ドクタープロフィール
神津 仁 院長
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2008年5月号
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『地域医療崩壊の足音が聞こえる・・・』

 この春4月から、医療分野でいろいろな制度変更が行なわれたことはご存知のことと思う。75歳以上の国民を対象に「後期高齢者医療制度」が始まり、この保険料が年金から天引きされることになって論議を呼んでいる。


 我々医療機関では、75歳の患者を診る場合に「後期高齢者診療料」を診療報酬として頂くことになっているが、この制度で新しい診療料を医療保険から頂く場合には、手挙げ方式といって社会保険事務所に届出が必要である。届け出なければ診療報酬は保障されない。それだけでなく、診療の内容についていろいろと書いたものを患者に提示し、数ヶ月の予定表や緊急入院の出来る病院名を記入したり、最後に患者本人の署名を求めたりしなければならないのだ。記入用紙が出来てはいるが、これを使いたいと思うようなものではない。中身はといえば、国にとやかくいわれなくとも地域医療の現場で我々がすでにやっていることだ。国は新しい診療点数を付ける度に、それがきちんとやられているかどうかをチェックする方策として、記録を残すようなシステムを必ず要求してくる。今ではそれが塵も積もって山のようになってしまっていることをどうして気付かないのだろうか。不思議でならない。日本各地の医師会がこの制度の欠陥を指摘している。この制度による診療をやめようと医師会員に指示を出している医師会もある。本当にこの制度が日本を救うのか怪しい。むしろ日本の地域医療を壊していくのではないか、そんな危惧を感じる。


 日本の医療機関が抱える大きな問題として、欧米の医療機関より専従のスタッフ数が少ないことがあげられている。医師は平均して欧米の三分の一しかおらず、医師の補助をして事務を扱う専門のスタッフはさらに少ない。現在、医師が専門職として行なう必要のある医行為以外に、現場で行なわなければならない事務量は膨大なものとなっている。ここ7~8年の間、診療報酬の改訂の度にさらに事務量が多くなっている。医師だけでなく、医療事務スタッフも洪水のような事務量に四苦八苦している。そこにモンスターペイシェントが一人でも来れば、確実に「医療事務崩壊」が待ち構えている状況だ。開業医の受付事務がお手上げになったら、医業活動そのものが出来なくなる。国の強引な医療機関のIT化も含めて、これが「地域医療崩壊」の引き金をひくことに繋がるかもしれない。


 医師の医行為は、基本的には他の分野の技術者と一緒で、豊富な知識と経験に基づき、考え、判断し、神経を集中して的確な決定を下す、というプロセスを経なければならない。そのためには、頭脳を明晰に保つための十分な心身の健康が必要だ。航空機のパイロットには搭乗時間の制限があり、健康を保つための余裕のある暮らしが保障されている。少しの間違いが乗員の生命にかかわるからだ。タクシーの乗務員でさえ、タクシーを安全に運行するため、夜勤をした次の日には睡眠をとって心身を健康に保つよう指導されている。患者の生命を守る医師も同じで、劇薬を処方したり、メスで患者の臓器を切ったり縫ったりするわけであるから、医師の精神状態や身体が健康で気力が充実している必要がある。しかし、多くの若い医師たちは疲弊して不健康な状況で働いている。夜勤の後も日中のルーチン業務をこなし、手術をし、またその夜にon-callで病院に駆けつける、という毎日を過ごしている。今のような労働基準法違反ともいえる勤務医の過剰労働は、病院内で日々患者の生命を脅かしている状況といっても過言ではない。


 この状況は欧米でも同じで、古い医師たちが「自分たちも同じように出来たのだから、あんたたちもやらなければ一人前の医師にはなれない」と、あたかも『通過儀礼』のように若い医師に過酷な労働を強いている。アメリカの研修医はその眠気を取るために覚醒剤を使って問題になった。一人前の医師として得なければならない経験は、多くの時間を要することはもちろんである。平時の安全保障として24時間365日入院患者や地域住民の生命と健康を預かるため、夜間勤務も当直勤務も必要となる。しかし、社会は確実に変化していて、昔可能だったことが、今は不可能であることがたくさんあることを理解する必要があるだろう。


