神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年
世田谷区医師会副会長就任
2000年
世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年
日本臨床内科医会理事就任
2004年
日本医師会代議員就任
2006年
NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年
昭和大学客員教授就任
2017年
世田谷区医師会高齢医学医会会長
2018年
世田谷区医師会内科医会名誉会長
1950年
長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年
日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年
米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年
特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年
神津内科クリニック開業。
3月号

性における健康と人権 ~人間の性科学の課題を探る(III)~

   医学領域で性科学を専門とする医師の多くが、産婦人科医であり泌尿器科医であることは当然のことだと思う。産婦人科で不妊治療を行う際には、男性不妊は大きな問題だ。男性側の要因として、造精機能障害、精索静脈瘤、無精液症、逆行性射精、膣内射精障害などが問題となり、婦人科医のもとを男性が訪れることはまれではない。泌尿器科で扱う女性の疾患も、感染、腫瘍、骨盤臓器脱、閉経後泌尿生殖器症候群、尿失禁など少なくないからだ。

   日本の性科学、性評論家として1960年代に活躍したのが、奈良林祥、ドクトル・チエコ、謝国権の三氏だった。謝国権氏(慈恵医大卒)は、世田谷区上馬五丁目に産婦人科診療所「謝国権診療所」を昭和35年に開業した。私の自宅の若林とは目と鼻の先だったので、お宅の看板を見る機会が度々あった。謝先生は、日本赤十字社本部産院(現在の日本赤十字社医療センター産科)の産婦人科医局長在任当時、池田書店から「性生活の知恵(1960年)」という本(総計200万部を超えるベストセラー)を出版し、「日本人の性意識を変えた」といわれるほどの影響を及ぼした。


   その広告には「幸せなご夫婦に奉仕することですでに150万部。モデル人形を使った豊富な写真、わかり易い図解で、正しい性生活のすべてを解説。幸せな結婚生活を築くためには、かならず読まなければならない性の入門書」と謳っていた。定価は450円で、今の貨幣価値に換算しても1000円以下とリーズナブルな本だった。当時としては刺激的な内容ではあったが、産婦人科医として読者の幸福に貢献したいとの思いが強く、発売禁止処分にならないように十分に注意をして出版されたという。

   目次を見ると、「第一章 結婚と性生活 - p.19、第二章 男性と女性の性生理 - p.28、第三章 性交への誘い - p.49、第四章 性交とその態位 - p.59、第五章 性交との訣別 - p.124 第六章 男性のために - p.127、第七章 女性のために - p.170、第八章 青年期の性 - p.219、第九章 家族計画の必要性 - p.244、第十章 妊娠しない期間の見つけ方 - p.253、第十一章 受胎調節法の実際 - p.260」とあり、これに続編「これからのSEX」が出版され、「第一章 これからの性教育 - p.13、第二章 これからの性生活 - p.81、第三章 疲れない性交態位 - p.127、第四章 初夜の不成立を避けるために - p.188、第五章 新しく寝室を作る人のために - p.253」という、まさに実践書として一家に一冊備えたい、と思う内容だった。各家庭で今もどこかの書棚の奥に大事にしまわれているかもしれない。

   この本が池田書店から出版されたご縁からか、1966年にワシントン大学臨床産婦人科教授であり、同大学付属生殖生物学研究所長であるWilliam H. Mastersが、長年にわたる性科学的研究の成果を報告した学術書「Human Sexual Response(人間の性反応)」の翻訳に携わり、やはり池田書店から出版された。この本はその後、「Human Sexual Inadequacy(人間の性不全)」「Homosexuality In Perspective(同性愛の実態)」を加えて三部作となった。


異なる文化と異なる性環境

   「FSFI (日本語版) を用いた日本人女性の性機能インターネット調査2012」が公立陶生病院泌尿器科の奥村敬子氏、成田記念病院泌尿器科の武田宗万氏らから、日本性科学会雑誌 (38巻、2020年)に発表された。

