医師を目指された経緯をお聞かせください。
小さい頃は身体が弱く、医師が身近な存在でした。また、中学高校はカトリック系の一貫校に通いましたので、聖書の教えを受ける機会があったんですね。その中で「持てるものは力を発揮せよ」という教えに感銘を受け、医師になろうと考えました。父は工学部出身で、ものづくりの仕事をしていたので、私もいいなあと憧れていた時期があったのですが、父から早々と「お前はものづくりには向いていない」と言われ、「それなら止めますか」と思ったという経緯もあります(笑)。
大学時代はどのような学生でしたか。
剣道部に入っていましたが、途中で辞めました。しかし、公衆衛生学研究会というサークル活動には打ち込みました。このサークルで、毎年、北海道の無医村でボランティア活動を行っていたのが思い出に残っています。
大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
特別な趣味はなく、普通の学生で、普通に勉強し、普通に遊んでいました(笑)。
専門を眼科に決めたのはどんな理由からですか。
剣道部の先輩に誘われたのがきっかけで、興味を持ちました。眼科は自分で診断をつけ、自分で手術して治せるのが面白いと感じましたね。5年生のときに決めました。
その中で角膜移植を専攻されたのはどうしてですか。
私自身の興味からです。大学病院で長く取り組みましたが、慶應の関連病院の中で角膜移植に力を入れている東京歯科大学市川総合病院にも勤務しました。東京歯科大学市川総合病院は慶應系列の病院ではありますが、角膜移植を学びたい医師が色々なところから来ており、勉強になりました。
鶴見大学歯学部附属病院にも勤務されているのですね。
こちらは医局とは関係なく、眼科の教授が大学の先輩というご縁で角膜移植の診察をしに行っていました。その当時の患者さんで私どもに来られる方は今も来院されており、角膜移植の手術後の経過を診察させていただいています。
お花茶屋眼科で副院長も経験されています。
開業しようと思っていたのですが、クリニックへの勤務経験がなかったので、開業後に備えた勉強のために勤務させていただきました。大きな法人の中の一つのクリニックですから、外来だけでなく、手術も担当していました。割と自由にさせていただけたのが良かったです。クリニック勤務を通じて、保険のことや患者さんへの接し方などを学びました。クリニックは大学病院とは違い、慢性疾患の患者さんが多くいらっしゃいます。軽い疾患でもお悩みの方が多いのだということを知りましたね。
勤務医時代を振り返って、いかがですか。
忙しかったです(笑)。当直して、手術して、外来してという感じでした。自分の予定を組みにくいのですが、代わりの人がいるのは良かったです。開業後は自分の予定を組むのは容易になりましたが、代わりの人がいないのが辛いですね。特に土曜日は混みますから、ほかの人に任せるわけにはいきませんし、連休が取れないので、国内での移動も難しいです。