ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2006年5月号  -「地域医療環境保護」-
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「地域医療環境保護」

  医師のほとんどは「保険医」という医療保険を扱う医師と規定されている。それは国民皆保険制度が長く続き、保険医にならなければ事実上医療機関での診療をすることが出来なくなっているからだ。もちろん、自由診療を専らにしている医師もいて、美容整形や保険診療に含まれない特別の検査や治療を高額で一部の顧客に提供するのが評判になったりしている。年々増加する医療費が国家予算を圧迫しているとする政府は、ではどの部分の医療保険給付を外し、どの部分を残すのが最も国民にとって良いのかという判断に迷っているようだ。「かぜ症候群」は保険診療からはずす、と言ってみたり、殆どの人が恩恵に預かる事のない「心臓移植」を保険給付の対象にしてみたり、と我々医療の専門家から見ると、理解しがたい迷走を続けている。こんな現状を見る限り、大局的な視野と現場の局面とをバランスよく見分けるという能力のある人は政府内にはいないようだ。

  以前にも地域医療と大学病院の医療とがどれだけ違うか、ということについて書いたが、必要以上に濃厚な医療を行って、保険者側からそれに対して見合うだけの診療報酬を、レセプト請求したそのまま払ってもらえるのは大学病院という特殊性による。

 30年以上前の事だが、「症状詳記」というレポートをレセプト請求用紙に貼り付けて出す時に、検査、処置、治療が多すぎて、手風琴のように畳まれた記載欄になってしまうのだが、それを読みながら、その患者さんに施行した医療行為が「いかに保険診療上正しいものだったか」と縷々細かく書いていたのを思い出す。その当時も今も一緒だが、大学病院は研究も教育も行っているから、どこからが保険診療で、どこからが実験的な医療で、どこまでが診療で、どこからが研究だという基準は曖昧だ。今でもあるのかどうか分からないが、「採血性貧血」といわれる医原病は、教授回診のために研修医や新人医局員が遮二無二頑張った結果なのだが、その採血検査の回数が問題になることはなかった。当時は保険財政も余裕があり、「医師の裁量」に従って行われた医療行為は、それが適正なものであるという前提のもとに、日本の社会も、「医師性善説」を受け入れていた。「適正さ」を判定する基準にも幅があることを寛容に受け入れる「余裕」が昔の社会にはあったといえる。
  しかし時代の歩みと共に医師性善説が壊れるような事件がどんどん出てきた。これは世界的な傾向でもあった。アメリカ社会が良い例で、1960年代頃から医師のパターナリズムに対する批判が噴出し、消費者が主役であるという「コンシューマリズム」が台頭して、医療に対する社会の目は厳しくなった。社会の変化に「医療界」が付いていけなかったというのが、こうした批判を一気に医療界が浴びるようになった原因とされている。「よらしむべし、知らしむべからず」でいつまでも患者はついてくると思っていたのだろう。そして今度はその反動が来た。「医師性悪説」だ。5年ほど前になるが、介護保険が出来てすぐに説明会があって、ある医療系の研究会に呼ばれた政府の事務方が、「医者は金儲けしか考えない悪党だから介護保険を作った」と公言していたのを聞いて驚いたことがある。この人もそうだが、社会福祉系の事務方には、若い頃に病院の医師や院長にコテンパンにやられ、馬鹿にされたりしたトラウマがあって、それをバネに「医者を見返してやろう」という強いモチベーションを持って国の政策を変化させてきたふしがある。ある医学部の教授になった人も、「事務のくせにえらそうなことをいうな!」とある医師に怒鳴られて奮起して教授になるべく頑張った、というエピソードも伝えられている。マスコミもこぞって医師性悪説に肩入れしているが、昔の新聞記者たちも、元日本医師会長の武見太郎先生に怒鳴られて馬鹿者扱いされた人が多かったようだ。この事が「マスコミの医師叩き」に関係している、という穿った見方も案外本当のところをついているかもしれない。振り子を振れば反対側にも振れるわけで、物理法則は社会の力学的な側面にも反映されることを、こうした事例は証明している。何事も人生は輪廻転生だ。
 全ての医師が「性悪」であるかのように面白おかしく報道しているマスコミだが、良識的な国民はその恣意的な報道をまともに信じているわけではない。以前私が医師会の副会長の時に、ある委員会で世田谷区民80万人の「医療における意識調査」の結果が出ていた。それによると、幼い子供を持つ親の世代から慢性疾患で通院する老人世代まで、全体の約80%が「自分のかかりつけ医の診療に満足している」とのことだった。これを見てもマスコミ報道が「売らんかな」というセンセーショナリズムに偏りすぎていることが見て取れる。問題は、振り子の振れ幅が大きすぎることだ。本来しなければいけない反省と改革以上にいわれのない非難がある。このことをマスコミは自重すべきだろう。大きな反動は次のまた大きな反動を生む、ということを自覚して、自分でブレーキをかける必要がある。そうでないと、戦時中がそうだったように、マスコミは自分達の首を自分でしめることになるだろう。それが国民にとってよくない事は歴史が証明している。

~閑話休題~

 先日、患者さんから「先生のお父さんに女子医大に送って頂いて助かったんですよ」という話しを聞いた。こうした話題を投げかけてくる方が結構いるということは、二代目に対する親近感を感じるということだろう。

この写真は、父が愛した「第一医院」の前で得意げに中学生の私に撮らせたものだ。改築をして、父の85歳の時に閉院して今はもう無くなってしまったが、当時としてはまあまあ洒落た佇まいだったようだ。この診療所の設計は、昔なりたかった建築家の夢をほんの少しだけかなえた、父自身の手によったものだ。


私はこの第一医院を直接継承したわけではないので、二代目というのは当てはまらないのだが、少しはなれた場所に開業しても、父の患者さんが私のところを訪れてくれている。それが、「かかりつけ患者さん」なのだろう。
  こういう、良い患者-医師関係にあると、腰が痛い、肩が痛い、という時に、どんな所で診療を受けたらいいかの相談にのってあげられる。「何でも相談できる先生」に診てもらっている、という安心感が、健康度をさらにアップするのだ。
  最近は、そうした地域の先生方の大きなメリットを隠すように、「良い病院ランキング」「癌ならここの病院」などがもてはやされているが、本当に信頼できる診療というのは、地域の信頼できる先生から、信頼できる病院の先生に手渡されて、また自分の主治医のところに帰ってくる、というのが最も安心で、しかも効率の良い医療を受けることが出来るのだ。
先日も、大学病院の膠原病科にお願いをした患者さんが帰ってきた。
  「本当に良い先生を紹介して頂いて有難うございました。3ヶ月後に経過を見たいとのことでしたので、あちらの病院は遠いから、こちらの先生にお願いしますと言ってお返事を書いていただきました」と。
  そして、何よりも嬉しかったのは、
  「本当に丁寧で、時間がかかったのです。で、待っている時間で喫茶店に行きました。帰ってきて診察のときに先生に聞いたら、6時間くらい、ずっと何も食べないで診療している、とのことでしたので、ちょっとお菓子の差し入れをしてきました。」と。
  そして、私にもWESTのお菓子を、
  「少しですけど・・・」と笑顔で置いていってくれた。
  私がいつも言っているように、良い診療をすれば、患者さんは「感動する」のだ。こうした日本の地域医療文化を、壊してはいけない。このような地域医療の良い側面を守るためには、「地域医療環境保護運動」を日本中で展開しなければならない。マスコミこそ、こうした弱者を保護し守るために立ち上がるべきであろう。

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