神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年
世田谷区医師会副会長就任
2000年
世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年
日本臨床内科医会理事就任
2004年
日本医師会代議員就任
2006年
NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年
昭和大学客員教授就任
2017年
世田谷区医師会高齢医学医会会長
2018年
世田谷区医師会内科医会名誉会長
1950年
長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年
日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年
米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年
特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年
神津内科クリニック開業。
3月号

ドクター神津自転車に乗る~LUUPの使用体験記

   私の祖父は神津猛といって、長野県佐久市志賀村の出で、長野県の発展に尽くした先人の一人だ。



   文豪島崎藤村が27歳で小諸義塾に赴任した時に、猛は22歳で塾長の木村熊二とともに島崎と会い、その2年後に出版することになる小説「破戒」の挿絵にする写真を頼まれている。出版に際しては、その費用400円(現在の経済状況では約200万円程度)を捻出するにあたっての島崎の生活支援をした。それに報いて、藤村からは「破戒」の扉に「この書の世にいづるにいたりたるは、函館にある秦慶治氏、及び信濃にある神津猛氏のたまものなり。労作終わるの日にあたりて、このものがたりを二人の恩人のまへにさ々ぐ」との謝辞をもらっている。24歳の祖父が、パトロンとして偉大な芸術家を世に出したことは、大きな驚きだ。その詳細は資料を読んでいただければご理解いただけるだろう。

 何事にも興味を持ってそれを深堀りする資質は、当時最先端であった西洋からの乗り物にも向けられた。長野県で初めて、志賀村で自転車に乗った話、自動車を買った話など、亡き父からいろいろと聞かされていた。明治時代の自転車といえば、前輪の大きなオーディナリータイプだが、祖父の乗っていたころにはもう前後の車輪径が同じものになっていたはずだ。志賀村は天領といわれる天皇陛下に献上する米を作っていた。その稲穂の輝く田んぼ道を、ガタゴトと音を立てながら楽し気に自転車に乗る祖父を想像すると思わず笑みがほころぶ。


自転車好きの人たち


   大学の勤務医時代、自宅から板橋まで車で通勤していた。環七を主に使うことが多く、甲州街道と交差する大原交差点、青梅街道を跨ぐ高円寺陸橋、中野通りと交差する大和陸橋で渋滞する。これをうまく抜けるには戦略的なアプローチが必要で、うまく走れた時はその日1日気分が良かったのを覚えている。
   高円寺陸橋の手前で左側に白いビルがあって、以前は整形外科疾患とリハビリテーションを担う地域の良質な小病院の一つだった。このビルが見え始めたら左車線から中央車線に戻るのがお決まりのコースで、当時は誰がやっているのか、誰が院長なのかも知らなかった。


いつもナビから


   その後大学を辞めて私が開業してから、PCやインターネットの研究会を通じて知り合った川内先生がその院長をしていることを初めて知った。彼とは年が一緒で考え方も似通っていたからか、心を打ち明けて話せる仲になった。一度私がいつも環七から眺めていた病院に招いてくれたことがあった。当時人気だった超小型自動車のSmartを買ったと病院の中庭で動かしてみせてくれて、自作パソコンで埋まった自室にも案内してくれた。インターネットの草分け期に精力的に活動した彼のことは、関係者なら日本中知らない人はいないというほど有名だった。



   惜しいことに、彼は癌で早く逝ってしまった。その彼の趣味が自転車だった。体格の良い彼が小さいサドルに大きな臀部を当てているところを想像するとなんとなくユーモラスだが、意外と自転車好きの人はこうしたバランスの人が多いように思う。おそらく、若い時にはスリムだったのだろうが、経年変化によって少しずつバランスを変え、しかし気持ちはいつまでも青年でいるからだろう。


若林にもNew waveが


   12月8日に、若林1丁目から引っ越して、若林5丁目に新しいクリニックを作り新規開業したのはご存じの通りだ。若林1丁目は三軒茶屋の商業圏の端にあり、世田谷通り沿いで通勤通学の人たちが行きかう活気のある雰囲気が近くまで漂う地域でもあった。昼のwalkingも茶沢通りから上馬、弦巻と、比較的人の多い歩道を歩いていた。それに比して、若林5丁目は住宅街で店はほとんどなく、歩いていても人にはほとんど会わない。以前みかみビルのクリニックに通っていた患者さんが「向こうはうるさかったけど、こっちはずいぶん静かですね、住宅街で」といっていたから、皆さんそれを感じているのかもしれない。

