神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年
世田谷区医師会副会長就任
2000年
世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年
日本臨床内科医会理事就任
2004年
日本医師会代議員就任
2006年
NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年
昭和大学客員教授就任
2017年
世田谷区医師会高齢医学医会会長
2018年
世田谷区医師会内科医会名誉会長
1950年
長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年
日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年
米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年
特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年
神津内科クリニック開業。
4月号

William H. Mastersの業績~人間の性科学の課題を探る(Ⅳ)~

 若林の自宅から3分のところに、清水書房という小さな本屋があって、二人の姉妹とその父親が経営していた。お姉さんの方は細身で、妹さんはふっくらしていた。小さい頃から本が好きだった私が、書棚の前で長く立ち読みしていると、早く帰れとばかりにハタキであちこちをパタパタと叩いて回った。私の父にその話をすると、「息子が欲しい本は私が支払いますので付けにしておいて下さい」と頼んでくれた。それから読んだ本は恐らく数千冊になるだろう。父親が与えてくれたこの恩恵は、私の息子達が小学生になった時に同じく彼らに与えた。どのくらいの本を息子たちが読んだかは分からないが、少なくとも本嫌いにはなってはいない。清水書店はその後姉妹が高齢になって閉店し、お店は車庫になってしまった。

Library

 30年ほど前になるが、前の家を壊して今の自宅を作る時に、父と私の本を保管する図書室を作ることにした。父も私も本好きなのでたくさんの本がある。当時の私の持っていた本は安い文庫本やブルーバックス、父の本は全集や百科事典、画集などの高価で厚い本が多かった。建て替えた自宅は以前の2/3の面積になったので、結局、私の本をかなり処分することになった。二百冊くらいはあっただろうか、母が「早川書房のSF文庫、SFマガジン、高く売れたわよ」といって喜んだのを覚えている。当時は仕方のないことだったが、今なら手放さなかっただろう、惜しいことをした。レコードもたくさんあったが、これも多くを処分した。

 今の図書室は上の写真のようになっている。ちなみに、これを機会に保管書籍類、ビデオ、CDなどを数えてみたところ、蔵書は合計1022冊、161枚のCD、85本のカセットテープ、40本のビデオテープ、30枚のLPレコード、8枚のEPレコードがあった。クリニックを若林1丁目から5丁目に引っ越した時にも、クリニックの書棚にあった本を処分したから、ここにある本はある意味私にとって取っておくべき意味のある本だといって良いかもしれない。

Human Sexual Response(人間の性反応)

 William H. Mastersらの性科学的業績を記した報告書「Human Sexual Response」は、私の持っている図書の中でも特に意味のある本といって良いだろう。我々は知識を得たいがために本を読む。今では手に入れたい情報が、多くの分野で十分に得られるのにもかかわらず、性科学の分野は、科学的知識に不連続性があって不十分だ。Wikipediaを始め、Internet上にいろいろな情報(性風俗、性文化などに関する)が載っているが、scienceとして過不足のないfactを提供するものは、他の分野に比して極端に少ない。患者や地域住民を指導し、その健康を維持、促進するために働いている我々だが、この領域の知識の提供があまりにも少ないと感じている。1950年代も同じような状況だったのだろう、Mastersはこの領域を「科学の唯一の憶病な領城」と称した。

 彼はこの本の序文で「どんな男性でも女性でも一生のうちに、性的緊張に対する関心を持たないという人は1人もないであろう。にもかかわらず、われわれが生きていることにおけるこの1つの局面(われわれの存在そのものに必要な反応は別として、どんな生理的反応よりもより多くの人びとに、より多い意味で影響を与えるこの人生の局面)は、客観的な科学的分析の利益を亨受せずに放置されていてよいものであろうか。
 科学と科学者は、なにゆえに恐れに支配されねばならないのだろうか。医学界内外からの世論に対する恐れ、社会的結果に対する恐れ、宗教的不寛容に対する恐れ、政治的圧力に対する恐れ、そして、とりわけ偏屈と先入観に対する恐れに、なにゆえ支配されなければならないのだろうか」と、性科学を取り巻く社会の恐れと無理解に疑問を呈した。この本の出版が1966年である。それから56年経った今、その懸念はなお晴れていないようだ。

