ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2003年11月号 -風- backnumberへ
 一ヶ月前からインフルエンザB型の患者さんが散見されるようになって、いよいよ感染症の季節の到来かと身が引き締まる思いでいる。外来患者さんの数も増えて、いつもの神津内科クリニックの忙しさを取り戻した。4月の保険点数の改定以来、保険収入が10%も下がったので、家計は火の車だったが、多少は火消しの役割を担えるかもしれないと思っている。しかし、旧ソ連ではあるまいに、一編の通達で対価を簡単に切り下げるというのは、いわば真面目に働いている医師にとっては暴力的な行為だ。医療が景気に左右されないのは当たり前の事で、国民にとっての基本的に社会資本だからだ。それを「国が傾いているのだから、痛みを分かち合え」とは何事か。傾かせたのは医師や患者ではない。舵取りをした政府であり、役人だろう。バブルに踊ったのは銀行であり、背丈に似合わぬ小金を持って足が宙に舞い上がった品のない輩達で、その中に確かに医師もいたかもしれないが、ほとんどはそれ以外の職種だ。それまで、お医者さんは裕福という通念があって高級外車もそれなりのステイタスではあったが、バブルの時には逆に相対的に経済的地位は下がっていて、小金持ちが金銀財宝を身にまとって、品のない顔で「医者がなんだ」と斜に構えていたのを覚えている。最近は、不況になって経済的な地位が相対的に上がってきたためか、マンションの押し売りや、株や金相場の電話攻勢が再び復活してきた。ことほどさように、医療というのは好不況に左右されない安定した職業である、というのは、お坊さんと同じで昔から決まっている。経済的な価値観に影響を受けないことが、医師の裁量や判断に公正性と見識とを付与している大きな要因でもある。明日の食事や職員の給与支払いに汲々としている状態では、患者さんに立派なことを言えるわけはなく、「金を稼ぐ」ことに熱心な状態で「適正な医療を国民に提供する」などということが、常識で考えても出来るわけがない。戦後復興のためにと、多くの資金を提供して中国国民の生活の質を高めておきながら、日本の医師の生活の質を低下させるようなことをする政府を信用しろという方がおかしい。

さて、風、という題で話を始めたのに、ちょっと横道に入りすぎた。雨と風が吹く日には、傘を差すのだが、その傘を差すやり方が普通の人と私とは少し違う。どう違うかというと、傘の柄は、軽く持って、傘全体で風を感じるようにして支えるのだ。風というのは、上から降りてきて、地面に当たってまた上に上がっていく。空気というのは空気の粒子の塊だから、傘はその上に浮いていることになる。飛行機も同じ原理だ。そして、横から風が来ると、傘のぴんと張った布で風は二つに分かれる。下の方を流れる風と傘の上の表面を流れる風だ。風は二つに分かれた後、反対側の傘の布の端で合体する。二つに分かれた空気が一つになる時に、上の方を流れる風は相対的に下の風よりカーブしている傘の上面を走るので、距離が長い。距離が長いけれども、下の風と一緒にならなければならないので、早く流れることになる。早く流れると、空気の粒子の間隔は広がり、そこは真空となって陰圧が生じる。陰圧になったところに、物体は吸い寄せられるので、力学的に上向きのベクトルが生まれる。これがベルヌーイの流体力学の法則だ。その上向きのベクトルを、傘を差していると感じることが出来る。風の向きによって、傘を少しだけ右に傾かせたり、左に傾かせたり、前や後ろに動かすと、傘を持っているというより、「風を感じている」あるいは、「風の中で傘が浮かんでいる」ということになる。私が、ヨット乗りだから、そんな遊び心が湧くのだ。風を感じながら、人生を航海することの楽しみも、また一興である。

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