    先月2月くらいから大分新しい日常にも慣れてきて、昼休みの4時間を有効に活用出来るようになった。Walkingも復活して、若林から梅ヶ丘、代田まで足を延ばす。しかし、上馬、弦巻には普通に見られた、庭木や花壇を持つ一軒家が少ないのが残念だ。古い住民がapoptosisを起こしていなくなり、そこにウサギ小屋のような分譲住宅が次々と出来て街並みを壊していく。都心から外側へ外側へと勤労者がドーナツ状に移って行く現象は、世界中どの都市でも同じようだ。家賃が高くて都心には住めない、サラリーマンや非正規雇用の若い独身者が住むアパートやワンルームマンションが、雨後のタケノコのようにそこここに建っていることも、昼間に人がいない町になっている原因なのだろう。

    最近、その若林walkingの際に面白いものを見つけた。松陰神社から坂を下りてきたら、遊歩道の脇に小さな自転車が3台並んでいた。近づいてみると、それは電動自転車らしく、道路に面して洒落た立て看板があって、それがLUUPというsharing bicycleだった。



 Net mediaのロボットデータベースによると、
「小型電動アシスト自転車など、電動マイクロモビリティを用いた短距離移動シェアサイクルサービス「LUUP(ループ)」を展開する株式会社Luupは、累計4億5百万円の資金調達が完了したことを2020年6月1日に発表した。
2020年3月、独立系ベンチャーキャピタルANRIをリード投資家として複数のベンチャーキャピタル及び事業会社を引受先とする第三者割当増資を実施した結果、約3.5億円の資金調達を実施。2018年10月のベンチャーキャピタル複数社と個人投資家複数名を引受先とする第三者割当増資と合わせた累計が4億円を超えた」

という。若い才気活発なベンチャーが、未来のtransportationを見据えて一石を投じた覇気を、その時私は肌で感じていた。


LUUPに乗る


   若林にあるのを見つけてから、次の休みの時に実際に乗ってみようと計画を立てた。前の日にLUUPのアプリをダウンロードして、翌朝早くに自転車の置いてある駐輪場に向かった。ちょうどその日は小春日和で暖かく、自転車に乗るにはもってこいの日だった。

    まずはLUUPのアプリを開いて、自転車に付いているQRコードを読み込むと、ガチャンと施錠が解除される。運転を開始するには、目的地を選んで、そこのステーションに自分の乗った自転車を乗り捨てるためのスペースを確認しないといけない。アプリ上で示されるポイントを開くと、そのステーションの写真と駐車可能な台数が表示されるので、空きがなければ他のステーションを選択しなければならない。人によっては、ここらへんが面倒だと感じる人もいるかもしれない。



   今回は実証実験と割り切って乗ってみたので、それほどの違和感はなかったが、人込みの多い繁華街や駅周辺は乗り捨て禁止エリアになっているので、商業活動が活発なところに行き先がある場合にはこのシステムは使いづらいかもしれない。開発者はこの部分を「のりしろ」と称して余白を楽しむ趣向と説明している。それを含めて新しい生活スタイル、若い人たちの感性が次第にそちらの方に向かっているのを理解し提案しているのだと思う。馬車馬のように働くだけの「企業戦士」を輩出した、昭和という時代を遠くに押しやるような、そんな時代の流れを感じる。

    とりあえず、若林から三軒茶屋の銀行経由で大橋まで借りることにした。世田谷通りから246を経て首都高速の大橋ジャンクションの下にある「KAYUZO」というお粥屋さんに1台泊められるステーションがあったので、そこまで行くことにした。電動アシスト付きの小型自転車は、思いの外しっかりと動いてくれる。最初の踏み込みに多少力が必要だが、走ってしまえばそれなりに快適だ。ややモーターが硬めなのかエンジンブレーキが強くかかって、ペダルに足を載せて坂を爽快に走り下りる、という感覚があまりなかった。しかし、後で借りたもう1台は、意外とその走りが可能だったので、それぞれの個性というか、新しいもの古いもの、1台1台にそれぞれに違いがあるのだと思う。あと、サドルの高さは調節が可能だったが、ハンドルの高さは変えられなかった。私でももう少し高くしたいと感じたから、「高・中・低」3段階くらいの調節が出来ても良さそうに思う。また、小型で前輪が小さいのでやや不安定だ。前輪は後輪よりも少し大きめにしても良いかなと感じた。




