神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任


1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。

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「謹賀新年」

 新しい年がまた明けた。何ということもない一日の次の日なのに、区切りを付けて意識を新たにするという人間の独特な文化に抗うことは出来ないし、それを受け入れる不思議さを思っている。太陽を中心に無機質である惑星が周期運動を繰り返すことを利用してリズムを刻む。太陽年は、地球が太陽のまわりを1周するのにかかる時間を1とする単位だ。1年が1太陽年で、この周期のことを対恒星平均周期という。水星は2ヶ月と20日ほどで太陽のまわりを1周し、冥王星は太陽のまわりを1周するのに248年かかる。地球がもっとゆっくりと太陽を回れば、一年は400日になるかもしれず、国会はもっと長く開けておかなくてはならないし、国会議員はもっと真面目に国民に施策を説明しなければならない。しかし、夏の暑さがさらに長く続けば、熱中症でさらに多くの人々が疲弊してしまうだろう。我々も救急搬送の数や病人の数がこれ以上増えても対応が難しい。今のリズムが地球の上では適当なのかもしれない。そんな広大な宇宙を夢想しているうちに、もうすでに今年の一日一日が過ぎて行く。さて、皆さんは今年をどんな一年にしたいのだろうか・・・。

■ 人を診る「安心の存在」
 テレビ朝日の番組「鳥越俊太郎の『医療の現場』」で私のクリニックが取り上げられたことがあった。2009年7月18日の18時から30分の番組だが、BS朝日というローカルなものなので、見た方は少なかったかもしれない。主題は「かかりつけの医師、その重要性」というもので、「父から子へ! 2代目医師に密着」がサブテーマだ。これは日本医師会の提供番組で、日本医師会の事務局から直接オファーがあった。たまたま少し前に同じような番組を作った経験があったので、密着取材も気にならなかった。私の父が地方から出てきて世田谷の地に開業をした初代の話から入って、私の外来診療と在宅医療の取材、そして私の次男の研修医に「自分も父と祖父のように、病気だけではなく、人間を見る医師になりたいと思ってます」と言わせて終わるのだが、なかなかよく出来た番組だった。クリニックで研修医に講義をする時には必ず見せてあげることにしている。その中で、directorがかかりつけ患者さんの何人かにインタビューし、「あなたにとってこのクリニックはどんなものですか?」とたずねる部分がある。そこでFさんが「僕や家族にとっては『安心の存在』ですね」と話したことが気になっていた。番組の最後に現れる「かかりつけ医=人を診る安心の存在」というスライドには、我々のやっている医療のすべてがそこに集約されているようにも感じた。気になっていた、と書いたのは、実はこの番組をビデオも含めて何回も見ていながら、「安心の存在」という言葉を正しく認識していなかった。

 最近、日臨内ニュースの「時流」というコーナーに一文を寄せるように依頼を受けていろいろと考えているうちに、この「安心の存在」ということに強く意識が引かれるようになった。そこに書いた一部が以下のものである。