 50~60年前には、心電図は最新医療機器であったし、CTも超音波エコーもなかったのだ。医学部で教わる知識はその当時の50倍になっている。以前は助けられなかった疾患が今では治療が出来るようになったために、医師がやらなければならないことが格段に増えている。救命することが可能になった分だけ、その後の介護やリハビリテーション、障害者や高齢者を支える社会システムの整備が必要となり、そこに医療専門職が係わらなければならない場面も増えている。医師が書かなければならない書類は次第に多くなり、さらに多くの時間をこうした事務手続きのために割かねばならなくなっている。元々日本では「一騎当千」というのが優秀な人を表す代名詞だが、それは戦国時代「やあやあ我こそは○○なり!」と人を殺すことを職業としていた武士が、組織化もされていない農民たちが槍を持たせられて足軽になっている、そんな烏合の衆を蹴散らすことの出来た時代のことだ。


 飛び道具が発達し、戦いが空中戦となり、後方の戦力補強と物資補給が戦いの雌雄を決する時代では、この比喩は成り立たない。いくら優秀な人材がいても、人間一人が頑張れる時間は限られている。優秀な医師をサポートし、その医師が長く継続してその力を十分に働かせることが出来るように環境を整える必要がある。欧米では、その重要性に早くから気付き、戦いのための戦術として、リフレッシュ期間を兵士に与え、第一線で働く兵士が常に旺盛な士気を保つために、多くの物資と潤沢な資金を用意したのだ。それが、第二次世界大戦で日本が破れた要因だ。世界の事が分かっていた日本の知識人たちは、アメリカを相手に戦をしたら長くは持たないと知っていた。それだけ豊かな環境を当時のアメリカは後方に持っていたのだ。


 疾病との闘いでも、日本はこの「一騎当千」主義を日本の若い医師たちに強いている。後方支援の無い医療戦線で、今前線離脱する若い医師たちが増えている。いやいや、若い医師たちだけではない。国家管理による毎年2,200億円の医療費削減が続いて、医療機関の医業収入は右肩下がり。毎年減収が続いているだけでなく、逆に支出は毎年確実に増えている。それに加えて、事務量が激増するシステムとしての後期高齢者医療制度、特定健診、保健指導が追い討ちをかけている。


 地域医療担当者としては、地域住民の健康を考えて一人一人の患者に対峙しているが、国策のパシリでやっているわけではない。我々臨床医は、弱者としての病者を前にして何とか医師としての技術と情熱を傾けて役に立とうとしている。糖尿病や高脂血症、高血圧症や肥満症や喫煙による慢性閉塞性肺疾患を治療する医師であって、疾患としての概念すら良く分からないようなメタボリックシンドロームをあつかう「メタボ健診」をやるために医師になったわけではない。そんなことは保健所の医師か企業の産業医に任せればよいことだ。それが出来ないのなら、もっと丁寧に頭を下げてお願いするのが筋だろう。「検診、あるいは健診をすれば開業の先生は潤うでしょう?」と穿った見方で国の下働きを強要するのはいいかげんにして欲しい。


 大体、今まで厚生労働省は「医療費を削減するために」といって、どれだけ無駄な政策を出し続けてきているのか。最初は「成人病撲滅」といい、次に「生活習慣病撲滅」といい、今度は「メタボリック症候群撲滅」という。日本という国の政府は、国民の多様性や個人の自由というものをどのように考えているのだろうか。政治家も自分が年をとって病人になった時、初めてその意味が分かるのだが、それでは遅いのだ。ロッキード事件の報道で一躍名を馳せた東大教授の立花隆氏も、病気になって始めて日本の医療の危機に気付いたという。病院医療の崩壊と同時に地域医療の崩壊の地鳴りが聞こえているのを、聞こえる耳を持っている者には聞こえるのだが……。

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世田谷の成城を流れる仙川の川面に咲くさくら 乙女桜

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