ドクター転職ショートストーリー

新規診療所立ち上げプロジェクト(上)

2006年10月01日 コンサルタントT

 四国の国立大学を卒業されたA先生。大学病院で5年間研修された後、県下有数の各国公立病院に3年毎に医局から派遣され、外科医として20年間勤務されていた。

ほとんど毎日のように手術室で手術をする日々。日々の業務に追われ、駆け足のように過ぎた20年という歳月。いつのまにか「診療部長」という肩書きがついていることに気が付いた時、外科医A先生の胸の内に蓄積され出来上がっていたものは「充実感」ではなく、ある種の「虚無感」であった。
『患者の病気を治すことこそが医師である者としての使命であると信じ、ここまでやってきた。しかし果たして真の意味で患者に喜びを与えることができていただろうか。』
この20年間、手術件数をこなすことにばかり心を傾けていたとの事で、決して患者の「心」に向き合えてはいなかったとA先生は痛感する。真面目で責任感が人一倍強いA先生は、自分自身が外科医になると選択した以上、与えられた任務は最後まで果たさなければならないとも考えられた。以上が初面談の際、A先生が私に語って下さった胸の内だ。

 それから50歳を越えた頃、A先生はある決断をする。大学医局に別れを告げたのだ。そして「外科医としての自分」にも…。
A先生は、ご自身で探されたある検診会社にて「内科医」として再スタートを切られた。
平日の午前9時から午後5時までの勤務。年収は外科医時代より少し下がって1,200万円。以前よりも勤務体系は緩和され、家族との時間も作れるようになり、心身の疲労は軽減され、穏やかな日々を送られていた。
検診業務は勿論のこと、地域の方々に対する健康相談や生活習慣病指導などがA先生の主な業務であり、手術室に缶詰め状態ということも多かった外科医時代に比べると、周囲の人々にも密接に関われるようになり、また頼りにされているという実感も出てきた。

しかし、A先生は再び「長」の付く役職が与えられた時、考えられた。

 『私はここに来てから一体何を得てきたのだろうか』

次へ続く

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