神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任


1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
      運動部主将会議議長、学生会会長)
      第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
      医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。

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「新しいことが始まる春に…」

 最近Twitterを始めた。最初はなんのことだか分からなかったが、どうやらコミュニケーションの新しい形のようだ。140文字で「今どうしている?」という書き込み部分になんでもよいので書き込んでいく。これをツイートという。誰かの書いたツイートを読んでみたいという人は、フォローという機能を使うとその人がツイートした時に自分のホームに自動的に書き込まれていく。今は、鳩山首相のツイートと、東大医科研の上先生をフォローしている。上先生には何人かのフォロワーがいて、そのツイートも入ってくるので、いろいろな人の意見を読むことが出来る。短い文章なので、文学的センスが無いと無味乾燥な印象は否めない。少しはユーモアとかチャーミングな言葉を交えながらツイートすれば良いのだが、そのうち「ツイート文学賞」でも出来れば改善するのかもしれない。
 Twitterを、政治的な意味や人々をオルグすることをもっぱらとする場合もあるらしく、硬い言葉が続くことも多いのだ。Wikipediaによると「イランの大統領選の抗議活動の参加者たちは、規制から漏れた数少ない通信手段として、Twitterで連絡を取り合っていた」「2009年7月21日、日本政府は、民主党の藤末健三参議院議員の質問主意書に対し、選挙運動でのTwitterの利用は、公職選挙法で禁じている、違法な文書図画の配布に該当するという見解を示した」などとあるから、どこかでひそひそといろいろな会話がつぶやかれていそうだ。何気にへんなことを言うと、それが問題になることもあるかもしれない。キーボードを叩く時には、いつも慎重な心のあり方が必要なのだろう。
 ちなみに、私のニックネームは「hitoshikozu」としてあるので、フォローしていただける。

 もう一つ、最近始めたものが「iMovie」の編集だ。iPhoneを始めたのは皆さんにお話しした。iPhoneと合わせて必要なのがMacBook Proで、このコンピュターで必要なソフトがiLifeとiWorkだ。Windowsでいえば、MicrosoftのExcelやPower Point、Publisherのようなものだが、Windowsのソフトよりずっとsophisticatedな表現が出来るので、医学研究者は好んで使うソフトだ。その中に、このiMovieがある。写真やビデオを取り込んで、ハリウッド映画並みのDVDが作れる、というのだが、そこへいくまでに長い時間がかかることはご推察通り。一つのプロジェクト(作った作品のことをこう呼んでいる)を作るのに、今まで使ったことの無いソフトなので悪戦苦闘して、とうとう午前様になるという日が何日も続いた。おかげで寝不足になって、頭がボーッとする日も多かった。その成果を、YouTubeに載せてあるので、興味のある方は見て頂ければと思う。


http://www.youtube.com/watch?v=LYNSBtCdG30
 全国在宅医療推進協会のホームページにも、最近私が作った動画を載せてある。こうやって動画で内容をアップすると、実際の内容がよくわかる。編集次第では実際より見栄えがするので、今後はこうした方法が一般的になるのだと思う。

http://www.zenzaikyo.jp/

 更に新しく始めたことがある。それはスペイン料理のグルメ探求だ。フランス料理やイタリア料理は食べ慣れているが、スペイン料理はあまり食べたことが無かった。パエリヤが代表的な料理だというくらいは知っていたが、それ以外で何がどうだということは知らなかった。ところが、私の長男がスペイン料理店を始めたというので俄然興味が湧いてきた。そういう目で見てみると、実は世田谷の若林にもスペイン料理店があることに気づいた。「La Luna Llena」というのがそれだ。若いシェフが一人で料理を作り、奥さんがフロアを担当する。4席ほどのカウンターとテーブルが3卓で、10数人ほどが入れる小さな店だ。雪の降る夜に予約を入れていったのだが、Googleの地図でもよく分からなかった。それもそのはず、表に出ている看板は本当に小さくて、レストランは地下に降りていくところだから見逃してしまう。看板も、よくよく見ないと、それがスペイン料理店の看板とは分からない(神津内科クリニックも似たようなところがあるなぁ、15年経っても「こんなところにクリニックがあったのですか」と言われるから)。


