Dr.中川泰一の医者が知らない医療の話(毎月10日掲載)
中川 泰一 院長

中川 泰一 院長

1988年
関西医科大学卒業
1995年
関西医科大学大学院博士課程修了
1995年
関西医科大学附属病院勤務
2006年
ときわ病院院長就任
2016年
現職
2024年1月号
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中国訪問記Ⅱ

前回、癌検診と幹細胞培養などの研究施設設立の件で中国に出向いて行った所までを話したと思う。

まあ、アチラの再生医療研究所なんか視察させられて、とにかくコチラの実力?を認めてもらったらしいので、いよいよ契約の話になってくる。

元々、呼ばれた時点で、ある程度信用されての事だったはずなんだが、話が大きいからやはり慎重に吟味されるのは仕方ないだろうな。

更に聞いてみると、彼らにも色々事情があるみたいで。確かに、建物の建設があれだけ出来ていて、まだ中身が空っぽ状態なわけだ。地方政府どころか国も巻き込んでる。何より既に民間の出資者がいるので、以前の候補がダメなら、早急に代りを立てないと大問題だろう。

「先生にお任せしたいです。」
「運営以前の施設の設立から、技術者教育も含むのね?」
「はい、全部お任せします。」
「でも、〇〇が関係してたらやらないよ。」
「はっきり断りますよ。2年経っても、日本からの投資も、医師の紹介も全くなしですから。」
「〇〇の医療関係のブレーンの××って、君らが導入しようとしてる日本の医療機器メーカーから詐欺して逮捕されてるから、ちょっとでも関係あったら、そこの医療機器は入らないよ。」
「えー!そんなの全然知りませんでした。中国からはそんなの分かりませんでした。」
「有名な事件なんだけどね。日本にいても普通の人は知らないから。」
「それより、日本から資金は入らないけど大丈夫?」
「資金は問題ないです。日本は景気悪くて、お金ないんじゃないんですか?」
「イヤ、あるとこにはあるんだけどね。まあ最近は特に格差が激しいから。中国こそバブル崩壊で大丈夫なの?」
「ハハハ、あるとこにはありますよ。」

彼、日本の大学を出て、誰でも知ってる日本の企業にいたから日本語は堪能だ。この辺の掛け合いもなかなかいい調子。

と、言ってるうちに夕食の時間。案内された会場にはなんと、例の件の〇〇氏が待ち構えてる。夕方現地入りしたらしい。こんな状況で顔合わせるのってろくな事はないんだが、彼らも「来るな。」という訳にもいかずで、同じ食卓に着いた。ご存知のように中華料理のテーブルって大きな円卓で、真ん中に回転する円があって、そこに料理が運ばれる。

距離は離れているが同じテーブルだ。
「イヤーお久しぶりですね。」
「アレ?先生何しに来たの?」
「なんか、いろいろ相談受けちゃって。」
私が東京弁使ってる時点で怪しいのだが、お互い大人の対応である。とは言うものの相当警戒した顔してこっち睨んでる。宴がはじまる前に例の件の〇〇氏が一席ぶった。
曰く「資金は間も無く入る。」「某大学のなんとか言う先生と一緒にやっていく予定だ。」「私は間も無く病院を買収して理事長に就任することになっている。」「だから、何も心配する事はない。」まるでオーナーの様な上から目線で逆に感心したわ。
「中川先生はインバウンドの患者が欲しくて来た様だが、それは考えてあげる。」。通訳やってる人(日本在住で〇〇氏をよく知ってる人)に「あんな嘘ばっかり言ってるよ。いいの?言わせておいて。」「大丈夫。その辺は訳して無いですから。」大人の対応である。その後は特に言葉を交わす事なく、宴は無難に終了した。

翌日、建設現場に行く予定になっていた。病院は建物が出来ているが、研究所は基礎が出来たばかり。前にも書いたが、ここに1ヶ月ほどで建物が建つらしい。中国恐るべし。でも、やっぱり現場見てみるとその広大さが分かる。中国はじめ、アジアや中東の施設は皆大きい。なんか日本がせせこましく感じるが、文化と土地の違いかな。一通り現場を見て回って、現場の会議室で工事関係者とミーティング。工事の進捗状況の説明の筈なんだが、例の件の〇〇氏が真ん中に陣取って、現場責任者にいろいろウンチクや精神論を説き出した。みんな日本から「オーナー」が来たと思ってるから神妙に聞いている。少なくとも責任者達はかなり真面目で、手抜き工事する様な輩には見えないのだが。大体、建築のプロ相手に工事のウンチクたれても仕方ないのに。もっとも、どれだけ訳しているか疑問だけどね。通訳は昨日と同じ人だし。

「いいの?まるで奴がオーナーみたいじゃない。」。オーナーという言い方が妥当かどうかだが、中国の「彼」が実質中心となって取り仕切っている訳で、彼の会社が各所との契約主体になっているのだから。言わば彼が「オーナー」なんだが。

「イヤ、喧嘩しても仕方ないので。それにこの様な大きなプロジェクトには、ああいう人がいた方が都合いいんですよ。今はね。」。若い中国人の彼より年配の偉そうな日本人のおっさんがいた方が皆言うこと聞き易いんだろうな。う~ん、大人の対応である。

で、結局のところ「1年後に検診センターと研究所は稼働させたいのです。」と言う。外は出来ても、中身は内装も含めて何にも無いのだから結構タイトなスケジュールになる。何せ、技術者の教育も入っているのだから。ただ、日本の研究所で培養経験のある人達なので、基本は出来ていると思われる。とりあえず、普通のCPC立ち上げたうえで、自動培養などを導入することにした。「じゃ日本帰って、技術者達と相談して企画書すぐに作るからね。」と言って今回は一段落として、翌日早めの便なので、若い衆に付き添われて空港のある都市まで前日移動した。はてさてどうなる事やら。そのうちまた、顛末は報告しますね。

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