ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2002年8月号 -すぐとなりの国へ(Ⅰ)- backnumberへ
 先日の海の日に、韓国旅行へ行ってきた。

飛行機会社のマイレッジというのが貯まったらしく、「往復の飛行機代がタダになるのよ」というwifeの一言で決まった旅行だった。時差はなく、飛行時間が2時間という短さは、外国旅行としてはとてもお手軽に感じる。

しかし、成田までの往復が大変だ。5時50分のリムジンが渋谷のセルリアン東急ホテルから出るので、それに間に合うように早朝4時半に起きた。息子が車で送ってくれて、やや早目に着いたが、ホテルのロビーにはそれらしい人が4-5人待っていて、これから海外旅行をするのだ、という旅の情緒を醸し出していた。

行きの高速道路が事故渋滞とかで、一部一般道を走るアクシデントがあったが、それでも余裕で間に合ったのは、どこかのセンターと無線でやりとりをして、うまい具合に間に合うようになっているのだろう。後ろの席の若い女性二人は、携帯電話で旅行社と必死に連絡を取り合っていたが、何とか無事集合時間に間に合ったようだ。

我々が降り立った韓国の空港は3年前に出来たという新しい空港で、成田と比べると欧米並みの広いスペースをとっていて気持ちがいい。リムジンバスも日本のものよりずっと大きくて豪華だ。左ハンドルのせいか、これも欧米並みの車のように思えた。高速道路は片側8車線で、とてもスムーズに走る。成田への道路は3車線だから、ここでも差がつく。

しかし、道路を走る車は殆どが韓国製で、日本のようにベンツやBMWがやたらと目に付くなどということがないのは不思議だ。「Bye Korean!」運動でもしているように思えた。そういえば、飛行機の中で、口蹄病を韓国に持ち込まないように!というキャンペーンビデオを上映している際に、「口蹄病を持ち込んだら、韓国の農業、工業が壊滅的な被害を受けます。韓国を守るために、あなたのアクションが大切なのです!」と、牛や羊を屠殺したり焼いたりするグロテスクな映像を流して訴えていた。それに比べると、日本に帰ってきた時の口蹄病の扱いは、ほんのお障り程度でしかなかった。消毒剤のカーペットの長さも、日本のものは半分であったし、この国の水際の防御はお座なりでしかないように見えた。それが日本の国際化なのか、韓国は日本に比べてずっとずっと国粋主義なのか、そんな違いが少しずつ見えてくる旅であった。

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