石井正教授コラム『継続可能な地域医療体制について』(毎月15日掲載)
石井 正 教授

石井 正 教授

1989年
東北大学卒業
1989年
公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる
1992年
東北大学第二外科(現 総合外科)入局
2002年
石巻赤十字病院第一外科部長就任
2007年
石巻赤十字病院医療社会事業部長に異動
2011年2月
宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱
2011年3月
宮城県災害医療コーディネーターとして石巻医療圏の医療救護活動を統括
2012年10月
東北大学病院総合地域医療教育支援部教授就任
2022年
卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長兼任
2022年10月号
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東北大学の強さ

震災後の東北大学との関わりについて、お聞かせください。

著書の『石巻災害医療の全記録』にも書いていないのですが、今は方々で言っているので、ここでもお話ししますね。実は震災時、大学とは喧嘩したんですよ。震災当時、東北大学病院の病院長は私と同じ第二外科(現 総合外科(2018年に第一外科と第二外科が統合))出身の里見進先生でしたが、最初は連絡が取れていなかったんです。しかし、石巻赤十字病院は東北大学関連病院ですし、大変なことになっているという状況が伝わったようで、第一外科(現 総合外科)の教授でいらした海野倫明先生が「どういう状況なの。どういう支援が必要なの」と石巻にいらして、尋ねてくださったので、「こういう状況です。人を出してください。道がなくて、自衛隊がかき分けて道を作っている状況なので、できればRV車のような車に分乗して来てくださると助かります」と答えました。それで海野先生は帰っていかれたのですが、石巻にやって来たのは50人乗りの観光バスみたいなバスでした(笑)。

それは驚きますね。

石巻赤十字病院は三陸沿岸道路の石巻女川インターチェンジにほぼ隣接していて、車でのアクセスが容易なので、バスで来たのでしょう。今でも覚えていますが、テンガロンハットを被っている人とか、白衣のままの人とか、農村医療の手伝いに来たかのような出で立ちのドクターたちがバスから降りてきたんです。映画のシーンのような災害であることを当時の誰もイメージできないでしょうから、今にして思えば、仕方ないですね。道がないから、町がぐちゃぐちゃなのに、降りてきたドクターたちは誰も救護服を着ておらず、安全靴も履いていませんでした。白衣で瓦礫だらけのところに行くのは危険です。それで、私と救命救急センター長だった石橋悟は激怒しました。

石橋先生は現在は石巻赤十字病院の院長先生ですね。

石橋ともども大人げなかったですね(笑)。そのチームを率いていた血液内科の張替秀郎教授は月に1回ほど石巻赤十字病院に外勤に来ておられたので、お顔だけは知っていました。張替先生は東北大学ワクチン接種センターでセンター長を務めていただいているなど、今は親しくさせていただいていますが、当時は大学の偉い教授と関連病院に勤務する40代の一介の医師という違いがあったんです。今なら絶対にそんなことは言わないですが、「あれほど危険だと言ったでしょう。そんなに観光したいなら、そのバスで市内一周して帰って下さい。」と言ってしまいました。こういうことは真似しないでください(笑)。でも、そこから先が張替先生のすごいところです。バスから降りた医師たちがいる場所から離れたところに私たちを呼び、話を聞いてくださったんです。

どのようなお話をされたのですか。

町がこういう状況だから、あのような格好では危ないし、道もないから、観光バスで行ける避難所は1つもないこと、あの医師たちに出す食事や寝る場所の用意もできないことを伝えました。並みの教授なら「後輩の分際で偉そうだ」「田舎の病院に折角、来てやったのに、若造が」などと怒りそうなものの、張替先生は全く怒らず、「そうなんだ」と穏やかにおっしゃってそのまま帰って、里見病院長に報告してくださったんです。そこでも「あんな奴らは失礼だから、石巻赤十字病院への支援は止めましょう」という悪意の報告ではなく、「こういうことを彼らは言っていますが、どうしましょう」という報告だったようです。それで里見病院長が「普段、真面目に仕事をしているあいつらがそんなに歯向かってくるのだから、何か理由があるのだろう。もしかしたら、こちらの支援の仕方が間違っているのかもしれない」という議論になったそうです。それで、石巻赤十字病院のほかにも被災している病院があるし、それらの病院の後方支援に徹しようというスタンスになったと聞きました。要するに、医師を現場に派遣するのではなく、最前線の病院からの患者さんを全て引き受けるサポートへシフトチェンジしようということになったのです。

