ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2005年12月号  -鏡としての医師-
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 昔私が大学のヨット部キャプテンだったときの事だ。私の一年下に地方出身のダンディボーイがいて、合宿の際中に髪形を気にして鏡を何回も見る。合宿所はIさんという戦争未亡人のおばあさんから借りたもので、平屋の一軒家だった。房総は館山の「鏡が浦」の海岸通をちょっと入ったところだから、いわゆる海辺の家である。その柱のそこここに縦長の長方形の鏡が架けてあった。練習が終わって銭湯から帰ると、ズボンの後ろポケットに整髪用のブラシを入れて、ちょっと髪型が崩れたと思うと鏡を見る。友達と談笑していてちょっと誰かが髪に触れると、鏡を見てセットし直す。神経質ではなく、ナルシストなのだと、彼は公言していたから、なかなかの人物なのだ。そんな彼を使って実験をしようと思い立った。合宿所の鏡を全て隠したらどうなるか、だ。午後の練習をしている間に、食当になった部員が柱から鏡を外すことになった。さあ、練習が終わって銭湯へ。帰って来て鏡がないのに気付く彼。周りはくすくすと笑い顔。「おまえら、バカじゃねえの?」「いいよ、いいよ。おまえら俺のかっこ良さに嫉妬してんだな。」と、ガラス戸に自分の姿を映して、セットをし直した。鏡がなくても、ナルシストは不変なのだと、不思議と感心した覚えがある。その後はさすがにそれほど鏡を見ることはなくなった。まあ、鏡がないと生きていけない呪縛から、彼を解放した効果はあったわけで、実験的治療は成功したといえるだろう。
 遊園地に行くと歪んだ鏡で奇怪な自分が映る部屋があったりするが、それには奇怪な自分が映る。その逆に多少足が長くほっそりと見える鏡もあって、太った中年女性などは虚像であると分かってはいても嬉しい悲鳴を上げたりする。
 人間の身体も、自分ではどこに異常があるのか、今の状態が正しく健康なのか分からないから、医学の勉強をして、経験のある医師を鏡として確認をする。どんな鏡でも、光の角度や表面の曇り具合で見え方が違うのと同じように、どんな素晴らしい医師でも100%きちんと全てを照らし出して見せてくれるわけではない。置く場所と磨き方で鏡に映った自分の姿が違うのと同じように、鏡としての医師もその映し方を変えてしまうこともある。よく手入れした鏡が、自分の姿をうまく映すように、よくコミュニケーションを取るように努力した主治医からは、自分の見たい自分の健康が見えてくるのだ。
 スタッフからよく「診察室に入る前はあんなに暗い表情だったのに、診察が終わって出てこられたら、患者さんはとても明るくなって、別人のようになられますね」といわれる。医師としては、とても嬉しいことだ。患者さんは、自分の姿を悲観的に見ている。大変な病気かもしれない、大学病院でも治せないといわれたけれど、何とかしてこの症状をとって欲しい。自分はもう死ぬのではないか、そう思って診察室に入ってくる。そして、診察の結果「これはこうした原因で起こった病気で、こんな治療方法がありますから、大丈夫ですよ」「今は治療方法が少ないのですが、専門家として私がずっと診せて頂きますから安心して下さい。症状を取る方法はいろいろありますから、一つ一つ試してみましょう」といわれると、今まで荒海に羅針盤も持たずに乗り入れていた小船に乗った気分から、春のうららかな日にそよ風をうけてなだらかな海をすべる大きな船に乗ったような気分になるのだろう。歪んだ鏡に映ったグロテスクな姿から、やっと本来の自分の姿に戻ったのだ。病でヘトヘトになった患者さんを精神的に心安らかにする、というのがまずもって治療の第一歩である。ここから、ぐっと患者さんを引き寄せて、治療のレールの上に乗せるのが臨床医の醍醐味ともいえる。ここがうまく行かないと、同じ薬を使っても患者さんは治ってくれない。医師の腕前の良し悪しは、この導入部でもうすでにはっきりとしてしまうのだ。私の患者さんは、皆さん来院するのにオシャレをして来られる。「クリニックに行くのに普段着では行けない」という気持ちになって頂ければ、ホルモン分泌が増加し、免疫系も賦活するので、ご自分で治るための準備をなさっているのと同じ事だと思う。そのために、緑の多い中庭を2階のwaiting roomから大きなガラス窓越しに眺められるようなシチュエーションを作った。カーペットはドイツ製で心が落ち着くブルーにした。室内の空気を綺麗にするために活性炭を置き、花と植物をたくさん置いた。スタッフは笑顔の綺麗な女性ばかりで、もちろんタバコを吸う人はいない。こんなさりげない、しかし用意周到な心配りが「待合室で待っている間に喘息の発作が落ち着きました」といわせるクリニックになったのだ。それに加えて、私の笑顔と元気な声、あとは少しの薬で支えてあげると、自然にご自分で治っていくというわけだ。
 鏡が歪んでいると、健康な人を病気にしてしまう。鏡が綺麗だと病気の人を必要以上に病人にしてしまうこともない。健康な人はもっと健康になる。
 マスコミは国全体を映す鏡だ。その鏡がきちんと国の姿を映し出さなければ、国民は歪んだ国に住んでいると勘違いをするだろう。実際には、歪んでいないのに。鏡が綺麗だと、自分のことが良く分かるから、自分で自分の身繕いをすることが出来るのだ。鏡としての医師も、鏡としてのマスコミも、今一度、自分自身が歪んでいないかと良く考えてみたほうがいい。

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