専攻医1年目で「医局」を捨てた。私が30代で老人保健施設(老健)を選んだ本当の理由

2026年1月15日 内科医T

「医師である前に一人の人間である」という、30代の再考

「医師である前に一人の人間である」という、30代の再考
私は、いわゆる「ストレート」で医師になった人間ではありません。一般大学を卒業後、数年間社会人として企業に勤め、その後医学部に入り直した経歴を持っています。初期研修を終え、いよいよ専門研修(専攻医)に入ったのは30代も中盤に差し掛かった頃でした。医師としてのキャリアは始まったばかりですが、人間としてのライフステージはすでに成熟期へと向かっていました。専攻医1年目。本来であれば、寝る間を惜しんで症例を追いかけ、手術に入り、専門医試験に向けて研鑽を積むべき時期です。しかし、2026年の医療現場は、制度上の残業規制こそ厳格化されましたが、依然として若手医師への期待と負担は重く、精神的・体力的な余裕を保つのは至難の業でした。「あと数年、この生活を続けて専門医を取った先に、自分は何を失っているだろうか?」医局という組織の中で「医師としての自分」を最優先にし、家庭や個人の時間を極限まで削る生活。社会人を経験し、医療の外の世界を知っているからこそ、この「医師特有の当たり前」に対して、私は拭いきれない違和感を抱いていました。30代という年齢は、キャリアの基礎を作る時期であると同時に、人生の幸福度を決定づける大切な時期でもあります。医師免許という尊いライセンスを、自分自身の人生を破壊するために使いたくない。その思いが、日に日に強くなっていきました。

芽生えた新たな命と、父としての「不退転の決意」

芽生えた新たな命と、父としての「不退転の決意」
転職を真剣に決意した最大のトリガーは、家庭環境の大きな変化でした。妻の妊娠が判明し、新しい命を授かったのです。父になる。その事実を突きつけられた瞬間、私は自分の働き方を直視せざるを得ませんでした。当時の専攻医としての勤務実態では、平日は早朝から深夜まで病院に残り、週末も学会準備やオンコールに追われる日々。このままでは、子供の産声を聞くことも、初めて歩む姿を見守ることも、そして何より育児という過酷な戦いに挑む妻を支えることすら叶いません。「医師としても父としても、中途半端になる」それが私の出した結論でした。どちらかを80点にするのではなく、人生のトータルスコアを最大化するためには、現在の医局というレールから降りる必要がありました。また、専攻医として在籍し続ければ、指導医の先生方は私を育てるために貴重な時間を割いてくださいます。中途半端な気持ちで教えを請い、数年後に「やはり辞めます」と言うのは、教育リソースの搾取であり、医局に対する最大の不義理です。「決断するなら、組織に迷惑をかけない今のタイミングしかない」。その誠実さこそが、私にとっての「医師としての矜持」でした。

老健という選択肢:将来、夫婦で福祉の道へ歩むための布石

老健という選択肢:将来、夫婦で福祉の道へ歩むための布石
転職活動を開始した際、私が唯一強く希望したのが「介護老人保健施設(老健)」での勤務でした。コンサルタントの方からは「ワークライフバランスを重視するなら、当直なしの一般内科外来や、健診中心のクリニックなど、他にも好条件の求人はありますよ」と提案をいただきました。確かに、30代の若手が老健を希望するのは異例です。老健の施設長などは、定年後のベテラン医師が務める「終着駅」というイメージが今でも根強いからです。しかし、私には老健でなければならない理由がありました。実は妻が福祉関係の専門職であり、私たちは将来的に「夫婦で共に介護・福祉の現場で働く」という夢を持っていました。2020年代後半、超高齢社会が極まる日本において、急性期医療のニーズ以上に、生活の場としての医療・介護の重要性は増しています。今、若いうちに老健という「医療と生活の境界線」で働くことは、単なる休息ではなく、将来の自分たちにとって極めて重要な「先行投資」になると確信したのです。それは「逃げ」の選択ではなく、数十年先を見据えた「攻め」のキャリアチェンジでした。老健での経験は、後に地域医療を語る上で欠かせない武器になると信じて疑いませんでした。

驚きと誠実さ:若手医師が老健の面接で語ったこと

驚きと誠実さ:若手医師が老健の面接で語ったこと
紹介された老健の理事長や施設長の方々は、私の年齢と経歴を見て、当初は驚きを隠せない様子でした。「本当に、このキャリアで老健に来てくれるのか?」「専門医は本当にいいのか?」と。面接では、私の価値観を包み隠さず伝えました。社会人を経て医師になった経緯、授かった命を何より大切にしたいという思い。そして、医局に迷惑をかけないために今辞めることが最善であると考えたこと。さらに、妻との将来的なビジョンまで、ありのままを話しました。自分のキャリアを棚に上げるのではなく、関わるすべての人に対して誠実でありたいという姿勢を重視しました。私の話を聞き終えた理事長は、深く頷きながらこう仰ってくださいました。 「T先生の、ご自身の人生に対する誠実さと、周囲への配慮に感銘を受けました。定年後の先生が多いこの現場で、若い先生が明確な志を持って来てくれることは、施設にとっても、入所者様にとっても希望になります」結果、異例の若さで老健の常勤医師として正式なオファーをいただくことができました。待遇面でも、専攻医時代の薄給を大きく上回り、かつ残業はほぼゼロという、父としての責任を果たせる条件でした。

2026年、医師としての「成功」を定義し直す

2026年、医師としての「成功」を定義し直す
老健への入職後、私の生活は一変しました。 平日の夕方には帰宅し、妻と共に夕食を摂り、お腹の子供に声をかける時間があります。週末も完全にオフとなり、趣味や自己研鑽の時間、そして家族と過ごすかけがえのない時間を確保できています。医師としての仕事も、急性期のようなスリルはありませんが、一人ひとりの人生に寄り添う、非常に人間味の溢れる医療を実践できています。「専門医を持っていない医師」として、周囲から厳しい目で見られることもあるかもしれません。しかし、2026年という多様性の時代において、医師の成功とは「称号」を得ることだけではないはずです。大切なのは、医師という職能を活かしながら、自分と家族が幸福であり続けられるかどうかです。私は今、心から満たされています。あの時、勇気を持って「医局」を離れ、「老健」という新しい舞台を選んだことは、私の人生において最も誇れる決断となりました。もし、今キャリアの迷路にいる若手医師の方がいるなら、伝えたいです。道は一つではありません。医師免許は、あなたが幸せに生きるためのパスポートであるべきです。自分の直感を信じ、誠実に人生を設計すれば、必ず新しい扉は開きます。