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生井 明治 院長

生井 明治 院長プロフィール

 1984年に日本大学医学部を卒業後、日本大学医学部附属病院耳鼻咽喉科に入局する。1988年に同大学医学部大学院を修了し、医学博士号を取得する。1990年に東松山市民病院に勤務し、1993年に日本大学医学部附属板橋病院に着任する。耳鼻咽喉科外来医長、気管食道科病棟医長、外来医長を歴任する。1993年から1995年までメリカピッツバーグ大学医学部に留学する。1996年に日本大学医学部耳鼻咽喉科の講師に就任する。1999年に日本大学医学部附属病院光が丘病院耳鼻咽喉科科長に就任する。2010年にはくらく耳鼻咽喉科・アレルギー科クリニックを開業する。日本耳鼻咽喉科学会専門医。身体障害者福祉法指定医。日本耳鼻咽喉科学会補聴器相談医。日本大学医学部非常勤講師。新潟大学歯学部非常勤講師。

 生井明治院長はcommon diseaseから難病まで、耳鼻咽喉科領域での豊富な臨床経験を礎に2010年1月、50歳で開業した。プライマリケアを担う開業医にとって最も大切なことは生命に関わる重大な疾患を見逃さないこと、そして患者さんの痛みや辛さに対して共感的に接し、苦痛を取り除くことであろう。大学病院など勤務医時代には8000件の手術を経験したという生井院長の豊富な引き出しには、プライマリケアの患者さんから得た少ない情報から鑑別診断に至る知識が詰まっている。患者さんは医師の言葉に敏感であることをいつも意識し、患者接遇にも細心の注意を払う生井院長は、今、プライマリケア医として第二の医師人生を歩き始めた。


開業前後

病院風景02

 生井院長の大学時代の恩師は味覚障害の診断と治療で著明な日本大学名誉教授の富田寛氏であった。耳鼻咽喉科を選択したのは外科系、内科系両方の治療技術を取得できると考えたからだったそうだ。生井院長は富田教授の薫陶を得て、味覚障害を始め、様々な耳鼻咽喉科領域の診断と治療の研鑽を積んだ。鼓室形成術、副鼻腔関連の手術、声帯ポリープさらには悪性腫瘍の手術など、大学病院ならではの手術も経験した。大学病院時代、勤務医時代を通じて8000件を超える手術をこなしたという。

 「耳鼻咽喉科は野球で言えばショートのような存在です。これは富田先生の言葉ですが、耳鼻咽喉科は口腔外科など他領域の疾患と重複することが多いんですね。したがってショートストップが華麗にダブルプレーを決めるように他の領域との連携が必要な診療科です。」


病院風景03

 開業しても病診連携、診診連携は重要だ。手術が必要な患者さんをどの医療機関に紹介すべきか、内科、脳神経外科領域などの他領域の疾患を抱えた患者さんが受診したら、どの診療科に紹介したらよいのかなどを的確に判断し、個々の患者さんのニーズを大切にしながら最も適切な医療機関を紹介しなければならない。プライマリケア医になってからは「ショートストップとしての役割」はますます重要になったと感じている。

 1990年代にはピッツバーグ大学に留学し、アメリカの医療事情、研究事情を知った。

 「留学は3年間でした。主に中耳、内耳の形態学について基礎的な研究をしましたが、そこで多くの知己を得たことが財産です。同じ留学仲間には今も助けられることが多いですね。」
 開業を考えたのは2年前だという。

 「大学病院の仕事も魅力的でしたが、臨床医としての経験を積み、大学病院などで得た知識と技術を地域医療に生かすべきだと考えるようになりました。自分が理想とする医療を実践したかったのです。」

 生井院長は地域住民に密着して地域住民の健康を守る仕事により大きな魅力を感じたのである。しかし、現実が理想通りにいくことは少なく、新しい苦労も始まった。

 「『開業医は診療3割、経営7割』と言われるほどです。勤務医時代とは違った苦労は覚悟の上でしたね。」

 奥様の実家が渋谷と元町・中華街駅をつなぐ東急東横線沿線にあったので、開業も東横線沿線と決めた。さらに、リサーチの結果、最終的に横浜からも近い白楽駅から徒歩1分の白楽メディカルセンタービルを第二の医師人生を歩む場所と決めた。

 「開業資金は4000万円ほどでした。経鼻内視鏡装置、モニター、患者さんの医療情報をストックするファイリングシステムなどを揃えると、どうしてもそのくらいはかかりますね。」

