神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任


1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
      運動部主将会議議長、学生会会長)
      第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
      医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。

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「酒とバラの日々」

 “Days of Wine and Roses ♪”Julie Londonが歌う、ゆったりとしたスタンダード曲が好きだった。昔はすべてがゆったりとしていて、まどろむようなゆるい時間が過ぎていた。最近は毎日の忙しい時間の繰り返しで、こうした時間を持てないでいる。
 仕事から離れてリラックスするのに最も良いのは、少しのWineだと思う。好きなWineをグラスに注いで光にかざす。グラスの内側をゆったりと優雅に流れるwineの”足”を見ながら、どんなブーケを嗅ぐ事が出来るのかと期待が高まる。嗅覚というのは眼球と同様に脳がそのままニョキッと外に飛び出した脳の一部である嗅球が刺激されて生じる感覚だ。アルツハイマー病ではかなり初期から嗅覚が低下するといわれている。副鼻腔炎があるとさらに嗅ぐのが難しい。いつまでもWineの香しいbouquetを嗅ぐ事の出来るように、健康でなければと思う。

Julie London
YouTube (http://www.youtube.com/artist?a=GxdCwVVULXcDp-r8lqairvA1MY6whZti)

 私が最初に飲んだワインはBordeauxの甘口白ワインBarsacだった。文学青年だった私は、知人にローストビーフの店に連れて行かれて「お飲物は何がよろしいですか?」と聞かれた時に、ワインリストの中から「文豪バルザック」の名前を見つけて、それをチョイスしたのが最初だったと記憶している。20歳の時だった。そのハーフボトルを「記念に」と家に持ち帰ってしばらく部屋に飾っていたように記憶している。今ならCalifornia Syrahの”Valley of the Moon”を頼むのだけれど。

バルザックの白

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【Valley of the Moon】アメリカのnet shoppingでは、14ドルの定価が、10ドルにsaleされていました。しかし、oakの香りにタバコとブルーベリーの香りが加わって、独特のsyrahの香りになっている。色はビロードの深みを帯びて2、アロマは、複雑で独特の香りを持つ3、tasteはやや浅く3、全体像は4、計12。この値段ならCost Performanceは最高だ。
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 Wineについては、いろいろと不思議な因縁がある。父親の友人であった三洋出版の鈴木社長が「ラルースワイン辞典」を出版したので、と一冊送ってくれた。日本酒派の父親は、私がWineに興味がある事を知っていて、その本を私に譲ってくれた。ハードカバーに入ったその本は、Aから始まってZで終わる素晴らしいワイン大全だった。Wineのことをもっと知りたいと思っていた私には願ってもない一冊だった。一ページ一ページを愛おしくめくった至福の時間を思い出す。
ラルースワイン辞典
(辻静雄監修 ジェラール・ドゥビュイニュ著 末吉幸郎、坂東三郎訳 三洋出版貿易 1973)