   お粥屋さんに駐輪させて、最初のツーリングを終えると、少し離れた目黒川沿いのステーションに移動してもう1台乗り換えることにした。この時に電源ランプが点滅していたのだが、次のステーションはそれほど時間がかからない渋谷の円山町と決めたから、この電力で大丈夫と判断して乗り始めたのだが、これが大きな間違いだった。30%以下に電力が低下しているということは、モーター出力も30%以下に低下しているということだったようで、少しの坂が上れない。30%のアシスト能力しかないのは明らかだ。この状態ではこれから坂の多い渋谷にはとてもじゃないが行けないと分かった。それで、カスタマーサポートにSOSのメールを出すことにした。

 

神津仁
2021/02/03 12:15 JST
Chat started: 2021-02-03 02:56 AM UTC

(02:56:54 AM) 神津仁: でんどうが効いていなくて坂が苦しいです。
なんとかなりませんか?
(02:56:59 AM) *** 田中美帆 joined the chat ***
(02:57:08 AM) 田中美帆: 神津仁さま、お問い合わせいただきありがとうございます。
(02:57:13 AM) 田中美帆: ご不便をお掛けし大変申し訳ございません。
(02:57:49 AM) 田中美帆: お近くにポートがございましたら、そちらに返却していただきたいのですが、可能でしょうか。
(02:59:01 AM) 神津仁: 先程乗ってきて、終了したところが近くなので、そこまでは行けます。
(02:59:15 AM) 田中美帆: ありがとうございます。
(02:59:32 AM) 田中美帆: 大変お手数ではございますが、ご返却いただけますでしょうか。
(03:00:03 AM) 田中美帆: ご返却後、弊社にて課金取り消し手続き取らせていただきます 。
(03:00:14 AM) 神津仁: まだそこに自転車がありますか?また、料金はどうなりますか?
(03:00:43 AM) 田中美帆: 既に返却済みということでよろしいでしょうか。
(03:01:23 AM) 神津仁: これから向かいますが、自転車がそこにないと無駄足になるので。
(03:01:54 AM) 神津仁: そちらで把握できますか?
(03:03:09 AM) 田中美帆: こちらでは把握できかねてしまいます。
(03:03:14 AM) 田中美帆: 大変申し訳ございません。
(03:03:55 AM) 神津仁: 分かりました、行ってみます。私、71にそろそろなるのでくたびれるのが早くて^_^
(03:04:52 AM) 田中美帆: お手数おかけして大変申し訳ございません。
(03:05:12 AM) 田中美帆: 今回のライド料金は発生いたしませんのでご安心ください。
(03:06:49 AM) 田中美帆: 詳細は後ほど弊社よりメールにてご連絡させていただきますので、ご確認のほどよろしくお願いいたします。
(03:10:28 AM) 神津仁: ありました^_^
(03:11:03 AM) 田中美帆: ありがとうございます。
(03:11:27 AM) 神津仁: それで、これから乗る自転車を枠から先に出していいですか?
(03:12:26 AM) 田中美帆: 大丈夫でございます。
(03:12:37 AM) 神津仁: 了解です。
(03:12:51 AM) 田中美帆: 停車される自転車はポート枠内に返却いただけますと幸いです。

 

   チャットで受け付けてくれたスタッフはとても親切で、結局若林から乗ってきてお粥屋さんに乗り捨てた車を再度借りることにした。カスタマーサポートがいうように2台目の使用料金は請求なしにしてくれた。渋谷円山町のステーションはマンションの一角に設けられていて、LUUPが12台停まっていた。ここではより取り見取りで、電源もフル充電したものを借りられた。


円山町

若林小裏


   最終的に、神泉の駅から若林まで、淡島通りを通って帰ってきて、最後に乗り捨てた場所は、若林小学校裏のアパートだった。予想外に、ここが、この最先端のcommunicatorであり、transporterとしてのLUUPのstationなのか、と驚くよう場所だった。

   結局、実証実験の結果は私にとってはあまり芳しいものではなかった。現実はなかなか厳しい。我々医療者が度々感じる、厚労省の役人が「制度設計」したものが、実際に医療の現場では役に立たない、動かない、といった感覚に近いものを感じた。しかし、このシステムは始まったばかりだ。さらに都市型トランスポーターとして十分受け入れられる伸びしろがある。そう感じさせてくれたのは、岡井大輝氏(Luup代表/マイクロモビリティ推進協議会会長)の笑顔かもしれない。未来の自転車文化を創造していく手腕に期待している。



〈資料〉

1) 佐久の先:
https://bit.ly/3umRmzb
2)LUUP:
https://luup.sc/
3)ロボットデータベース:
https://bit.ly/2P2mXpr

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