   FSFI(The Female Sexual Function Index)は「女性性機能質問紙(札幌医大)」と訳されていて、Q1~Q19までの質問に対して、0または1~5までの5ないし6段階評価で答えるものだ。調査期間としては、質問紙を記載する前4週間の状況を答える。ちなみにQ1は「どれくらい性的欲求や性的な関心を持ちましたか?」との問いかけに対して、「5 殆どいつも、またはいつも、4 かなり頻繁に(半分以上)、3 時々(半分くらい)、2 数回(半分以下)、1 殆どなし、または全然なし」の5段階で答える。Q14は、「パートナーとの性交時に感じる心理的一体感にどのくらい満足感を感じましたか?」に対して、「0 性行動がなかった、5 とても満足している、4 中程度に満足している、3 満足でもあり、不満足でもある、2 中程度に不満足、1 とても不満足」の6段階で答えるものとなっている。

   対象者は20歳から79歳の女性合計1034人。調査方法はインターネットを利用して回答収集していて、匿名性が高いと考えられた。結果はFSFI全体の平均値が14.6点だった。年代別による平均値は、20代が21点、30代が17.3点、40代が16.4点、50代が13.1点、 60代が10.9点、70代が9.78点だった。この結果をどう評価するかは難しいところだが、海外文献ではFSFIの平均値は30.5点、19.2点以下を性的興奮障害としていた。この平均点の差を見ると、日本における女性の性環境が西洋とは異なることは確かのようだ。ただ、それが「障害」という定義に当てはまるかは疑問だ。日本女性(特に高齢女性)がしとやかで謙虚で、日本独自の女性文化を古来から引き継いで、その価値観を母から子へと手渡してきたことが、この平均点につながっているとしたら、それはそれで異なる評価が下されて然るべきだと思う。

マサイの性文化

   西洋と日本が異なるように、アフリカと日本にはかなりの文化的な違いがあることは間違いない。伝統的な文化が残る、ライオンを槍1本で倒す戦士の第二婦人として嫁いだ日本人永松真紀氏が書いた「私の夫はマサイ戦士」(新潮文庫、2014年)はその違いを浮き彫りにして大変興味深い。


<悩みが尽きない性生活>
   そしてもうひとつ、新たな悩みとして生まれたのが性文化の違いでした。西洋人とマサイほどの違いはありませんが、日本人とマサイの性文化も大きく異なります。
   マサイにとってセックスは子どもを作る行為であると同時に、男の快楽を得る手段なのです。そこには男と女が愛を確かめ合うといった双方向のものは存在しません。
   女に快楽があることすら、マサイは知らないのです。
   性的な欲求や興奮も、マサイと私たちでは反応するものは全く違います。男性なら万国共通に、露出度の高い女性を見ると興奮するものだと思っていましたが、ジャクソンはそんな女性の姿を見て、
「ナイロビはこんなに寒いのに、なぜ着ている服の布があんなに少ないんだ? 貧しくて布が買えないのか?」
と、真面目に聞いてくるのです。
   ちなみに、マサイの男性が美人だと思う女性の条件は、顔やスタイルではなく、身につけているビーズの多さだそうです。また、ケニア人全般に言えるのですが、ケニアでは女性の乳房は子どものためのものと捉えている人が多いのか、乳房に興味を示す男は西洋文化に慣れ親しんだ人か一部の若者に限られます。ここまでセックスアピールを感じる基準が違うと、逆に面白くなってきます。

—中略—

   西洋人のように濃厚なセックスを楽しみたいわけではないのですが、少なくともお互いが満足できる時間にしたい。セックスは愛情を確認し合う行為のはずなのに、マサイにとってのセックスには、その要素がありません。そもそもスキンシップのないマサイの愛情表現からすれば、当然のことかも知れません。
   日常的なことであれば、私もまだ文化の違いとして受け止めることもできますが、セックスは重要な夫婦生活の一部と思っていただけに、マサイの文化だからと諦めたくはない。ジャクソンが自分勝手な人ならまだ責められますが、性文化の違いから起きるすれ違いだけに、どう説明していいのか悩んでしまいました。