 William H. Mastersは1915年にオハイオ州クリーブランドに生まれた。
1938年にハミルトン大学を卒業し、1943年ロチェスター医科歯科大学にて医学博士を取得。セントルイス産院で産科研究生、バーンズ病院で婦人科研究生、その後ワシントン大学医学部助手を経て同大学臨床産婦人科講師、助教授を経て教授となった。
ワシントン大学医学部付属生殖生物学研究所長として、性科学の解剖・生理学の研究を行い、その結果を業績として出版したのが「Human Sexual Response」だ。
米国産婦人科学会委員、イリノイ州サレム記念病院婦人科顧問、セントルイス市立病院婦人科顧問、セントルイス産院、バーンズ病院、セントルイス小児病院において産婦人科医長補として働き、家族計画協会、厚生審議会、家族子供局などの理事を務め、その他多数の学会に所属した。

 共著者であるVirginia E. Johnsonは1925年ミズリー州スプリングフィールドに生まれている。
ドルリー大学、ミズリー大学を経て1964年よりワシントン大学心理学博士課程に進んだ。ワシントン大学医学部付属生殖生物学研究所に入ると、研究助手としてMasters氏を支えた。
彼らが日本語版の出版される際に贈った「日本語版に寄せて」にはこんな文が載せられている。

 われわれは、ここに本書の著者として、日本の読者諸賢に挨拶する機会を得たことを、衷心から喜ぶものである。-中略-「Human Sexual Response」では、従来の文化的影響による、タブーや恐怖や一般的誤解に対して、セックスの解剖学的、生理学的事実を立証する目的で行われた研究計画の結果が報告されている。-中略-言うまでもなく、臨床医は、基礎的な人間生物学の確固たる知識を得て初めて、セックスに関する問題や性的機能不全の広範な問題と、もっとも効果的に取組むことができるのである。
 今後、われわれが学ぶべきこと、為すべきことは山積しているが、今やわれわれは、研究への出発点確立による便宜を得たのである。 1966年10月15日  
  William H. Masters
  Virginia E. Johnson

 その後、ワシントン大学医学部付属生殖生物学研究所で行った業績のうち、一作目の研究時には発表しなかったデータをまとめて「Human Sexual Inadequacy(人間の性不全)」「Homosexuality In Perspective(同性愛の実態)」を加えて三部作となった。しかしこの4月号ではこの二作については触れないので、中古本としては値段が高いが、興味があれば書店で買い求めていただければと思う。

研究対象群

 被観察者としてcandidateとなった人たちは、一般的なごく普通の人たちで、平均値から外れた特殊な人たちというわけではなかった。研究開始当初は、普通の人たちにこのような性科学的実証実験に参加する人は少ないのではないかという危惧から、売春婦を対象として始められた。しかし、その目的と研究の秘匿性の高さ、研究者に対する信頼性が確保されたことによって、参加者は徐々に増えていった。大学という環境で行われたこともあって、高学歴の参加者が多いという特徴がこの母集団に付与されていた。その結果、多くのサジェスチョンが得られた有意義な参加者だったが、この研究成果に売春婦のデータは採用されなかったという。

 採用された男性と女性たちは、実際に本調査に参加する前に、男女2人が入った調査チームにより、医学的、社会的、性的経歴についての問診を受け、その後入念に管理された適応教育を受けた。このプロセスを通じて、調査員たちの人柄に触れ、その真摯で公平無私な態度から、本研究の重要性と権威ある仕事に感銘を受けることとなり、本研究への参加の意味を再認識したと書かれている。また、医師による診察を受けて、生殖器官に顕著な病理学的異常があるものは除かれた。

 性行為は様々な環境や状況、自然性交のみならず器具(観察を容易にした透明な挿入具や自慰用具)を用いたものや人工的環境(※)においても観察された。参加者はMastersらにより研究室に招かれ、研究資材についての機能、目的やその使い方まで、一つ一つ丁寧に説明を受けた。最初、性行動は研究所の人目にふれない場所で行われ、続いて男女の研究者チームの見守るなかで行われた。しかし、徐々に参加者たちは、観察されているという不自然な環境の中でも、全く気にせずにふるまうことが出来るようになったという。そして、被観察者がこの環境に安心感を持ち、その能力遂行に自信を持つまでは、その反応を記録することや、担当以外の研究人員をその反応グループに加えるようなことはせずに、研究環境が整うのをじっくりと待ったという。人間の性反応の、繊細でinterruptされやすい敏感な部分を研究に正確に反映させるためには、特に大切な配慮であったと思う。

