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香取整形外科

藤田 実彦 院長

香取 勧 院長プロフィール

 1972年に東京都目黒区に生まれる。1997年に東邦大学を卒業後、東邦大学整形外科に入局する。東邦大学医療センター大森病院、横浜東邦病院などに勤務を経て、2007年12月に川崎社会保険病院に勤務する。2008年1月に香取整形外科を継承する。

◆ 資格・所属学会

日本整形外科学会専門医、日本脊椎脊髄病学会専門医。日本骨折治療学会、東日本整形災害外科学会。

 東京都世田谷区世田谷は世田谷区内の中心部にあたる。香取整形外科は香取勧院長のお父様が1977年に同地に開業した診療所で、35年の歴史を数える。東急世田谷線の上町駅から歩いて3分ほどの好立地である。診療所近くの世田谷通りはバス路線が多数あり、渋谷、三軒茶屋、小田急線の千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵、成城学園 他、多数の駅とつながっている。
 香取院長は東邦大学卒業後、整形外科医として脊椎を専門に活躍してきたが、2008年にお父様の急死を受けて、香取整形外科を継承した。運動療法で患者さんに自立してもらうために4人の理学療法士がいるのが特徴である。
 また、お父様の代から訪問看護ステーションこあらやデイケアかとりを開設し、介護や福祉面でも地域に貢献している。
今月は香取整形外科の香取勧院長にお話を伺った。


開業に至るまで

病院風景 ◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 父が医師で、この場所で整形外科医院を開業していました。私は三男なのですが、兄二人が医師の道を選ばなかったので、私がやらないといけないのかなと思っていたんです(笑)。小さい頃からプラモデルを組み立てたり、半田ごてを使って電子キットを完成させたりと、細かい作業が好きでしたので、医師に向いているところもありましたし、割と自然に医学部を目指すようになっていました。

◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 ヨット部に入り、勉強よりも部活動中心の生活でした(笑)。ハーバーは色々、引っ越したのですが、江の島がメインでした。ヨット部は人間関係が濃厚なんですよ。先輩、後輩だけでなく、ほかの大学とも交流が盛んで、今も強い繋がりが続いています。
 ヨットのほかはコンピューターですね。ベーシックプログラミングもいじっていました。中高6年間は水泳部で、コンピューターからは少し離れてしまったのですが、93年ぐらいに復活し、MACを買い、パソコン通信などをしていました。3DCGの出始めの頃で、楽しかったですね。

◆ 専門を整形外科に決められた経緯をお聞かせください。
 父も整形外科医ですし、将来は父の医院を継承するつもりがあったので、大学在学中にすんなりと決めました。ただ、脊椎に興味があったので、脳神経外科にも憧れがありました。最終的には脊椎にアプローチすることを決めたので、整形外科を選択しました。

◆ 勤務医時代を振り返っていかがですか。
 忙しいけれど、楽しかったです。脊椎ばかり経験させていただきました。脊椎専門の教授がいらっしゃいましたが、その先生は早くに退官されてしまい、講師の先生のすぐ下の私ともう一人、1学年下の後輩の3人で独立した脊椎チームを作り、和気藹藹とやっていました。独立したチームで動いていましたので、医局のしがらみなどを感じずに済んだのも良かったですね(笑)。脊椎の手術はダイナミックですし、面白いんです。仕事はきついし、給料も安いけど、遣り甲斐のある毎日を過ごせたと思っています。


開業の契機・理由

病院風景 ◆ 開業を決心された理由をお聞かせください。
 2007年12月に川崎社会保険病院へ異動となり、普通に勤務していました。当時は父も元気に開業医を務めていましたが、2008年の正月にゴルフをプレイし具合が悪くなって、急死しました。そのため、私は異動したばかりの病院を急遽、退職させていただき、父の医院を継承したのです。父が他界したのは1月3日ですが、1月5日には私がここで外来を行っていました。

◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことですか。
 継承の場合、継承するまでに週に1、2度、非常勤として診療を行うことが多いと聞きますが、私はそのようなソフトランディングの期間を全く持たず、何の準備もしないで継承しました。職員は約40人と多いのですが、顔見知りもいなかったので、職員同士の意見の食い違いや職員と業者との意思疎通などをどう解決すべきか、最初は苦労しましたね。
 保険請求業務に関しても、どういう流れになっているのか全く分かりませんでしたし、労務管理なども独学で学びました。ただ、母や兄二人が株式会社や社会福祉法人などを経営しているので、経営に関しては母に尋ねることが多かったです。

病院風景◆ 設計、内装などは変えられたのですか。
 父が開業した頃は有床診療所でしたし、手術室もあったのですが、患者さんからのニーズに対応するため、父が徐々にリハビリ室、理学療法室、デイケアなどに変更していったんです。私が継承した当初は全く変えていません。継承後、しばらくしてから、老朽化したところなどを少しずつリフォームしています。

◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 継承にあたって、電子カルテやレントゲンの電子化を行いました。開業医の場合、レントゲンを自分で撮らないといけないのですが、フィルムの場合はうまく撮らないといけませんし、現像にも時間がかかってしまいます。その点、デジタルは少し外れても、うまく撮れますしね。

◆ スタッフも変更はなかったのですか。
 継承した時点では、ちょうど退職する予定だったスタッフの補充のほかは変化はありませんでした。現在、訪問看護ステーションの方が忙しくなっていますので、訪問看護師が欲しいですね。

◆ デイケアかとりや訪問看護ステーションこあらの設立の理由をお聞かせください。
 介護保険制度の導入前から、父が取り組んできた事業です。私が行ってきた仕事とは分野が異なりますので、今も勉強しています。介護保険の請求業務も難しいんですよ。最初はどういうふうにお金が発生するのかも分かりませんでしたし、多くのスタッフを雇用する必要がありますから、大変ですね。ただ、今は診療所本体よりも訪問看護ステーションの方が売上は大きくなっています。


クリニックについて

病院風景 ◆ 診療内容をお聞かせください。
 一般的な整形外科診療に加え、腰痛、スポーツ外傷、リハビリテーション、運動療法指導などに力を入れています。リハビリテーションは訪問リハビリも行っています。また、父の代からリウマチ科も標榜しています。
 脊椎が専門でしたので、腰痛でいらっしゃる患者さんは多いですね。腰痛治療は諸説があり、非常に深いのです。代替療法も盛んですが、中には質を疑うものもあります。しかし、そういったものが介入してしまうのも、我々がエビデンスを確立できないからだとも思います。それでも、教科書に示されているエビデンスでは説明できない症状もあり、私もさらに学ぶ必要を感じています。
 腰痛のみならず、膝や肩の痛みでいらっしゃる患者さんも少なくありません。いずれにしても、私どもでは運動機能を高める治療を重要視しています。薬や物理療法だけに頼ることなく、運動器リハビリテーションを積極的に行っています。この規模の診療所にしては珍しく、常勤の理学療法士が4人、在籍していることも特徴で、運動器リハビリテーション料の施設基準のIIを取得しています。
 患者さんが寝たきりで長生きするのではなく、自立することを目指しています。寝たきりの患者さんの増加は国の医療費を押し上げている原因の一つですから、私どもでの取り組みは、結果として国の医療費抑制に繋がるものだと思っています。

◆ 病診連携については、いかがですか。
 勤務医時代、長くお世話になった東邦大学医療センター大森病院のほか、駒沢病院、世田谷中央病院、関東中央病院、国立成育医療センター、三宿病院、東邦大学医療センター大橋病院、都立荏原病院、日本赤十字社大森病院、日本大学医学部附属板橋病院、昭和大学病院、日産厚生会玉川病院、JR東京総合病院、東京医療センター、東京医科大学病院などと連携しています。紹介状を書くケースは多いですし、逆紹介も活発になっていますね。
 また、最後に勤務していた川崎社会保険病院で、週に1回主に手術を担当しています。

