東京慈恵会医科大学に入局したので、当時は慈恵医大出身の医師が多かったですね。」

その後は訪問看護ステーション「ふれあいあげお」、藤村病院附属健康管理センター、在宅介護支援センターを次々に開設する。
1997年には別館を開業し、訪問看護ステーション、在宅介護支援センター、リハビリテーションセンター、法人事務局、更衣室、物品庫などを入居させた。
1999年には指定居宅介護支援事業所を開設する。
「上尾市には大きな団地がいくつもありますので、以前から高齢化社会への対応を考えてきました。地域のニーズに応える形でしたが、訪問看護や在宅介護などへの展開は埼玉県内でも早い方だったと自負しています。」

2003年には四代目の院長として廖(りょう)英和先生が就任する。同時に藤村現理事長も副院長として藤村病院に着任した。

「廖先生のご専門は麻酔科で、東洋医学も修められています。現在もペインクリニックは私どものメインの診療科の一つです。その頃、父も疲れてきたのか、倒れてしまい、心臓手術を受けたのです。それがきっかけになって、私も勤務先を辞め、藤村病院に移りました。」

2004年に介護老人保健施設「ふれあいの郷あげお」、託児所ベビーホームふれあい、2006年には上尾市上尾南地域包括支援センターを開設する。

「老健の運営は手探りの状態で始めました。でも、職員に『自分たちの組織だ』という愛着を持って働いてもらうためにも、自分たちで立ち上げていきました。この頃は介護保険制度が始まってすぐでしたので、診療所からの紹介はスムーズではなかったですね。ケアマネージャーの活用の仕方も浸透していませんでしたので、私どもの地域医療連携室でコーディネートを進めました。また、地域の開業医の先生方を集めて、介護保険の説明会も行っていました。」

2006年に藤村作副院長が五代目の院長に就任し、藤村病院を継承した。

「大学病院では一般外科を学んでいましたが、治療したあとのことは分かっていなかったんですね。患者さんも若いですし、誰かが診ているのだろうと考えていましたが、私どもの患者さんは高齢の方が多いですし、大学病院と同じではいけないと気づきましたね。」

2007年に小規模多機能型居宅介護事業所、認知症対応型共同生活である「藤の郷あげお」を開設する。2008年には一般病棟の一部を改築、療養病棟26床を開設し、一般病棟を76床に減床した。

「在宅医療などの地域密着型の医療へと移行する過程の中で、急性期の患者さんだけを診ていくことはできません。しかしながら、すぐに老人保健施設に移れない方もいらっしゃいます。そういう方々に必要なのが療養病床なんです。国の方針は療養病床の削減にあるようですが、私どもは療養病床を作ることで、困った方々に対応したいと考えました。近年は平均在院日数が短くなってきましたので、119床もの急性期病床は必要はなくなり、そこで、5階病棟を改築し、40床から26床に減床させ、スペースに余裕ができましたので、6人部屋を4人部屋にリニューアルし、療養病床として施設基準を満たしています。」

藤村病院は2013年6月に設立128年目を迎えた。

「当地で開業以来、一貫して地域に密着した医療を心がけてきました。これからも住民の皆様との触れ合いを大切にして、皆様が安心して何でも相談できる病院づくりに励んでいきたいと思っています。」

2014.01.01 掲載 (C)LinkStaff

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