ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2002年4月号 -介護保険制度3年目へ- backnumberへ
 介護保険がスタートして、約3年目を迎える。

私が住んでいる世田谷区では、介護保険の運営に関する前準備のために、多くのヒアリングを重ね、策定委員会などを経てスタートした。しかし、当初から、訪問調査員の数が足りなかったり、保険申請を面倒だと思っている老人の掘り起こしに手間取ったり、今までの「措置型福祉」から、自助努力と保険契約を必要とする地域ケアへと変化したことを、区民に説明不足であったりと、いろいろな混乱が生じていた。

医師の方はというと、変化に対応する下準備が遅れ、介護保険システムを理解するのに手間取った。医師会は、なかなか動かない会員たちを前に、やっきになって旗を振っていた。

介護度を判定するための介護認定審査会に医師の参加が不可欠であるため、認定作業をどのように進めるかのマニュアル化を医師会が作り、医師会員を審査委員として適切であるよう教育した。現在、一つの審査単位(部会)が5人で、40の部会、計200人が認定作業をしている。世田谷区医師会と玉川医師会から医師が二名ずつ、80人が参加して医学的な観点からも適切な利用者の病状が把握できるように努めている。

しかし、介護保険と一口に言っても、日本全国千差万別だ。私の友人が茨城県のある小都市にいるが、医師会員の数が少なく、審査会も3、4部会にとどまっているようだ。しかも、先生方は老齢化していて、お願いしても「やりたくないね」と断られるとか。都内でも、世田谷区と同じ人口を持っていても、部会の数を7つくらいに絞って、かなり効率的に審査会を運営しているところもある。効率良く、といえば、ほとんどコンピューター判定をそのまま審査会の判定にしてしまい、利用者が承服できなければ、区分変更願いを出してもらい、その分だけはしっかりと審査する、などとしている区もあるらしい。世田谷区は真面目だといえば真面目だし、要領が悪いといえば要領が悪い。大きな組織になると、舵を切るのも大変なのだ。

M区では、介護保険の適応外であることが、行政による住宅改修を受けられることの要件になっているようで、「住宅改修のため」と付帯事項が記されていると、「自立」と審査会はほぼ満場一致で判定してしまうらしい。こう考えると、意外と日本の自治体というのは、それぞれの地域にあったやり方で、国の施策を上手に「手前勝手」に運用しているのだということが分って、むしろ微笑ましいかぎりだ。

であれば、自治体の行政機構とうまく手を携えて、より良い、住みやすい環境にしていくのが、住民の努力だろう。医師も、そうした観点から、ぬくぬくとした安寧の中に安住せず、積極的に地域社会に出て行かなければ、自分のアイデンティティを、そのうちなくしてしまうだろう。

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