—中略—

   後日、私がジャクソンにセックスについて思っていることをようやく自分から切り出せたのは、結婚した後でした。その時はセックスに対する不満を打ち明けるというよりは、マサイ以外の人間の性に対する考え方を知って欲しかったのです。
   彼にとっては、女性から秘め事であるセックスについての話をされたことは思いもかけないことだったでしょう。しかし、ジャクソンは私のことを軽蔑も非難もせず、私の言わんとすることを一生懸命理解しようと努力してくれました。
セックス自体の時間の短かさに対しても、
「入れてからはあのくらいしかもたないし、すぐに二回目はできないから、その前の時間を長くした方がいいね」
と、歩み寄ってくれたのです。それまで、女性に快楽があることすら知らなかったジャクソンが、私の立場に立って考えてくれることがとても嬉しかった。

性における健康と人権に関する宣言

   多くの人種、多くの文化がある中で、性に関する科学的、社会的、文化的アプローチを全世界的にすすめることは大変な困難を要するのは想像に難くない。前述のように、日本では1960年代に謝国権氏らの積極的な介入によってその扉が開かれた。その活動は恐らく各国、各地域で少しずつ育まれ、人々の意識を変えていく力を蓄えていたのだと思う。その結果として、1978年に学際的NGO であるThe World Association for Sexual Health (WAS)が、世界中の性的健康と性的権利を促進することを目的として設立された。

   創設以来WASは科学に基づく学際的性研究、性教育、健康増進、行動と臨床性医学の進歩と交流を通じてその目的を達成してきたが、1999年に香港の大会で性的権利宣言を採択した。


DECLARE that:

1. The possibility of having pleasurable and safe sexual experiences free of discrimination, coercion, and violence is a fundamental part of sexual health and well-being for all;
(差別、強制、暴力のない楽しくて安全な性的経験を持つ可能性は、すべての人にとって性的健康と幸福の基本的な部分です)

2. Access to sources of sexual pleasure is part of human experience and subjective well-being;
(性的喜悦の源泉へのアクセスは、人間の経験と主観的な幸福の一部です)

3. Sexual pleasure is a fundamental part of sexual rights as a matter of human rights;
(性的喜悦は、人権の問題としての性的権利の基本的な部分です)

4. Sexual pleasure includes the possibility of diverse sexual experiences;
(性的喜悦には多様な性的経験の可能性が含まれます)

5. Sexual pleasure shall be integrated into education, health promotion and service delivery, research and advocacy in all parts of the world;
(世界のあらゆる地域で、性的喜悦は教育、健康増進、サービス提供、研究、権利として統合されなければなりません)

6. The programmatic inclusion of sexual pleasure to meet individuals’ needs, aspirations, and realities ultimately contributes to global health and sustainable development and it should require comprehensive, immediate and sustainable action.
(個人のニーズ、願望、現実を満たすために性的喜悦をプログラム的に取り入れることは、最終的には世界の健康と持続可能な開発に貢献することとなる。そのためには包括的、即時的かつ持続可能な行動が必要です)

   この宣言に基づいてどれほどの活動や成果が得られたのだろうか。寡聞にして我々臨床医の耳目に届いてはいない。地域住民の一番近くにいる我々が、医学、医療の専門家として性科学に関する知識を得ることは、フェアな試合をするために公正な審判が必要なのと一緒だ。さらにその知識を基に、患者とその家族、これから性に触れる若者たちを導いていくことが必要なのではないだろうか。次号では、William H. Mastersの研究成果を詳しく紹介することにしたい。



<資料>

1. 謝国権(Wikipedia):
https://bit.ly/3gXH1nP
2. ラクマ「大型デッサン人形」:
https://bit.ly/3H345vJ
3. 日本の古本屋:
https://bit.ly/33BCXq5
4. 奥村敬子ら:
FSFI (日本語版) を用いた日本人女性の性機能インターネット調査2012;日本性科学会雑誌 38(1): 43-54, 2020.
5. 女性性機能質問紙(FSFI)(札幌医大日本語訳):
https://bit.ly/3v8iEMj
6. 永松真紀:
「私の夫はマサイ戦士」(新潮文庫、2014年)
7. World Association for Sexual Health:
https://worldsexualhealth.net/

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