ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2004年4月号 -結婚式の祝辞- backnumberへ
 先日、私の後輩の結婚式があった。祝辞を、ということで、結婚前の二人が揃って頼みに来てくれたので、二つ返事で引き受けた。最近は、年齢のせいか葬式はたくさんあっても、結婚式に呼ばれることはなかったので、雰囲気が分からなかったが、整形外科の医局の中で出会った、整形外科医同士の結婚であったから、「医局婚」のようなものになっていたのを予想していなかったのは私の不案内であった。新婦の父も同じ医局の同窓であり、主賓は新郎側も新婦側も整形外科の教授だった。この二人のどちらかに仲人をお願いするのでは先行き得にならないと考えたのか、仲人は立てないという最近の若者の結婚式をなぞったものになったようだ。しかし、乾杯の前に話をするのは良いが、乾杯の後、アルコールが入った後に話をするのは大変だ。昔は、これでも面白いパフォーマンスを披露して注目を浴びるような話も出来たが、少しは老成したものだからと、なまじ教訓めいた話を用意したのが失敗だった。周りは大いに盛り上がって話を聞いてくれるどころではない。

「君達、だまって人の話が聞けないのかね。それじゃあ、患者の話もまともに聞けないんじゃないの?」と、いいたかったが、こちらも予想外の出来事に舞い上がっているから、原稿を片手に中途半端なパフォーマンスと祝辞でお茶を濁すようなことになってしまった。まあ、新郎新婦も楽しんでいたようだから、私の役目はそれなりに果たしたということでご免蒙ろう。しかし、医局の宴会のノリで結婚式の披露宴が行われるのを、主任教授以下医局の先輩達がきちんと指導出来ないところに、今の医学部での臨床医教育の荒廃があるように思えたのは私だけであろうか。私の息子の結婚式に、こんな無礼な出席者がいたら、大声で注意して、なお不埒な態度であれば、頭から水を掛けて退場させてやろう。

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ご紹介に預かりました神津でございます。
清水君、諭子さん、ご結婚おめでとうございます。ご両家のご両親、ご家族の皆様におかれましては、今日の良き日を迎えられたことをお慶び申し上げます。司会の方からご紹介頂きましたように、私はこの二十数年ヨット部のOB会の会長として現役部員と付き合ってまいりました。医学部のクラブ活動と申しますのは、なかなか難しいものがあります。医学部はいわば職業専門学校でありますし、学ばなければならない知識が非常に多く、六年間のカリキュラムが細かく決められておりますから、出席も厳しい状況があります。大学の側は寸暇を惜しんで勉強をして欲しいと思っているわけでありますが、学生のほうは寸暇を惜しんで遊びたいと思っているわけであります。遊びたい、といいましても、学生夫々に主義主張がありまして、夜の街に興味を持つもの、マージャンや賭け事、音楽や演劇などの文化的な活動にのめり込むもの、そして、ラグビーやテニス、柔剣道空手といった運動部の活動で若いエネルギーを発散するもの、いろいろであります。

清水君は、ヨット部で非常に素晴らしい活躍をし、誰もが認める好青年であり、新婦の諭子さんは、テニス部の選手として大活躍されました。お二人とも現在優秀な整形外科医として臨床の腕を磨いているわけですが、学生時代は、清水君は大学へ朝出かけて、板橋へ行かずに江ノ島に行っていたようですし、諭子さんは教室へ行かずにテニスコートへ直行していたようですので、お二人とも素晴らしい学生時代を過ごしたものと思います。

最近の医学部では、クラブ活動を規制する動きがありますが、これは良い臨床医を育てるという意味からいうとあまり良いことではないと思っております。我々は、医学部に入学した時点でエリートであり、頭脳明晰であることは誰もが認める事実であるわけであります。しかし、それは医師としての必要条件ではありますが、十分条件ではございません。医師として重要な人格形成、人の悲しみや喜びが分かり、共感し感動する心を培(つちか)い、臨機応変で柔軟な対応能力、明晰な判断力を養うこと、そして筋力・体力を鍛えることなどは、大学の知育の中ではとうてい養えないものであります。こうした、徳育を含めた総合的な能力を高めるためには、クラブ活動は大変重要なものであると言って良いと思います。私がヨット乗りであるから言うわけではありませんが、ヨット競技は自然の中で人間の五感を鍛えるのに最適であります。不安定なヨットを風の力だけで自由に走らせるのには大変な技術が要ります。それだけではなく、風、波、潮の流れを読み、競技相手のヨットの動きを読んで、さらに早く走るためにはどちらの海面を選択するか、分刻みでの判断を要求されるわけであります。こうした中から、体力、知力、臨機応変に対応する能力が養われるわけですので、医学部の学生には大変向いているスポーツではないかと考えております。

関西学院大学の学生による雪山遭難のテレビをご覧になった方は多いと思いますが、彼らの立派な対応に驚いた方も多いのではないかと思います。どこかの病院の院長や大会社の社長の記者会見などとは比べ物にならないほどしっかりとして立派であったと思います。それは、人知を超える自然の厳しさを知って生還したものが持つすがすがしさであります。

我々ヨットマンは、レースで海に出て行く時には自己責任で出港いたします。実は、国際的にも、レースでもし命を落としても、レース委員会が責められることはありません。すべて、自分の技量と経験から海に出て行くか、あるいは出て行かないかを決めなければならないからであります。もし乗員を乗せていたら、その人たちの命を船長が預かるわけでありますから、出た以上、どんなことをしてでも港に帰ってこなければなりません。それがヨット乗りの世界共通の原則なのであります。この「自然は不可抗力である」という前提から、我々は出来るだけの危険の予知を行い、危機回避としてのリスクマネイジメントを徹底する、という思考が生まれるわけであります。「志」という字は、武士(さむらい)の心と書きます。私の目にはハリウッド映画の「The Last Samurai」のトム・クルーズと清水君がだぶって見えますが、これは少し贔屓目過ぎるかもしれません。

清水君、私はあなたが大きな志を持って今後活躍してくれることを期待しております。そして、諭子さんと将来生まれてくるお子さんたちを乗せて、無事に人生の次の港に帰ってくることを祈っております。どうぞお幸せに。

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