◆ 経営理念をお教えください。
 一番、大切にしていることは「誠実さ」です。全てのことにおいて、誠実に対応していけば、必ず道は開けると信じています。自分にとって、また患者さんにとって、嘘のない行動を取ることを心がけ、どうすれば誠実な対応を行えるのか、常に考えるようにしています。

◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 毎月1回、第4水曜日の夕方に勉強会を開催しています。各スタッフが持ち回りで講師となり、それぞれが取り上げたいテーマで行います。理学療法士でしたら、物理療法の適応や役に立つ事例などですね。脊髄小脳変性症のリポートなどもありました。私どもの理学療法士は学会でも発表していますし、アカデミックな勉強家が揃っているんですよ。

◆ 増患対策について、どのようなことをなされていますか。
 ホームページがメインですね。ときどき、ツイッターで呟いたりもしています(笑)。駅の看板は東急世田谷線の松陰神社駅と上町駅に出しています。私どもは世田谷通りに面しているわけではなく、世田谷通りから入っていく地点が迷いやすいので、そのあたりの3本の電柱にも広告を出しています。先代から開業しているので、地域には名前が知れていますし、世田谷、桜、弦巻、豪徳寺、若林など、やはり近隣の患者さんが多いですね。患者さんが増えすぎることで、一人の患者さんの満足度が下がってしまうのは避けたいですが、もう少し増えても、満足度への対策は取れますので、若干の増患を望みたいです。


開業に向けてのアドバイス

 私自身は時間がない間に先代を継いだので、立地条件ですとか、マーケティングや診療圏調査など、いわゆる開業前のアドバイスを申し上げる立場にはありません。ただ、開業後に関しては、開業医には勤務医とは違う苦労や楽しみがあるということは言えますね。勤務医は確かに仕事がきつく、拘束時間も長いですが、開業医は「これからどうしよう」という悩みが常にあります。経済的な負担や資金繰りも苦しいですし、職員同士の人間関係、労務管理など、リーダーシップを発揮しなければいけないんです。こういった問題を一つ一つ解決することに喜びを感じられる人が開業医には向いているのではないでしょうか。開業医は診療とは別の苦労の方がウェートが大きいので、患者さんだけを診ていたい、診療だけをやっていたい人は勤務医を続けられた方がいいと思います。


プライベートの過ごし方(開業後)

 9歳、6歳、4歳の子どもがいますので、子育てが中心です。土曜日は診療を行っていますので、休みが日曜日しかないのですが、どこか遊びに連れていくことが多いですね。最近は越後湯沢にスキーに行ってきました。開業後はヨットに乗る機会はなくなってしまいましたが、ヨット部時代の仲間とはたまに飲みに行っています。


タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

香取整形外科
  院長 香取 勧(かとり・すすむ)
  住所 〒154-0017
東京都世田谷区世田谷1-42-11
  医療設備 電子カルテ、心電図、レントゲン、リハビリ室、理学療法室、骨密度測定機、超音波骨折治療機
  スタッフ 39人(院長、常勤看護師2人、非常勤看護助手1人、理学療法士4人、常勤鍼灸マッサージ師1人、非常勤鍼灸マッサージ師1人、柔道整復師1人、受付1人、総務1人、訪問看護師5人、訪問看護管理者看護師1人、訪問理学療法士5人、訪問言語聴覚士1人、非常勤訪問理学療法士1人、非常勤訪問作業療法士2人、訪問看護事務1人、非常勤デイケア理学療法士1人、非常勤デイケア看護師1人、介護ヘルパー4人、介護福祉士1人、そのほかスタッフ3人)
  物件形態 戸建て
  延べ床面積 約500平米
  敷地面積 約600平米
  開業資金 1500万円(土地、建物は継承)
  外来患者/日の変遷 開業当初 50名 → 3カ月後 55名 → 6カ月後 55名 → 現在 90名
  URL http://www.tamonkai.or.jp/index.html

2012.04.01 掲載 (C)LinkStaff

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