Aから始まり、Pにはパスツール

 大学を卒業し、第一内科、神経内科へと臨床の駒を進めていた頃だった。アルコール性の脊髄神経障害のSさんが入院してきた。神経疾患はすぐには治らない。アルコールを断って、ビタミン治療をするためには長期入院が必要になる。大学病院ではさすがにそこまでの長期入院は無理なので、市中の慢性病床を持つ私立病院に継続入院をすることになっていた。私が第一内科の医員であった時代にアルバイトをしていたA病院がそうした病院の一つになっていた。Sさんをその病院に転院させ、私も週に一回出張に行って回診をすることになった。
 Sさんはいろいろな経験を持つ粋人であった。映画の宣伝用ポスターのデザインを頼まれているといって、病室のベッドの脇にある床頭台でノートや新聞チラシの裏に書き物をしていた。大したものではないだろうと思っていたら、「007映画」だったので驚いたことがあった。
 医師患者関係が濃密になると、いろいろとプライベートな事に話が及ぶことは良くある事だ。「フランス語の翻訳もやっていました」というので、「どんな本ですか?」と尋ねると「ラルースワイン辞典なんかもやりましたね」というので、「ああ、そういえば昔父から三洋出版の鈴木さんから頂いた事がありました」と答えた。「ええっ、鈴木さんの事をご存知ですか? 私の恩人なんです」とそんな話に発展した。後日ラルースワイン辞典の裏表紙を見て驚いた、確かにSさんの名前が書いてある。韓国ドラマだと「運命的」な出会いという事になるが、縁というのはどこまでも奥が深いものだ。
 この出会いの30年後、渋谷の老舗のスペイン料理店を訪れた際に、店主の児玉さんと話が弾んだ。児玉さんはヨーロッパを点々として、その国、その地方の料理を覚えるようになって、自然と料理人となった自由人だ。当時実存主義の論壇で飛ぶ鳥を落とす勢いのサルトルとボーボワールにも会っている。その彼がパリにいた時に、Sさんと会っているというのだ。それも、Sさんに聞いた話そのものを記憶していた。
 Sさんはパリに素敵な彼女が出来て、日本に帰る時にその彼女を置いて帰るのだが、彼女が日本へ連れて行って欲しいと懇願して、その話を日本人がたまり場としていたカフェで開けっぴろげにしていたという。当時のパリで、この話は相当有名なラブストーリーだったようだ。そして、彼が日本に帰ってDays of Wine and Rosesの日々を過ごし、アルコール性脊髄末梢神経障害で私の患者となる。不思議な縁を感じないわけにはいかない。そして、今、私はWineに魅せられてワインセラーの中に約30本のWineを常時蓄える事になった。
左端がPetrus、次がChateau Margaux、その右がChateau Mouton Rothschild (Pauillac)

 Wineもいろいろあるので、どれを選ぶかはその人がどのようなルートでワインの知識を得たかで大分変わってくるのだと思う。自分の体調が良くないと、いくら良いWineでも美味しく感じない。出される食材や料理の仕方で選ばれるWineが変わってくる。レストランなら、ソムリエがお客の体調や料理に、懐具合に合わせてその時に最も相応しいWineを選んでくれるのだが、自分の家でそれをやるのはなかなか難しい。大体、妻の料理がWineに合うものとは限らないし、むしろ合わない料理のオンパレードだから、どの一本をいつ開けようかといつも迷う。まあしかし、それも楽しみの一つで、お客がくればwelcomeのためにここぞという一本を開けてしまう。長男のお嫁さんが来ると、いつも良いWineが出てしまう。これも楽しみの一つ。

California wineのtop “Opus One”
2006は出来の良い年。ボルドーワイングラスに注いでみると、木目の細かさに驚く。2
と同時に、注いだ時に強いアロマに驚いた。3
口に入れると、ビロードの様な舌触り、麝香の香りを感ずる。タンニンは陰に隠れているが、しっかりとした味の背景を作ってワインそのものに深みが増している。4
最大級の賛辞を惜しまない。5
計14、満点。
 ここ2年くらいは、ラベルを剥がしてラベルアルバムを作っている。今のところ3冊で104本のラベルが集まった。同じ銘柄を何本も飲む事があるから、恐らく130本くらいはこの2年で飲んでいる事になる。週1本ペースだから、まあいいペースだと思う。フレンチパラドックスならぬ世田谷パラドックスになれば良いのだが…。高いワインもあれば安いワインもある。義弟がCaliforniaにいて、時々日本に来る時にWineをねだって持ってきてもらっている。
Trader Joe'sで$1.99。2005年のChardonnayは最高に美味。
 直輸入のWineはやはり美味しくて、昔メルシャンのワイン部長の方に頂いたマグナムボトルの直輸入ブルゴーニュワインもとても美味しかった。新潟で飲んだ「越の寒梅」が、東京の乾燥した空気の中ではそれほどでなかったのを覚えているので、恐らく、蔵元に行って飲むワインが最も美味しいのではないかと、老後に訪れるヨーロッパ旅行に思いを馳せる今日この頃である。

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