クリニックの窓教えて、開業医のホント

バックナンバーはコチラ

伊藤整形・内科 あいち腰痛オペクリニック

伊藤 不二夫 院長

伊藤 不二夫 院長プロフィール

 1946年に愛知県瀬戸市に生まれる。1971年に名古屋大学を卒業後、診療所などで研修を行う。1973年に名古屋大学大学院に入学し、神経内科を学ぶ。国立名古屋病院(現 名古屋医療センター)神経内科、1975年に中部労災病院整形外科に勤務を経て、1980年に名古屋大学医学部附属病院理学療法部に副部長として勤務する。1985年に犬山中央病院に整形外科部長兼副院長として着任する。1997年に愛知県丹羽郡扶桑町に伊藤整形・内科を開業する。2007年に伊藤整形・内科を拡大し、「伊藤整形・内科 あいち腰痛オペクリニック」を開業する。
 藤田保健衛生大学脊椎外科客員教授、日本整形外科学会認定医、リウマチ認定医、スポーツドクター認定医、日本東洋医学会認定医、日本温泉気候物理医学会登録医、日本総合理学療法学術協会名誉会長、レーザー医学スペシャリスト、Pacific Asian Society of Minimally Invasive Spine Surgeryのboard memberなど。

 愛知県丹羽郡扶桑町・犬山市は愛知県北部に位置し、かつては養蚕で賑わっていたが、現在は名古屋市のベッドタウンとして人口が伸びている町である。名古屋鉄道犬山線が町の中心部を通っており、犬山駅が玄関口となっている。
 伊藤整形・内科 あいち腰痛オペクリニックは2010年に伊藤整形・内科を拡大する形で開業したクリニックである。伊藤不二夫理事長は海外で経皮的内視鏡下ヘルニア摘出術(PELD)に出会い、日帰りや1泊での手術ができるクリニックを作り上げた。新規開業以来、1日平均250人もの患者さんが訪れ、年間手術件数は1300件と、全国トップクラスの実績を誇る。
 今月は伊藤整形・内科 あいち腰痛オペクリニックの伊藤不二夫理事長にお話を伺った。

開業に至るまで

◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 高校時代は数学と英語が好きで、東京大学の理科II類と京都大学文学部英語科に希望を出していました。ところが、受験直前に風邪を引いたんです。最初は不安な気持ちでしたが、そのうち、どうして風邪を引いたのかという疑問が出てきて、病気がどうして起こるのかを知りたいと言う疑問が湧いてきました。丁度その時、名古屋大学医学部の紹介コーナーに医学部では病気のメカニズム等を解剖や生理学などの基礎から学ぶことが出来るとあり、医学部に急に興味を持ち受験することにしたんです。急遽、進路を変更したという感じでしたね(笑)。


◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 教育委員会の会長を務めていました。そこで、長すぎる受け身の一方向教育に疑問を持ったんです。ノートをとるだけの講義は主体性に欠けますし、ディスカッションなどをしたいと考えたんですね。そこで、学生自身による自主講座グループを立ち上げました。例えば、ワクチンについて、小児科学、免疫学、婦人科学、細胞組織学、公衆衛生学、保健所フィールドワークなどを総合的、有機的に結合し、教授たちも招いて授業を講義しました。「学生がまとめ、学生の、学生による、学生のための医学教育」と粋がってやっていましたよ(笑)。こういった経験が元になり、名古屋大学では水曜日の午後が自由研究の日に制定されました。教授陣の抵抗もありましたが、学生が自主的に過ごすという意味は大きかったですね。このシステムは10年から15年ぐらい続いたようです。


◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 ジャズ楽団でトランペットを吹いたり、弓道部で西医体に参加したりしていました。また解剖学教室で形質細胞の電顕小研究のまねごとをしていましたが、この教室に教育大学から美術の研究生として人体解剖学を勉強に来ていた女性が妻となりました。


◆ 卒業後はまず神経内科を学ばれたのですか。
 卒後1、2年目は小さな診療所を回って地域医療を研修していました。3年目に大学院に入学するときに神経内科を選んだんです。その頃、予防、治療の次の「第三の医学」としてリハビリテーションが注目され始めていました。私もリハビリテーションに興味を持っていたのですが、そのためには神経内科を学ぶ必要があると考えたんですね。


◆ 整形外科に変わられた経緯をお聞かせください。
 神経内科を専攻しましたが、治療学の乏しさに満足できず、リハビリテーション学を目指し、中部地区第一号のリハビリテーション専門医に合格しました。しかし、これも理学療法士とさほど変わりがなく、リハビリには整形手術が必要とだと感じ、転向しました。整形外科に転向してみますと、腰痛をはじめ、脊椎疾患が圧倒的に多いことが分かり、自然に脊椎外科を行うようになっていきました。


◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
 整形では人工関節、外傷、手の外科、脊椎外科などの手術に専念していました。特に腰椎手術は多くを占めましたね。ただ、私は手術と並んで、保存的療法にも力を入れていました。簡単なヘルニアに対して脊椎矯正を行ったり、ペインクリニックのような神経ブロックを行っていたのです。そうするうちに腰痛の保存療法で知られるようになり、「ニュースステーション」に出演したのですが、急激に患者数が増えましたよ。それから5年は外来が夜の8時や10時までとなる状態が続き、非常に忙しかったですね。

開業の契機・理由

◆ 開業の動機をお聞かせください。
 脊椎外科に専念していた勤務医の頃、自らがL1/2椎間板ヘルニアとなり、脊椎固定術を受け、4カ月の休職をしました。紺屋の白袴というところでしょうが、後側方から20cm切開での手術はこたえましたね。以後、メスを断念し、外来保存治療法の脊椎内科を行おうと、50歳で小さな診療所を開設しました。内科医を募集したところ、応募がありましたので、伊藤整形・内科として無床のクリニックを1997年に開業しました。


◆ 開業地をどのように決定されたのですか。
 勤務していた犬山中央病院から1キロも離れていないような場所に広い畑が空いていました。自分でたまたま見つけ、地権者に「貸してください」と頼みに行ったのです。400坪ありましたが、最初は借地でした。現在は6000坪に拡張し、そのうち半分ほどを所有しています。


◆ 開業地の第一印象はいかがでしたか。
 田舎ですし、交通の不便なところといった印象でしたよ(笑)。ただ周囲が広いだけが取り柄のような場所でした。ただ、拡張できそうな点が魅力でした。その頃は拡張については淡い夢物語でしたが、現実になりましたね。


◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことですか。
 内視鏡による手術が大病院でしか保険適応にならないと知ったときは焦りました。建物を建てていましたから、あとには引けませんし、自費診療で患者さんがいらっしゃるのかという不安がありました。しかし、開業当初から多くの患者さんが来てくださり、この分野では全国トップクラスのクリニックへと成長しました。好きこそものの上手なれという衝動だけで開業してしまいましたが、結果としては良かったと思っています。


◆ 資金などはいかがでしたか。
 自己資金が極めて乏しかったのですが、勤務医時代の患者さんが多くついていたこともあり、銀行はほぼ全額である3億円をすんなり貸してくれました。信用貸しと言えるでしょう。開業したと同時に患者さんの数がいきなり上がり、慣れぬせいも加味して、掃除が終了するのが夜中の1時や2時となった状態が1年ぐらい継続しました。しかし、予約制にしてからは10時頃に終わるようになり、ようやく安定してきました。


◆ 当初はどういったスタッフ構成でしたか。
 私のほかは内科医の副院長、事務長、レントゲン技師、看護師3人、マッサージ師、事務3人で出発しました。


◆ そして、2007年に伊藤整形・内科 あいち腰痛オペクリニックを開業されたのですね。
 海外の学会へ出た折に、経皮的内視鏡下ヘルニア摘出術であるPELDの報告を見て、目から鱗が落ちたんです。今後の脊椎外科は低侵襲手術であると確信を得ましたね。それまでレーザー治療は一部の患者さんには有効ですが、あくまでも一部だけだと思っていたのです。しかし、それから本でも学びましたし、海外に研鑽に出るようにもなりました。有名な医師の「追っかけ」をするように、アメリカ、ドイツ、韓国、フランス、イギリスなど、年に1週間ずつぐらいの単位で数回行っていましたよ。そこで、60歳にして、19床のオペセンターを設立しました。それから6年が経過し、年間脊椎手術1300余件が3年継続するようになって、今日に至っています。



◆ 新しいクリニックのコンセプトをお聞かせください。
 椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症や圧迫骨折などの手術を「小さく、早く、安全に」行おうということです。



◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 本院である、あいち腰痛オペクリニックは1.5T-MRIが2台、64multi-CTが1台、0.3T-MRIが1台、エコー4台、長尺X-ray、イメージ4台、内視鏡専用手術室2室、脊椎手術室1室、外来診察用ブース10、病床は19床を備えています。病床のうち9床が個室となっています。婦人科診察、マンモグラフィー、胃透視、胃内視鏡などが可能な検診部もあります。
 分院の東京腰痛クリニックは診察室3、日帰り手術室1室、イメージ1台、X-rayといったところです。



◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
 最初は低価格のクロス内装でしたが、3年から5年もすると壁紙は汚れ、貼り直しが必要になってきたので、全て大理石の壁に変更しました。3倍の価格ですが、それ以上の保ちがよく、きれいで気持ちが良い、デラックスなものになっています。トイレは特に総大理石で、清潔を第一としました。最初は200坪の無床クリニックでしたが、5年後に400坪のリハビリ棟兼職員棟、10年後に800坪19床の脊椎専門手術センター、15年後に75坪の銀座分院である脊椎専門外来を増設してきました。


クリニックについて

◆ 診療内容をお聞かせください。
 基本的にはMRI、CT、機能X-rayによる有料脊椎ドックを行い、低侵襲脊椎手術が必要な場合には1、2泊入院で行っています。局麻下椎間板ヘルニア摘出術PELDは1泊、内視鏡下脊柱管拡大術MELは2泊、経皮的内視鏡下頸椎ヘルニア摘出術PECDは1泊、圧迫骨折椎体形成術は1泊、腰椎固定術TLIFは4泊、頸椎人工椎間板置換術は3泊で、これらの低侵襲脊椎外科を専門としています。


◆ 病診連携については、いかがですか。
 多椎間固定術の必要例、脊椎腫瘍、側弯症などは大学病院などへ紹介し、逆に大学教授などの特別手術日を当院に設けて、若い医師の教育にも力を入れています。


◆ 経営理念をお教えください。
 世界の最新技術、最先端のものを取り入れ、保険制度にとらわれない、自由診療で良いもの、必要なものは積極的に導入、実践しています。また私自身も60歳から経皮的内視鏡手術PELD、PECDにとりつかれ、週に6件から8件の手術をするようになっています。
 一方、学術活動は重要であり、年に1回、国際学会を当院主催で行っています。既に6回が開催されました。2013年度は世界から160名の医師が集まり、2日間にわたり、全て英語で学会を開催しました。
 現在、規模を拡大すべき必要性が増してきており、数名の脊椎外科専攻希望の医師や内科医を募集しています。


◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 月1回、全職員合同研修日を設け、各部所の発表やミーティングを行っています。医師には国際学会などへの発表を積極的に行うように奨励しています。新技術で低侵襲なものがあれば、世界どこにでも行き、導入する積極性を重要視しています。


◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
 NHKスペシャル「病の起源」への出演DVDのほか、民放テレビに出演したときのDVDが数本あるので、それらを待合室で放映したり、DVDを自由に持ち帰っていただいています。それからホームページですね。


開業に向けてのアドバイス

 自分の好きなことを一生懸命してほしいですね。特に専門性、特殊性、独自性が重要です。開業は計算できるものはなく、捕らぬ狸の皮算用になってしまいがちですが、得意なことを持ってほしいですね。これだというものに取り組んでいたら、必ず患者さんには分かり、「こんなことで光っているクリニックなんだ」と認識していただけます。特に宣伝に力を入れなくても、結果がついてくるはずです。

プライベートの過ごし方(開業後)

 リハビリテーションの部屋でトランペットを吹いています。皆で音楽会を開催することもありますよ。そのほかはハーフのゴルフや散策でしょうか。海外の学会発表の準備や論文執筆に追われることもあります。

タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

伊藤整形・内科 あいち腰痛オペクリニック
  院長 伊藤 不二夫
  住所 〒480-0102
愛知県丹羽郡扶桑町高雄郷東41
  医療設備 1.5T-MRI(2台)、64multi-CT(1台)、0.3T-MRI(1台)、エコー(4台)、長尺X-ray、イメージ(4台)、内視鏡専用手術室2室、脊椎手術室1室、外来診察用ブース10、マンモグラフィー、胃透視、胃内視鏡など
  スタッフ 109人(理事長、常勤整形外科医6人、非常勤整形外科医15人、常勤麻酔科医1人、非常勤麻酔科医4人、非常勤内科医5人、常勤看護師40人、非常勤看護師10人、放射線技師7人、理学療法士5人、常勤事務15人)
  物件形態 戸建
  延べ床面積 約1400坪
  敷地面積 約6000坪
  開業資金 約3億円
  在宅患者数の変遷 開業当初 250人 → 3カ月後 250人 → 6カ月後 250人 → 現在 250人
  URL http://www.itoortho.jp/index.html

2013.06.01 掲載 (C)LinkStaff

バックナンバーはコチラ

リンク医療総合研究所 非常勤で働きながら開業準備

おすすめ求人

  • 矯正医官
  • A CLINIC GINZA