ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2002年7月号 -原風景- backnumberへ
 私のクリニック向かいの世田谷通りを隔てた向こう側に、立派な風呂屋があった。遠くからも見える高い煙突と、高い屋根が目印で、近所の人に親しまれていたと思う。残念ながら、私は入湯する機会に恵まれなかったが、そのすぐとなりの歯医者さんとともにこの近隣の情緒を醸し出していた。

その銭湯が、今はもうないのだ。バブルの頃に、「借りてください」と言われた地主さんが、土地を担保に銀行に金を借りた。しかし、あれよあれよと言う間に日本経済が傾いて、低姿勢だった銀行が、今度は、「カネ返せ」に回ったのだ。都会の大地主は大変だ。借主がきちんと支払をしてくれても、税金にどれだけ持っていかれるか分らない。銀行に払う利子も我々とは桁が違うことだろう。それで、土地を三菱地所に売ってしまったのか、どうかは詳しくは知らないが、今度はそこに20階建ての大きなビルが出来ることになった。

解体屋が来て、家をまるでバルサの模型のように簡単に壊していく。壁が壊れて、天井が押しつぶされると、もうその空間には人が住んでいたという感覚は跡形もなくなってしまう。空襲を受けたアフガニスタンのようだ。そして、何もなくなった地面に、今度は建築工事の看板が立てられて、トラックやらショベルカーやらが動き回ることになる。眺めていると、ここにあの銭湯があったのかどうかすら怪しくなる。しかし、目をつぶって指を指せば、そこに紛れもないあの風呂屋が湯気を出して人々を迎え入れている過去の現実が見えるのだ。この感覚は、アルツハイマー病患者の感覚に似ていなくもない。徘徊を重ねる患者は、患者の脳の中に存在する「原風景」を捜しに行くのだ。もちろん、そこには過去の記憶と関係のない、別の風景がある。現実だ。~懐かしいあの風景はどこにいったんだ~と、患者は探し回る。しかし、それは彼の頭の中にしか存在していないのだ。

最近、もう何年も前から診察をしている患者さんから、「あたしはねえ、先生、信じないかもしれないけれど、日劇ミュージックホールの大スターだったのよ」と告白された。ご自分で「信じられないでしょうけれど・・・」というだけあって、その体形の変化にかつての原風景は見られない。「どれどれ」と、かつての芸名でインターネットの検索エンジンにかけると、なんと、ジプシー・ローズや春川ますみと一緒に記事がある。

「・・・この時代の代表的なダンサーには伊吹まり、メリー松原、ヒロセ元美、ジプシー・ローズ、春川ますみ(メリー・ローズ,愛称ジャンボちゃん)、奈良あけみ、らがいます。トニー谷、関敬六、岡田真澄、E・H・エリックらがコントで活躍し、三島由紀夫が脚本を書いていた、まさに黄金時代でした・・・」。

おそらく、今70歳~80歳の粋な老人にとって、そこに原風景があっても可笑しくはない。「すごい、すごい! こんなことが出来るんだ!」「今度、写真を持って来たら、インターネットに貼ってあげますよ」「だれも見に来ないでしょ」「いや、結構来るもんですよ」「そう、それじゃ、暇な時にやってみてね、今度持ってくるから」。 彼女の「原風景」が、どんなものか、ちょっと覗いて見たい気がしたのはいうまでもない。

そのうち、読者にもURLをお教えしよう。

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