 さて、そこの料理が美味しかったので、以前はどこでやっていたのかを聞くと、渋谷のLa Playaで修行をしていたとのこと。では、そのLa Playaというのがどういったレストランなのか? 知りたくなった。
 少しここでスペインについての知識を入れてみたい。
 スペインはヨーロッパの南西部のイベリア半島に位置する。立憲君主制で現国王はファン・カルロス1世。国境を接するのは、西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、モロッコとも接していて、多様な文化の影響を受けている国家といえよう。人口は約450万人で、2008年のGDPは世界の11位。カトリックが94%を占める。120万年前にすでに人類がイベリア半島にいたことは、アルタミラ洞窟に壁画が残っていたことから推察された。この時期には、地中海側にイベリア人が、北東部から大西洋側にケルト人が、またピレネー山脈西側にはバスク人が居住していた。紀元前500年頃はフェニキア人とギリシャ人が地中海側に植民都市を作り、その後ローマ帝国に支配され、原住民のケルト人やイベリア人はローマ化されていく。この頃ローマ帝国の穀倉地帯となって貿易が盛んになると、オリーブオイル、ワインなどが輸入される。ローマの支配は409年に終わり、711年頃にはイスラム勢力によって征服される。その後の780年以上に渡るイスラム支配に終焉を迎えたのは、14世紀後半になってから。この頃、イサベル女王が資金を出したクリストファ・コロンブスが新世界に到達している。15世紀にアメリカ大陸の金銀財宝を得て、スペインは「太陽の没することなき帝国」と呼ばれる大帝国になった。その後、1793年に革命後のフランスと戦うが勝利を得ることは出来ず、和平を結ぶが、フランスの衛星国となってしまう。19世紀には共和制に移行した時期もあったが、短期間で王政復古する。しかし、その後国内の紛争は収まらず、1936年に人民戦線政府が成立すると、軍部が反乱を起こしてスペイン内戦が勃発する。3年に及ぶ内戦は、ナチスドイツとファシストイタリアの支援を受けたフランシスコ・フランコ将軍が率いるナショナリストが勝利した。しかし、この内戦で50万人が死亡し、50万人が国外逃亡したといわれ、スペインは大いに疲弊してしまった。この頃に戦場マスコミとしてのアーネスト・ヘミングウェイ、ジョージ・オーウェル、ロバート・キャパなどが活躍したことは良く知られている。第二次大戦後、フランコ将軍が亡くなった後に、その遺言によって、ファシズム政権は王政復古し、ファン・カルロス国王が国家君主になる。こう見てみると、スペインという国が持つ運命、個人ではどうしようもない大きな歴史の波に飲み込まれた人々のつらい過去が見えてくるようだ。

 さて面白いのはスペインの食事習慣。スペインでは、5回食事をするのだという。朝は起きがけにパンなどを食べるDesayunoデサユノという朝食をとる。午前11頃にはMerienda media Mananaメリエンダ・メディア・マニャーナとしてサンドイッチ、タパス(おつまみ)などを食べる。午後2時頃には主食として、フルコースの昼食Almuerzoアルムエルソをとる。午後6時頃、Meriendaメリエンダとしてタパス、おやつを食べる。そして午後9時頃に夕食としてCenaセナ、スープ、サラダをとる。お酒は赤白のスペインワインやCavaというスパークリングワインがある。Pesquera Tinto Reservaは「スペインのペトリュス」とロバート・パーカーを唸らせた逸品。Cavaは値段が安くてしっかりとした風味を持つので、シャンパンよりもお得なスパークリングワインだ。シェリー酒は有名。英語ではsherryだが、スペイン語ではJerezヘレス。また、カクテルとしてサングリアがある。サングリアは赤ワインとオレンジ、イチゴ、レモン、ザクロなどの果物を一緒に浸けて一日置いてから、冷やしてシナモンステックを添えて出す。炭酸で割っても良い。スペインでは家庭によって作り方が違う。日本でも、レストランによって違うので、まずこれを頼んでみるとその店の特徴を知ることが出来る。スペインには、Barバルという居酒屋があって、基本は立ち飲みをする。お店によって小さな皿で出す「おつまみ」がそれぞれ違っているので、自分の好きな酒のつまみをそれこそ「つまみ」ながら、一軒、また一軒とハシゴをするのがスペインのお父さん達の習慣なのだそうだ。


 こうしていろいろとスペインについて知ってみると、意外と親しみがわく。ところで、そのLa Playaというスペイン料理店だが、シェフはオーナーシェフの児玉氏で、渋谷に素敵な店を出している。以前はスペイン大使館の料理長をしていた方で、日本のスペイン料理の草分け。九州男児に見られる豪快さと繊細さを兼ね備えているシェフらしいシェフだ。ここのパエージャPaella(日本語ではパエリア)は、「白いパエージャ」。実は、サフランやターメリックによって色付けされる黄色い色は、イスラム教の象徴なのだそうだ。780年以上支配されていたスペインの人たちは、この黄色い色を嫌う。だから「色をつけない白いパエージャを食べるのだ」と児玉シェフが教えてくれた。アサリの入った塩味だけのパエージャが、スペインの歴史と相まって、複雑で美味しいものとして脳に伝わった気がした。児玉氏は若い頃からヨーロッパ中を旅行し、住み込み、レストランで修行をし、女性を口説いては青春を謳歌したという。サルトルにもボーボワールにも会った、と毎回楽しい話をしてくれるから、是非読者は実際に食べに行って、直接その話を聞いて頂ければと思う。

2010.04.01.掲載 (C)LinkStaff

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