ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2007年6月号  謎の香りの正体
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 謎の香りの正体

 今年のゴールデンウィークに宮古島に行ってきた。私の後輩の整形外科医で平良先生という宮古島出身の人がいるのだが、以前から「一度来てください」といわれていた。彼はすでに東京で開業したので、実家に帰っているかどうかは分からなかったが、とりあえず行ってみることにした。

  羽田から直行便があるようだが、那覇での乗換えを選んだ。貴重な休みに、気疲れしたり、狭い機内で窮屈な思いをしたくなかったから、ジャンボでまずは那覇まで行って、そこから乗り継いだ。さすがに南国だ、もう夏の空気が漂っていた。宮古島に行く便は、小型のジェット機で、やや閉所恐怖症の気が出たが、気を取り直して我慢することにした。 さて、乗り継いだ飛行機に乗ると、今まで嗅いだ事のないような、きな臭い匂いに気付いた。鼻粘膜に引っ付くような、甘ったるい、何と表現したらよいのか分からない匂いだった。以前、韓国に着いた時に「キムチ」の匂いがした、と書いたことがあった。インドネシアの飛行機に乗った時も、独特な植物の匂いが充満していたし、パキスタンの飛行機に乗った時には、バラから採ったという香料が入った香水の匂いがしていた。人が集まると、文化や習慣が折り重なって、独特の匂いを持つのだと思う。

 この匂いは、宮古島空港についても、リゾートホテルのレストランに入っても消えなかった。ゆったりとした広いレストランの壁は、珊瑚や砂を固めたような白いレンガで出来ているのだが、その壁からも、染み出るようにこの匂いが漂う。この時に、私は副鼻腔炎を患っていたから、よけいその匂いが鼻に衝いたのだと思うが、一緒に行った家内も同じような匂いを感じていたというから、まんざら幻臭というわけでもなかった。
 宮古島は人口5万人規模の島だが、観光客は多い。しかし、電車もバスもなさそうで、もっぱら車かタクシーが移動手段のようだ。次の日に町の中心街に出かけたのもタクシーだった。都会でも田舎でも、タクシーの運転手さんは物知りで事情通だ。台風の通り道で、毎年20こ30こと台風が来るという。風速40-50m/sは当たり前で、人も車も普段通りに動いているのだそうだ、しかし、70m/sの台風が来た時には、道路沿いのコンクリート製電信柱が何十本と同じ方向に倒れていて「可笑しかった」というから、災害を受けながらも、踏まれても起き上がる麦のように逞しい人々なのである。
 「あれは?これは?」と尋ねる我々に、「あれはタバコの葉。今が取り入れの時期で、忙しいのは今これだけだ」「サトウキビはまだ若い。背が低いでしょ。来年の1月に収穫するまでには高く育つさ」といろいろと説明をしてくれた。タクシーの窓を開けると、背の低いサトウキビが、ざわわ、ざわわと風にそよぐ。その匂いだろうか、飛行機の中の匂いに似た匂いがした。

 町に着くと、さっそく平良先生の実家へ行ってみた。メインストリートから数メートルセットバックした場所に、町中では一際目立つ建物が見えた。エントランスに入ると、オーナーである平良先生のお兄さんと、今は大リーガー選手になっているイチローが談笑している写真がそこここに飾ってある。どうやら、オリックスの選手がキャンプ地として宮古島に来ていたようだ。ニュー丸勝ホテルは、ビジネスホテルと旅館が一緒になったような懐かしい感じの趣あるホテルだ。しかし、やや時代の流れを感じさせる。修学旅行客も多く利用するようだから、日本本土の子供たちの沢山の思い出が詰まっていて、その子供たちが成人してまたこの島に帰ってくる、そんなやさしい佇まいを感じた。あいにくオーナーは大阪に出張していて留守との事。兄嫁さんに名刺を渡して、ホテルを後にした。
 町はそれほど大きくはない。横丁を二三本歩くと、もうすぐに国道にぶつかる。暑い国はどこもそうだが、建物の外側は素っ気がないが、中に入ると鮮やかな色彩が躍る。外環境は厳しくとも、生活の場としての屋内は華やかなのがこうした町の特徴だ。パキスタンのカラチでも、ホテルの外壁は砂漠の砂と同じように無機質だが、中に入ると豪華な絨毯が敷かれていて、シャンデリアの輝きも眩しく、色とりどりのサリーを身に纏った女性たちが、活き活きと笑い、目を輝かせていたことを思い出す。まあ、それほど豪華というわけではないが、こんな僻地でも、瀟洒な建物を建てているなぁと感心するセンスはやはりこの島の文化が生きている証拠だと思う。そぞろ歩いて、ある工場の入り口を通ると、あの、那覇の飛行機に乗った時に匂った、あの匂いがしてきた。入り口の看板を見ると、泡盛の酒蔵だ。泡盛の原料はタイ米だということだが、それを醸造するのに使う麹の独特の匂いが、まさにあの匂いの芯の強い部分だということが理解された。その後にいろいろな人に聞くと、一月に収穫したサトウキビを、二月三月で蒸し焼きにし、そこから黒糖を収穫する時に出る煙が、朦々と島を覆い尽くすのだそうだ。その甘い匂いが、島の屋根という屋根、壁という壁、道路という道路、植物や砂や土までに染み付くのだ。
 そう、あの匂いの甘さの部分は、サトウキビだったのだ。サトウキビの甘さと、泡盛の麹の独特の香りが渾然一体となって宮古島の空気を作っていたのだ。もちろん、それに海の潮の香り、花の匂いなどが加わって、東京に帰ってきてからも、鼻腔粘膜に何日も張り付いているような、独特の匂いになったのだ。
 それが、那覇空港で匂った、あの謎の香りの正体だった。

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『鏡としての医師』
著者:神津 仁
定価:本体1300円+税
発売:草輝出版(2007年5月刊行予定)

「歌手の仕事は人の心の土にそっと種をまくこと。お医者さんはその土に花咲く力を
育てる人。少し疲れたり、苦しんだりしている人の心に、いのちの花を咲かせる大切
な仕事ですね。」
推薦文・加藤登紀子氏(シンガーソングライター・歌手)

現代医学出版