ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2003年12月号 -若手医師のこと- backnumberへ
 最近話題のSARSだが、呼吸器感染によって生じる重大な心肺機能の低下により急速に重篤化し、しかも医療関係者の死亡が多いという特徴的を持っている。今年の夏は、南半球ではその影も形もなかったが、冬が近づくにつれて北半球の危機感は次第に高まってきた。小児の死亡はほとんどないのだが、高齢者に多く見られる。特に医療関係者の間でも、若い医師ほど死亡率が低いことが分かっている。30~40歳台の死亡は6%と、全体が20%であるのに比較してかなり低いようだ。ある医師会の「SARS講習会」で、医師会長が「年寄りの死亡が多いから、若い人たちに頑張っていただかないと・・・」という感想を述べられていたのが印象的だった。私が「世田谷区若手医師の会」を主催していることは何回かお話をしたのでご理解いただいているだろうと思うが、若手医師が、こうした意味でお年寄りの先生方から頼りにされるという「SARSの効用」があるのは意外だった。だが、どんな場合でも、頼りにされるというのは嬉しいものだ。地域の医師会活動というと、動きにくそうなでっぷりと太った高齢医師が、窮屈そうな高級背広で現れるというのが定番だが、若々しい中年医師がその活動の中核になってもらわないと、医療界の刷新はなかなか容易ではない。

今日11月24日は、日本医師会の常任理事で来年の参議院議員に立候補した西島英利先生の「決起大会」だった。日本医師会が、政治団体としての「医師 (政治)連盟」を併設しているのをご存知だろうか。アメリカでいえばロビー活動をする団体だ。昔は集票組織として抜群の機能を持っていたが、小泉自民党が医師会よりの政策を展開しないことから、地域医師会が白けてしまって真面目に政治活動をしなくなった。中には、医師連盟を脱退するという医師も出てきた。それが見えると、代議士はますます医師会のいうことを聴かなくなる。そのうち、自由開業性の医業経営も成り立たないという事態にいたって、ようやく「やはりもっと大きな声を出さなければ!」と腰を上げても、もう遅いのだ。

この医師連盟には若手医師連盟というものがあるようで、午前中にその同志が15人ほど集まった。関西から東北まで、意識の高い若手医師というか、気持ちの若い中年医師といったほうが分かりやすい面々が集まってカレーライスを食べて、決起大会が始まるまでのしばらくの時間を過ごした。八戸の本田忠先生と埼玉の天野先生が幹事。本田先生は臨床整形外科医会のブレインとして活躍している先生なので、インターネットを駆使して集めた情報を分析し、その結果を教授してくれた。財務省のデータにはそれなりの説得力がある、という。しかし、それは数字のマジックである場合もある。数字ばかりを扱っていると、現実の人間社会を忘れてしまう。100兆円などという数字に、実感を伴うわけはない。大体、日本を失速させて、本来国民が享受するのに使うはずの預貯金を取り崩し、財政を破綻させたのは日本政府なのだ。経済を失速させて日本をバーゲンしているように見えるのは何故だろう。そんな日本政府の数字のマジックに、若手医師たちは気付いているようだ。その若手医師たちが元気よく働く場所と資金を、彼らの意気に感じて、快く与える先達たちは、この日本にはいないのだろうか。