ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2005年6月号  -インターネットの街に住むには-
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 すべての事物には、栄枯盛衰がある。また、始まりと終わりがある。未熟と成熟。進歩と衰退。しかし、その繰り返しが連鎖であり継続だ。巡航速度で走るのは、実はなかなか難しい。自動車ラリーでも、F1でも、最後まで走りきれるかどうかが勝負の分かれ道だ。
 インターネットが広まったのは、ここ10年ばかりのことである。最初のうちは、画像のない文字情報の受け渡しで、主として学術的な情報が外国語で載せられていた。それでも、図書館に行く時間を節約でき、文献検索にかけていた費用の節約になった。地球の裏側で開催しているヨット競技の結果を時間単位で知ることも出来て、そのレポーターとメールのやり取りが出来た。それだけで、興奮した。そのうちに、画像を見ることの出来るブラウザーが開発されて、驚くべき写真の数々がPCのモニター上に現れた。男性であれば一度は入ろうと思うような場所も、freeで見ることが出来た。そのうち、動画が配信され、定点カメラからの映像も見られるようになり、そのカメラを遠隔操作することも可能になった。今では、テレビとインターネットが共通の基盤でさらに発展を遂げようとしている。
 しかし、逆にインターネットを利用することについての問題点も出てきた。最初は江戸の横丁程度だった通りが、次第に区画整備され、ビルが建ち、人通りも車の往来も激しくなった。最初は顔見知りがほとんどだったが、今では知っている人の方が少なくなって、ほとんどが知らない人たちになった。名前や職業を名乗らなければ、どこの誰だか分からない。昔、大学一年の時のことだが、裏口から出入りする古い自転車に乗った白髪のおじいさんを良く見かけた。腰に手ぬぐいをぶら下げていたので用務員さんかと思っていたら、病理学の教授で、その後京都大学の名誉教授になった人だと分かった。人はちょっと見ただけでは分からないものだと、その時に思った。インターネットの世界でも同じことがいえる。最近では、インターネット街のあちこちで、客引きやチラシ配りがいて通行の邪魔になる。公道をチンピラや不躾な子供や無作法なねえちゃんが歩いていて、善良な市民は危なくて仕方がない。今の世相を反映して、暴走自転車、暴走トラック、居眠り運転、飲酒運転、ウィルス感染、サイバーテロと、インターネット上でも何でもござれの感がある。しかし、昔が懐かしい、といっても始まらない。このインターネットの街に住むからには、これらの危険と共に生きていかなければならない。現実の社会なら、警察もあれば裁判所もある。探偵を雇うことも、自警団を組織することも出来るのだが、バーチャルな社会ではそうはいかない。どんなに不謹慎な言葉でののしられようとも、それを「暴力をふるった」と警察に訴えるわけには行かないのだ。言葉の暴力や、サイバーテロの恐ろしいところは、それをうまく受け流すスキルを持たない人の心を、ズタズタに引き裂くことである。それを防ぐためには、危険を回避するためのリスクマネージメント、危害が及んだ際のクライシスマネージメント、心の友と連携を組んで自己防衛をし、必要であれば危害を加える対象を退治する勇気を持たなければならない。それがインターネット市民の宿命である。それが嫌なら、インターネットの街に住むことを放棄するしかあるまい。