  • 註:Mastersは「装置が人工的性質のものであることから、観察された反応型の正確さを反駁するもっともな議論が生ずるであろう。この議論に答えるには、膣内の生理的反応は auto manipulationによる数百に及ぶ性周期を得るに当って観察、記録された、すでに立証された反応型とあらゆる点で一致する、と言えば充分であろう」と、多くのデータにより実証済みであるとコメントしている。

 こうして、1954年以来、有効な性的刺激による解剖学的ならびに生理学的反応(妊娠中のセックス、高年期のセックス等を含む)に関する、11年間という長期間にわたる記録が行われたのだ。

 被観察者数は、男性312人、女性382人の計694人。面接による聞き取り調査は、男性654回、女性619回の計1273回に及んだ。

男性研究対象者の年齢分布

女性研究対象者の年齢分布

高年男性被面接者の年齢と学歴

性反応周期

 Mastersらは、多様な人間の性反応を、おおまかに4つのphaseに分けることを提唱した。

  1. 興奮期 <excitement phase>
  2. 平坦期 <plateau phase>
  3. オーガズム期(絶頂期)<orgasmic phase>
  4. 消退期 <resolution phase>

である。

 興奮期はどのような肉体的、精神的な刺激からでも立ち上がることが出来るphaseだ。「この刺激が個人的な欲求に対して充分であれば、通常、反応の強度は急速に上昇するものである」が、それには時間がかかる、とした。「有効な性的刺激が続けば、男性も女性も興奮期から第2期の平坦期に入る」としている。次に起こる「オーガズム期」は、「性的刺激から起った血管充血や筋緊張が消退するまでの数秒間に限定される」とする。図で示されたように、男性では射精によって消退期へと向かうが、女性の場合は「有効な刺激を再び受けることによって、消退期のどんな時点からも、orgasm に戻れる反応上の可能性を持っている」という観察結果が得られている。そうした意味では「男性が再刺激に反応しうる生理的能力は、女性のそれよりはるかに低い」という結果だった。

男性の性反応周期

女性の性反応周期

 女性の乳房は、興奮期に「乳頭は刺激以前より長さが0.5~1.0cm伸び、その基部の直径が0.25~0.5cm大きくなる」という観察結果が得られている。男性と女性がお互いを知るためには、こうした性科学的な事実を知っておくことが大切かもしれない。

エピローグ

 Mastersらの業績は、緻密で大胆な計画と、細部にこだわった詳細な観察、客観的なデータを開示して、科学的な思考に基づく推論と考察を繰り返す、という姿勢が最初から最後まで貫かれた素晴らしいものだ。この報告書を手にして読み進めると、彼らがいかに困難な対象を相手にしていたか、それにも関わらず、圧倒的なエネルギーでそれを乗り越えて11年間という長きにわたって研究を継続した、ということに感動する。

 彼らが研究した1950年代には、今なら使うことの出来る超音波エコー、CT、MRIや各種の検査装置、センサーなどはなかったのだ。当時使用可能だった、心電図、筋電図、X線装置、そしてクスコなどの古典的な診察道具を用いて、ここまで質の高い性科学の解剖学、生理学を確立していったことに驚く。

 今後、人間が宇宙環境に出ていくときには、特にこの分野での発展が必須だと思う。無重力の環境で、人間の性機能はどのように変化するのか。性的興奮によって腹腔内に上昇した子宮が、消退期に膣の奥のくぼみ(精液プール)に浸かるように降りて10~20分静置するのだが、こうした生理的反応が、無重力状態ではどのように変化するのか。そのために受精が困難になる事はないのだろうか。陰茎の勃起や男女のオーガズム期という、性反応の多くの場面で重要な役割を果たす組織の充血反応は、宇宙空間ではどのように変化するのか。それを阻害する方に働くのか、それとも高めるために働くのか。それを知るためには、性科学はとても重要な医学、医療の分野なのだと思う。

<資料>

1) William H. Mastersら: 人間の性反応(マスターズ報告), 池田書店, 1966.
 

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