素晴らしい対応ですね。

「なんて大人な人だ。負けた。」と思いましたね。これが東北大学が評価されていることの一つです。大学病院は本来、専門家の集団であり、同じ内科であっても、呼吸器内科の医師が消化器内科に「お腹が痛い」と言って来られる患者さんを診ることはありません。しかし里見先生はそれを撤廃され、「全員がしばらく総合医になれ」と大学の対策会議で全診療科長に提案し、了承されたそうです。あとになって東北大学病院の看護部長にも聞いたのですが、石巻赤十字病院をはじめ、色々な病院から患者さんが送られてきて、ランダムに病棟に割り振られていったそうです。従って各診療科の医師たちは自分の専門外の患者さんも当然、診なくてはいけません。皮膚科の医師が肺炎の患者さんを診ることもあったそうですが、1件も断ることなく全て受け入れ、全く不満の声が上がらなかったそうです。私と石橋医師のような若造に文句を言われたことに怒るのではなく、支援の仕方を見直すというのはすごいことですね。懐が深すぎます。これが今回の新型コロナウイルスの診療やワクチン接種にも繋がっています。これが東北大学の学風なんです。

ほかの大学が簡単に真似できることではないですね。

東北大学は地域のために何かしようというときに「うちの診療科は協力しません」という声が教授陣から出ないんです。東北大学は地域を守ってきた100年以上の歴史があり、臨床科の教授は東北大学出身者が圧倒的に多いです。現在の初期臨床研修制度が始まる前、卒業後すぐに一度は外の病院に出るというのは旧帝大では名古屋大学と東北大学が取り入れていたシステムでした。東北大学では内科と外科はすぐに外に出て、耳鼻咽喉科などの科は入局するものの、1カ月間位のオリエンテーション後は外に出るというシステムだったので、東北大学出身者は原則全員地域医療の経験があり、地域の実情を知っています。大学の外から大学のありようを見た経験があるので、地域が困っているときに協力するのは普通のことだと思っています。

先生が石巻で他業種の方々と連携されてきた姿も印象的でした。

学生にも「ほかの業種の方々をきちんとリスペクトしろ」と言っていますし、自分でも心がけています。医師は大勢の中から選ばれて医師という道にたどり着いたという思いがあるからか、他業種を見下すような人がなきにしもあらずですが、他業種の方々に対して、その道では勝てないことを自覚しなくてはいけません。「病院の掃除のスタッフがしている仕事をあなたは同じようにできますか。スキルがないから、できないですよね」と言いたいのです。それが分かれば、自然と「ありがとう」という気持ちになるはずです。医師はあくまでも社会を構成している様々な仕事の一部を分担しているだけなんです。私は2浪していますし、石巻赤十字病院で金田巌先生から厳しいご指導を受けたこともあり、自分をエリートと思ったことは一度もありません。相手をリスペクトしてお付き合いすると、向こうも胸襟を開いてくださると思っています。

熊本地震

石巻での経験は2016年の熊本地震でも役立ちましたか。

熊本地震は私の黒歴史であり、反省しかありません。石巻での対応が世間的に評価されていたので、日本で災害があったときには私が駆けつければ力になれるのではと調子に乗っていたのでしょう。熊本地震のときは熊本赤十字病院の友人から電話があり、「来てください」と言われたので、行ったのです。熊本地震は前震の2日後に本震がありましたが、本震の直後に行きました。公的な依頼ではなかったので、大学の休みを取ったんです。熊本赤十字病院は東日本大震災時に石巻にもずっとスタッフを出してくれていたので、知り合いもたくさんいましたし、「よく来てくれました」と言われました。ところが、熊本県庁での会議などに行くと、色々な組織や職種の人がいまして、アセスメントの評価表などについて「こうした方がいいと思いますよ」と意見を言うと、反発を買ってしまいました。

先生が有名だからでしょうか。

確かに「あ、石井先生が来た」みたいな雰囲気はありましたが、あとから思ったこととしては地元ではないところでいくら意見を言っても、「外野が言っている」としか受け取られないのだということです。半年ぐらい滞在すれば信頼されたかもしれませんが、1週間ぐらいで帰る東北から来た人が正論らしいことを言っても、うまくいかないですよ。それで、その後2回目に熊本に行ったときには県の会議などには出ませんでした。石巻赤十字病院災害医療研修センター内に災害医療ACT研究所というNPO法人があるのですが、そこが自動ラップ式トイレの「ラップポン」を配布する事業をしているので、私はその1研究所員として、ラップポンの配布だけのために行きました。

先生は日赤災害医療コーディネーターでもいらっしゃいますよね。

そうです。それで日赤のお手伝いもしていて、熊本地震の時は日赤からは歓迎されたのですが、そうでない人たちもいました。私が何か言うと影響力があるようで、それが面白くない人もいるでしょう。人間は、嫌いな人から正論を言われても受けつけないけれども、信頼している人が言うことには、必ずしも適切でないかもしれないと思っても「あいつが言うならそうするか」となりがちです。他所様に行って偉そうなことを言うと、かえって現場を乱すことになるので、やはり災害対応は地元の人間が主体となって行うべきです。今後、南海トラフ地震などが起きる可能性もありますが、私は基本的には宮城県に残り、こちらから人を出す調整をしていきたいと考えています。

(11月号に続く)

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