 「先生がいてくれるおかげで元気に生きていられます」と感謝する患者さんが多くいる。
 「また外来の先生が代わって、私のことを知っていてくれる先生がいなくなった」といって都心の大病院から紹介状を持って地域に帰ってくる患者さんが増えてきた。そういえば、知らない間にもう開業医になって19年が経とうとしている。地域に根ざした医療が地域医療だといつも話しているが、それだけ根が張った医療機関になったのだろう。
 診療報酬や窓口負担という食い扶持の話は置いておいて、医師の顔を見て声を聞くだけで元気が出るというのは、どこの地域でも共通の臨床内科医への評価だと思う。私が読んだイギリスの本に、「薬としての医師」という言葉が出てくる。経験を積んだプロフェッショナルとしての医師は、患者の精神を安定させ、病状を緩和する力をもつという意味だ。それは良く効く薬にも匹敵する。
 こうした、ある「存在」そのものが、それに触れる人間の生命力や気力を高めることが出来るのは驚きだ。かつては患者に寄り添い、寄り添うことしか出来なかった時代の医師達は、その存在そのもので病魔と闘ったのだろう。医師がそこにいるという「存在」そのものが患者にとって必要な医療技術だと分かっていたからだ。
 最近では、この「医師の存在による医療行為」というものが認識されなくなってきた。尿検査、血液検査、心電図、肺機能検査、超音波エコー、内視鏡検査、マンモグラフィー、CT、MRI、SPECT、PET、血管造影などあげればきりのない検査と、高血圧、糖尿病、脂質代謝異常、高尿酸血症などメタボリックシンドロームへの大量の薬剤、抗癌剤に輸血に透析に臓器移植にetc.と、何かをやらないと医療ではないという時代になってしまった。
 しかし、何かをやったから患者が元気になるとは限らない。その結果を医師の口から聞き、その結果どうやって生きていけばよいかを医師とともに考え、医師を良き友、良き杖として頼ることによって元気になるのだ。それが内科医の大きな役割である。内科医の存在を過小評価してはいけない。

 そして、「ここには、チヌーク語でいう『ポトラッチ(potlatch)』があり、それは無償なもので、医師が患者に贈与したものといえる」と書いた。
 実は、知人にマルセル・モースの「贈与論」という本を紹介されたのがそのきっかけだった。その知人は明治大学の「野生の科学研究所」を主催している一人で、現在は事務局長をしている。

http://sauvage.jp/

■ 贈与論
 この本は単行本にしては1,200円と高かったが、難解で読み応えがあることを考えたらそれなりの値段だと納得した。吉田禎吾氏の訳者あとがきにはこう書かれている。 「人間社会にはいたるところで、人から物を貰ったり、お返しをしたりする行為が見られる。これは日本に限らず、洋の東西を問わずに地球上いたるところで行われている。このような贈与の行為を社会学的、社会人類学的に最初に研究したのがマルセル・モース(Marcel Mauss: 1872-1950)である」
 そして、帯書きには「ポトラッチやクラなどの伝統社会にみられる慣習、また古代ローマ、古代ヒンドゥー、ゲルマンの法や宗教にかつて存在した慣行を精緻に考察し、贈与が単なる経済原則を超えた別種の原理を内在させていることを示した、贈与交換の先駆的研究。贈与交換のシステムが、法、道徳、宗教、経済、身体的・生理学的現象、象徴表現の諸領域に還元不可能な「全体的社会事象」であるという画期的な概念は、レヴィ=ストロース、バタイユ等のうちの多くの思想家に計り知れない影響とインスピレーションを与えた」とある。「不朽の名作、待望の新訳決定版、人類社会のアルケー(世界の原理、根源)へ!」なのだと高らかに謳っている。

■ 医療の理想と悲惨な医療制度の現実
 医師が医術を駆使して、患者の病気を治療し、悩みを解決し、安心して生活して行ける、生きて行けるようにする行為は、何ものにも代え難いものだ。その御礼にと、王であれば土地や建物や爵位まで与えた。貨幣経済前であれば、獲った獲物や、作った米や農産物、釣った魚が感謝のしるしになった。医師にとって、人々に贈与したものがそうやって贈りかえされてきた。信頼と満足が医師患者関係に強く働きかけていた。貨幣経済になれば、その感謝は貨幣によって返り、医師は裕福になった。すると、またその見返りとして富んだものが富んでいないものに対しての「赤ひげ医療」が行われた。今でも、医療の恩恵を受けた人達が、「先生から受けている健康と安心を、こんなものでお返しすることは出来ないのですけれど、どうぞお収め下さい」とお歳暮やお中元を持ってくる。これは人類共通の行為だ。洋の東西を問わない。

