ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2002年10月号 -すぐとなりの国へ(Ⅲ)- backnumberへ
 日本にいるのと同じように、朝起きてからホテルのジムで汗を流す。念入りにストレッチングをして、エアロバイクに30分乗り、walking machineに15分ほど乗って早足で歩く。その両方のマシンが置いてある場所のすぐ目の前にいくつものテレビがあって、丁度日曜日の朝の番組が流れていた。まるで日本と同じように、とても可愛いタレントや歌手が出てきて、面白可笑しくその番組は進んでいく。『家族揃って歌合戦』のようなもの、『動物ばんざい』のようなものもあって、言葉は全く分らないが、内容はほぼそれと分るのだから面白いものだ。テレビに出てくる年頃の韓国女性は、つるんとゆで卵のような肌をした美人が多い。若い男性も、きりっと引き締まった均整の取れた美男子が多いのに感心する。我々が日本でイメージする、目の細く四角い顔で、七三に分けた頭には脂ぎった広い額が続く、というような韓国のおじさん顔は見られない。女性にしても、チョゴリを着て深い皺を刻んだおばさん顔も少ない。人類は進化しているのだと思う。

こうした印象は、アメリカのplantation houseを見学したときにも感じたことだ。1800年代の農場主が住んでいた家屋は、勿論大きな屋敷ではあるが、中にある家具類は我々が使うのにも一回り小さな物ばかりだった。寝室にあるベッドも、身長が150cmほどの女性が寝るのに丁度良い程度のものが多く、今のように大柄な女性は珍しかったようだ。日本でも、最近の若者は身長が高い。目鼻立ちがくっきりとして、手足も長い。昔は「合いの子」などと差別用語のように使われていた混血児も、最近ではモデルや外国語の分るアナウンサーとして重宝されている。美容整形の技術も発達して、簡単に不美人が美人に生まれ変わる時代である。韓国では、親子が一緒に美容整形を受けるのが流行っていると聞く。外見の不細工さがストレスだった時代は消えつつあるようだ。

「特級タクシー」の運転手が運転する韓国製高級車の窓越しに見える、石造りの家々の窓は二重になっていて、厳しい冬の寒さに備えているのが見て取れた。北海道旅行をしたときに旭川で見たのと同じものだ。オンドルは寒さが厳しいこの国で発達した。韓国料理の辛さも同じ事だろう。昔は犬を食べたというほどだから、食料の自給はままならなかったと思う。日本で食べる「焼肉」と韓国で食べる「韓国料理」は決して同じ味ではなかった。内臓の料理を食べたが、腸やホルモンや脊髄をラー油と胡麻につけて食べても美味しいとは感じなかった。味覚のバラエティは日本料理に勝るものはない。

大都市であるソウルのホテルから見る光景に、雑居する貧屈な商店街がクサビのように突き刺さっている。いくらこの国が大きな発展を遂げているといっても、日本と同列には語れないことを知った。やはり、自分の目で見て、自分の肺でその国の空気を呼吸することが大切なのだ。

この雑文を書いていて、そろそろまた「すぐとなりの国」へ行ってみたくなった。