ドクター転職ショートストーリー

『災害医療への情熱』(上)

2008年01月15日 コンサルタントI

 K先生と初めて会ったのは、まだ残暑が厳しい9月の終わり頃であった。鹿児島市内にあるファミリーレストランで待ち合わせしたが、クーラーも効かないくらいで、K先生には申し訳ないなと思いながら約束の時間を待っていた。
 レストランの入口に小柄で少しやせた人が現れ、まっすぐに私が居るテーブルに歩いてきて挨拶をされた。「よく私がリンクスタッフの社員だと分かりましたね」と話すと、「いやーなんとなくこの人だろうな」と思ったからですよと、体に似合わない豪快な笑いをされた。先生の性格が少し分かったような気がした。
 K先生と会うきっかけになったのは、リンクスタッフが転職サイトとして運営している「e-doctor」の海外勤務希望の医師募集に問い合わせを頂いたことからだ。連絡をとってみると、是非相談に乗ってくれとのことだった。
 K先生は、鹿児島生まれで41歳。奥様とお子様二人のよきお父さんである。声が非常に大きく、レストランの他のお客さんが振り返るくらいの音量で、私に熱い思いを語ってくれた。海外勤務希望に問い合わせしたのは、10年後には海外で勤務したい想いがあるので情報収集の為との事であった。K先生は、九州の国立大学を卒業され、今で言う「総合医」を目指したかったので、その先進国アメリカイリノイ州で2年間家庭医・プライマリー医の勉強をされていたとの事だった。

「それぞれの家庭にかかりつけ医が存在し、そこを起点に様々な疾病に対応する斬新なシステムには感動しましたよ。この時期に世界各国で起こる災害に迅速に医師を派遣するチームがあるという事を知ったのですが、知れば知るほど自分も将来はそういう災害医療に携わりたいと考えるようになったんです。」と話してくれた。帰国後は、大学病院の内科医局に5年間在籍したあと、市中の病院に勤務されていたとの事で、勤務は忙しく毎日の仕事をこなすのに精一杯だったとの事であった。

 留学していた頃の想いは頭の片隅に封印されていたが、2000年に発生したペルー地震で、その封印がとかれたのである。
「世界の地震のニュースは、今まで何度となく見聞きしていたが、その映像のなかでアメリカの医師派遣チームが、いち早く現場で医療活動をおこなっているのを見たんです。」と、大きなたくましい声で言われた。無論その地震でも日本の医療チームは派遣されたが、K先生は災害医療ボランティアのメンバーには登録しておらず、今後世界のどこかで災害が発生した時の為、その時点で登録をされたとのことであった。
「おおげさに言うとようやく自分の生きる道を見つけましたよ」と言われたときの顔が、今でもすごく印象に残っている。

次へ続く

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