 エレベーターで3階に上がると、白とダークブラウンを基調とした清潔感にあふれるシンプルでゆったりした待合室が広がる。

 「再診の患者さんは予約可能なので、初診でもお待ちいただく時間は長くて30分程度です。」

 待合室から中待合室、そして奥まった部屋が診察室となっている。患者さんや生井院長の声がほかの患者さんに聞かれる心配はなさそうで、プライバシーにも配慮した設計である。診察が終わると、これから診察を受ける患者さんとのすれ違いを避けるように別の通路を通って受付へ出ることができる。そこで処方せんなどを受け取る仕組みだ。

 現在のところ、1日の患者数は60人ほどで、60歳代から70歳代の高齢者が多いという。

 「花粉症の季節だったので、開業してすぐの割には患者さんが多かったですね。」


クリニックの内容と特徴

病院風景04

 はくらく耳鼻咽喉科・アレルギー科クリニックは耳鼻科領域全般の治療を専門に行っているが、中でも鼻アレルギーと味覚障害について力を入れている。

 「命に関わる重大性はなくても、鼻・耳・咽喉頭の不快な症状は患者さんのQOLを損ないます。症状の改善が第一ではありますが、医師の言葉が患者さんを不安にしたり、逆に落ち着かせますので、私は患者さんの気持ちを楽にする意味でも医師の言葉は非常に重要だと考えています。」

 不快な症状で悩んでいる患者さんがいれば、同じ症状で悩んでいる方がほかにも多くいらっしゃること、症状がより重い人もいることを説明し、一人きりでないことを納得していただくような患者接遇が大事であることを強調する。


病院風景05

 「いくつかの治療法がある場合は選択肢を提示して、相談しながら患者さんに納得していただいた上で治療を行います。高解像度のモニターで耳の中やのどの奥の状態を見ながら説明します。また、パンフレットなども用意して、病気についてよりよく理解していただけるよう心がけています。」

 現在、スタッフは6名で、50数名の応募者の中から選んだという。開業前には患者接遇についての講習会を行い、患者さんの心理に配慮した接遇ができるようになった。

 開業して数カ月であるが、順調に患者さんも増え、経営的にもまずまずの状態である。生井院長は今後はクリニックならではの特色も打ち出していきたいと言う。

 「一つは鼻アレルギーです。アレルギー疾患は長くつきあっていかなければならないので、日常生活の中でも特に食事指導が重要だと考えています。鼻アレルギーについては臨床医になったときからずっと研鑽を積んできたので、辛い思いをしている患者さんの役に立ちたいと思っています。それから、富田先生の専門の一つであった味覚障害ですね。味覚障害にも様々なタイプがありますが、降圧剤やコレステロール低下剤などを長期に服用している方で味覚障害になる方がいます。薬物の問題というより患者さんの体質が関係していると思われますが、今後、じっくり取り組みたい分野です。」


院長のプライベート

 これまでは往復の通勤に3時間くらいかかっていたのですが、今は家を出てから20分くらいでクリニックに着いてしまいます。ほかに楽になったことはあまりないのですが、通勤時間については開業して楽になったことの一つですね(笑)。趣味としては、水泳が好きで、家の近くのスポーツジムで泳いでいたのですが、開業してまだ間がないので、家に帰ると疲れ果ててしまいます。もう少し余裕ができたら、また泳ぎたいと思っています。


開業に向けてのアドバイス

病院風景06 中身は違いますが、開業医、勤務医ともに遣り甲斐はあると思います。開業医は「診療3割、経営7割」と言われるように、経営的な苦労は多いでしょう。経営的に安定すれば、自分が理想とする医療を実践できますが、勤務医としてポジションがあるなら安易な開業は勧められません。開業医は辛抱が大事です。よくよく熟考してから開業すべきでしょう。そして臨床経験も大切です。私は十分な臨床経験を積んでから開業しましたが、開業医を受診する患者さんは様々なんですね。そうした患者さん一人一人に責任を持った診療を行うためにも臨床経験を重ねることは大切だと考えています。


タイムスケジュール

タイムスケジュール


クリニック概要

はくらく耳鼻咽喉科・アレルギー科クリニック

  院長 生井 明治 氏
  住所 〒221-0802
神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-6-14
  医療設備 -
  物件形態 -
  延べ床面積 -坪
  開業資金 -万円
  URL http://www2.ocn.ne.jp/~hakuraku/

2010.05.01.掲載 (C)LinkStaff

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