 この原理を壊したのが医療保険だともいえる。医療行為に公定価格を付け、医療への感謝は貨幣でいうとこのくらいで良い、と国が決めてしまった。それは、国が富国強兵のために、国を富ますためには医療を安く国民に分配することが必要だと考えたからだ。日本国憲法第25条にあるように、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」のであって、その当時の社会状況に合わせた「最低限度の健康」を維持するために、医師達に協力を求めたのだ。その代表として日本医師会が責務を負った。医療保険の原資が一応あることにして、医療行為を受けてもその代価の数割を支払えば、医師の診療を受けられるとしたのだ。そのために、医師は「保険医」という保険医療を扱う医業者となった。最初は、自由に診療費を決めて良い自由業としての医師と、保険医としての医師の二つを上手く使いこなせば良かった。しかし、国民の殆どが保険に加入することになった昭和36年の国民皆保険制度を契機として、医療提供体制を国のコントロールの元に置くことが官僚統制の矜持となった。混合診療禁止という取り決めは、保険医として医師をコントロールしようという呪縛そのものだった。社会状況は変化し、医療保険による診療が当たり前となると、進歩発展する医療技術の多くを保険診療という枠組みの中で何とか賄おうとした。日本経済が右肩上がりの時には、税金も豊富に入り、自治体や会社経営の保険組合は医療費に使う以上にふんだんに保険料が入ってきたため、日本中に保養施設を作り始めた。本来なら、それは医療費に使うべきものである。進歩発展した医療技術を使うには、大きな資金が必要だということを忘れて、というか殆ど考えもせずに浪費してしまったのだ。本来であれば、疾病にかかった社員や国民が受けられるようにすべき資金を保全してあるのが当然であるのに、その自己反省も責任追及もなしに、今はなくなったといって、診療報酬を出し渋っている。「医療には消費税は馴染まない」といって、「その消費税分を診療報酬で手当てしてきた」などと医師をゴマカシてきたが、ここへ来てそのゴマカシも効かなくなって来たようだ。
 インターネットニュースの12月12日の記事が、その実態を国も認めざるを得ないということを示していた。

 社会保険診療や介護保険サービスは、高度の公共性を有する観点から、消費税が非課税となっている。一方、医療機関や保険薬局、介護サービス事業者の仕入れにかかる消費税については、課税扱いであるため、診療報酬および介護報酬を通じて、消費税分を上乗せすることで、医療機関などに負担がないようにしている。※これが全くの建前論なのは以下の説明で明白になる(筆者注)
 厚労省からは、辻泰弘副大臣が出席。保険診療などへの消費税非課税の措置について、「一部の医療機関において、診療報酬などによる消費税部分の上乗せは十分でなく、仕入れに要した分の消費税の一部が還付されていない状態になっている」との現状を報告(※赤線・下線は筆者)。一体改革成案で、2010年代半ばまでに段階的に消費税率を10%まで引き上げ、当面の社会保障改革にかかる安定財源を確保するとしたことを踏まえ、「消費税を含む税体系を見直す場合には、保険診療などにかかる消費税の在り方を検討していく必要がある」との見解を示した。
 この日の総会終了後に記者会見した五十嵐文彦財務副大臣は、「きょういろいろご指摘をいただいた。これから論点を整理し、年内に素案を取りまとめたい」と語った。

 医療の理想を追い求める我々の現場の悲惨さは、そこに居て、考えることをして初めて見えてくる。忙しい日常に流されては見えてこないものがたくさんあるのだ。少し立ち止まり、歴史を振り返る。人から聞くのもよし、本を読むこともよし、自分の目で見て、自分の耳で確かめる。そして、正々堂々とstatementする。今年はそんな言葉をどれだけ発することが出来るか、楽しみにして頂きたい。


参考資料:
1)太陽系データ http://edugeo.miyazaki-u.ac.jp/earth/edu/solar/solardata.html
2)Star Walk、NASA, ESA and the Hubble Heritage Team画像
3)2011年12月12日 17:26 Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111212-00000002-cbn-soci

2012.01.01.掲載 (C)LinkStaff

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