開業医から専業主夫、そして自由診療へ。私が「空白の数年」を経て、再びメスを握るまで

2026年1月6日 整形外科医

「繁盛期の幕引き」と「空白の数年」を選んだ理由

「繁盛期の幕引き」と「空白の数年」を選んだ理由
私はかつて、地方で整形外科のクリニックを経営していました。自分でも言うのは気恥ずかしいですが、経営は非常に順調でした。患者さんは途切れることなく、昼食を摂る暇もないほど忙しい毎日。地域医療に貢献しているという自負もありましたし、経済的にも何不自由ない生活でした。しかし、ある時ふと気づいたのです。医師としての成功と引き換えに、大切な子どもの成長を間近で見る時間を失っているのではないか、と。「子どもの教育環境を整えたい。そして、今しかできない親子の時間を持ちたい」その思いが募り、私は断腸の思いで知人にクリニックを継承し、都心部への移住を決めました。それからの数年間、私の肩書きは「医師」ではなく、いわば「専業主夫」でした。朝、子どもを送り出し、共に夕食を囲む。かつての多忙な日々からは想像もできない、静かで、しかし豊かな時間。周囲からは「もったいない」「キャリアが途絶える」と言われました。しかし、私にとってこの「空白の数年」は、医師として、そして一人の人間として、自分の人生をリセットするために必要な、贅沢な充電期間だったのです。

コンサルタントとの出会い――「自転車で現れた元院長」の真意

コンサルタントとの出会い――「自転車で現れた元院長」の真意
子どもが海外へ留学することが決まり、私の役割にひと区切りがついた時、再び「誰かの役に立ちたい」という情熱が湧き上がってきました。しかし、ブランクのある私が今さら保険診療の激務に戻るのも違う気がする。そこで興味を持ったのが、外科的手技を活かしつつ、患者さんの満足度をダイレクトに追求できる「自由診療(美容・自費外科)」の分野でした。転職エージェントに登録した際、私の経歴は少し特殊に映ったようです。「元開業医」「都心へ転居」「数年のブランク」「HPへの顔出しNG」。コンサルタントのKさんも、最初は「どんな気難しい先生が来るのだろう」と身構えていたかもしれません。面談当日、私は自転車で待ち合わせ場所に向かいました。都心での生活は、自転車が一番効率的で健康的ですから。Kさんとお会いした瞬間、私は自分のすべてを包み隠さず話すことに決めました。「必要なことは何でも聞いてください。隠すことは何もありません」自分のこれまでの経歴、なぜ一度引退したのか、そして今、なぜ自由診療に挑戦したいのか。飾ることなく本音で語る中で、私は自分の「医師としての第二の人生」が、単なる再就職ではなく、新しい冒険であることを再確認していきました。

「二週間のデッドライン」と、押し寄せるモラルとの葛藤

「二週間のデッドライン」と、押し寄せるモラルとの葛藤
自由診療の領域において、外科的な基礎があり、かつ高いコミュニケーション能力を持つ医師は需要があります。Kさんの尽力により、すぐに一件の魅力的なオファーをいただくことができました。しかし、ここで予期せぬ事態が発生します。並行して進めていた他社の案件で、急遽「内定」が出たのです。そのクリニックは2週間後に新規オープンを控えており、院長予定者の辞退という緊急事態に見舞われていました。「すぐに返事をください。さもなければオープンが間に合いません」その切迫感は、元開業医の私には痛いほど理解できました。しかし、私の心はKさんに紹介していただいた医療機関に惹かれていました。オンラインでの一次面接で感じた、診療方針の誠実さやスタッフの雰囲気。どうしても、そちらの施設をしっかり見てから決めたい。「先方に迷惑をかけたくない。お断りするなら一刻も早く。でも、理想の職場への挑戦も諦めたくない」私はKさんに、わがままを承知で相談しました。「選考フローを極限まで早めていただけないでしょうか」と。ここから、コンサルタントと私の、時間との戦いが始まりました。

三日間での決着――「雇われる側」が持つべき経営者視点

三日間での決着――「雇われる側」が持つべき経営者視点
Kさんの交渉力と、医療機関側の柔軟な対応により、異例のスピードで選考が進みました。一次面接から施設見学、理事長面談まで、わずか3日間。施設見学の際、私は自然と「経営者としての目」で院内を眺めていました。「この動線なら患者さんの待ち時間が減らせるのではないか」「このカウンセリング手法なら、もっと信頼関係が深まるのではないか」。面接の場で、私は単に「働かせてください」と言うのではなく、自分の開業経験をベースに、どうすればそのクリニックの価値をさらに高められるか、具体的な提案を交えてお話ししました。「私はかつて、患者さんが多すぎて困るほどのクリニックを作りました。その経験を、今度は御院の利益と患者満足度の向上のために使いたいんです」後にKさんから聞いた話では、医療機関側は「これほど素晴らしい、私たちが求めていた通りの先生はいない」と絶賛してくださったそうです。多くの医師は、転職の際に「自分に何をしてくれるか」「どんな条件を提供してくれるか」という受け身の姿勢になりがちです。しかし、私にとって転職とは、「自分のスキルという商品を使って、いかに雇い主の課題を解決するか」というプレゼンテーションの場でした。その能動的な姿勢こそが、最速の内定を引き寄せたのだと感じています。

新たなステージへ。スタッフと共に「最高の一杯」を目指して

新たなステージへ。スタッフと共に「最高の一杯」を目指して
紆余曲折ありましたが、私は今、心から納得できるクリニックで、新しい挑戦をスタートさせています。自由診療という未知の世界。確かに覚えることは山積みですし、保険診療とは勝手が違う部分も多々あります。しかし、スタッフたちと協力しながら、一人ひとりの患者さんに深く関わり、「先生に相談してよかった」と言っていただける毎日は、かつての多忙な開業医時代とはまた違う、深い充足感に満ちています。スタッフの中には、私が元開業医であることを知って驚く人もいます。でも私は、この場所では一人のチャレンジャーです。「こうすればもっと良くなる」「一緒にこのクリニックを地域一番にしよう」そうした前向きな言葉が、職場に好循環を生んでいくのを実感しています。雇う側も、雇われる側も、目指す方向は同じはず。医師として、再び「人の役に立てる」喜び。その原点に立ち返ることができたこの転職は、私の人生において、子育ての数年間に匹敵するほど価値のある決断となりました。自転車で颯爽とクリニックへ向かう朝、私は2026年の澄んだ空気の中で、これからのキャリアがこれまで以上に鮮やかになっていくのを確信しています。