ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2003年3月号 -完璧なダイエットとは- backnumberへ
 2001年の夏から、体重を落とし始めた。

6-7年ほど前にも、マイクロダイエットというダイエットメニューを使って、7kgほど減量したことがあった。マイクロダイエットはヒマラヤ登山に持っていくほど、栄養バランスの良い粉末栄養食だったが、線維が足りないので便秘になる事が初期に多かった。そのために、海藻サラダなどを加えたメニューを作って、マイクロダイエットの売上に貢献した時期があった。一時期、私の顔が何冊かの女性月刊誌の巻末を飾ったことがあるので、どなたか憶えているかもしれない。なかなか痩せられなかった患者さんや、外科や産婦人科の医師をこの方法で痩せさせたことがあったが、会社の方針変更で医学的なアドバイスが必要なくなってからは、この領域に踏み込むことはなかった。おかげで、美味しいものをたくさん食べ、好きな日本酒をたくさん飲んだ結果、83kgというとんでもない体重になってしまっていた。

私が肥満を研究していた時には、肥満患者の認知機能の低下が肥満を助長する、ということが分っていたはずなのに、いざ自分が太り始めると、太っているということが不健康だということの認知が、出来なくなっていたのだ。ズボンが入らなくなるとサイズの大きいものに買い換えるのは当たり前、となってしまい、下腹が出るのは中年だから仕方がない、と諦めてしまう。いやいや、ズボンのベルトがきつくなったら、食べるのは止めよう、という意識はなくなっていた。食事療法と運動で内臓脂肪が低下し、下腹の脂肪もなくなるのだとは思えなかったのだ。

2001年夏、グアムの海から上がってくる自分の姿を写真で見た。えっ、これが自分なのか、と思った。まるで、バカなタレントが力士の肉襦袢を着て立っている、あのテレビの番組から抜け出てきたようなボテボテの姿がそこにあった。これはまずい、と思ったのがダイエットの始まりだ。もちろん、自分が専門家だから、どうやれば良いかは知っている。しかし、それだけではなく、今回はいろいろな人の「ノウハウ」を取り入れてみた。一つは、私の知人の中川氏が実行しているものだ。中川さんは、20歳代から体重が変わっていないという。その秘訣は「高いスーツを買うことです」とのこと。つまり、一着50万円もするものを買っておけば、それが着られなくなったらまたお金が要る、それは避けたいから、ズボンがきつくなったら食べるのを止める、それが体重維持に役立っている、というのだ。たしかに、自分の胃腸に聞いて食べている人は少ない。頭、つまり貪欲な「食欲」にまかせて食べている。すなわち、中年になって基礎代謝が落ちているのにもかかわらず、食欲は若い時のまま衰えない。運動もしなくなっているから消費カロリーは少ない。摂取カロリーが増えるから、余ったエネルギーは脂肪細胞に蓄積される。こんな公式は当たり前のことで小学生でも分る。なのに、中年太りがなくならないのだから、生半可ではうまく行かない。

もう一つは、アーノルド・シュワルツネッガー氏からのものだ。ケーブルTVでアメリカのトークショーを見ていたら、司会者が彼に「どうやってその肉体をキープしているのだい?」と聞いた。彼は、テーブルを手で押す格好をしながら「半分食べたら、テーブルから離れることさ」と答えたのだ。「え、それだけ?」「そう、それだけ」つまり、それだけ我々は食べ過ぎているわけだ。料理の盛り付けも、食べる側の必要カロリーを計算して出しているわけではない。ほとんどが美味しく、たくさんあって満足できる量になっている。それも、お腹は一杯なのに、食欲中枢がそれを要求している。それを抑えるには、手が食べ物を取れない範囲に自分をおけばいい、というわけだ。これも、いただきだ。そして、やはり運動は必要である。そこで、以前から自宅に置いてあったエアロバイクをもう一度活用することにした。何があっても「毎日25分、100kcal」漕ぐ事、そして、腹筋50回を自分に義務付けた。さらに、最近出てきたアミノ酸ゼリーを多用することに。お腹がすいても、アミノバイタルを軽く溶かして氷を1個入れて水で薄めて飲むことで、必要なビタミン、微量元素、アミノ酸などが取れるので、通常の食事がしたいとは思わなくなった。家内にも手伝ってもらって、一緒にダイエット食に切り替えてもらった。これで朝と昼のカロリーは大幅に減った。あとは、夜の食事を楽しく皆と一緒に食べることだ。宴会も多いし、飲む機会も多い。これを禁止してしまうと、ストレスが溜まる。ストレスは血糖を上げる方向に働くから、つい食べたくなる。これがリバウンドの連鎖だ。最近では、ビール中ビン一本分は「エンプティーカロリー」といって、摂取カロリーとして計算しないでいいという説もある。そのくらいは良しとしよう、その心の余裕がダイエットには必要なのだ。

先日2年ぶりにきた患者さんからこういわれた「あらまあ、先生、別人のようになっちゃったわね、丸顔が細長になっちゃって、外であったら分らないわよ」ということは、正にダイエットに成功したわけだ。83kg→68kg、計15kgの減量が完成した。
今は、クリニックのスタッフから、あんまり痩せると、患者さんから「先生、具合でも悪いの?」と聞かれるから、もうその辺で止めて欲しいといわれたので、69kgを保っている。腰痛も疲れもない。ただ、家内から「不経済な体ね」といわれて頭をかいているくらいだ。

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