「週4日・2,000万」は夢物語か?大学病院を離れる決意をした40代消化器内科医の逆転劇

2025年11月6日 消化器内科医M

教授交代、そして40代という足枷――見失った「自分の居場所」

教授交代、そして40代という足枷――見失った「自分の居場所」
医師になって20年近く。私は大学病院という、白を基調とした巨大な組織の中で生きてきました。消化器内科医として内視鏡を握り、研究に没頭し、後輩を指導する。それが私の人生のすべてであり、疑うことのない正解だと思っていました。しかし、40代も半ばに差し掛かった頃、その正解に激震が走ります。医局のトップである教授が交代したのです。新体制になれば、求められる役割も、教室の空気も一変します。「このまま、この組織に残り続けていいのだろうか」という不安が、深夜の当直室で何度も頭をよぎるようになりました。専門性を高めてきた自信はある。しかし、大学病院という狭い世界の中でのキャリアプランに、限界を感じていたのも事実です。「一度、外の世界を見てみたい。民間病院やクリニックなら、もっと自由に、もっと自分の技術を純粋に活かせるのではないか?」そんな淡い期待はありつつも、同時に恐怖もありました。民間へ出れば、大学の庇護はなくなります。そして何より、私が掲げていた希望条件は、知人からは「非現実的だ」と笑われるような内容だったからです。

譲れない「週4日・2,000万円」――突きつけられた現実と孤独な転職活動

譲れない「週4日・2,000万円」――突きつけられた現実と孤独な転職活動
私の希望は、はっきりしていました。勤務日数は週4日(家族の時間と自己研鑽のため)年俸は2,000万円以上消化器内科、特に内視鏡のスキルを活かせる環境「大学を離れるなら、これくらいの条件でないと意味がない」と自分に言い聞かせていました。しかし、いくつかの転職エージェントに登録した際、担当者から返ってきたのは、渋い顔と消極的な提案ばかりでした。「先生、その条件は今の市場では非常に厳しいです。週5日ならまだしも、週4日で2,000万というのは、よほど特殊なケースでなければ……」登録した当初こそ数件のメールが届きましたが、次第に連絡は途絶え、案内すら来なくなりました。他社から見れば、私は「条件ばかり厳しく、扱いづらい医師」だったのでしょう。そんな折、一本の電話が届きました。夜分遅くにかかってきたそのコンサルタントの声は、他の事務的な連絡とは少し違っていました。私の現状、大学病院での葛藤、そしてなぜ「週4日・2,000万」にこだわっているのか。気づけば、私は初対面相手に30分以上も、自分の心の内を吐露していました。「先生のそのスキル、民間ならもっと高く評価されるべきです。時間はかかるかもしれませんが、この条件で探してみましょう」その言葉をきっかけに、私の孤独な転職活動は、二人三脚の挑戦へと変わっていったのです。

「課題」と「スキル」のパズルが一致した瞬間――クリニックという新天地

「課題」と「スキル」のパズルが一致した瞬間――クリニックという新天地
コンサルタントが提案してきたのは、ある1件のクリニックでした。 正直なところ、最初は「クリニックで2,000万なんて、美容でもあるまいし無理だろう」と半信半疑でした。しかし、その背景を聞いて納得しました。そのクリニックは、内視鏡検査の件数を伸ばしたいという明確な「課題」を抱えていたのです。院内には高機能な設備があるが、それを使いこなし、検査の質と効率を両立できる医師が不足している。「M先生がこれまで大学病院で培ってきた内視鏡の技術と、40代という働き盛りの年齢は、彼らにとって喉から手が出るほど欲しい『解決策』そのものなんです」面接に伺うと、そこには理事長様が待っていました。私の経歴を一通り説明すると、理事長様は深く頷き、信じられない一言を放ちました。「断る理由がありません。ぜひ、うちに来ていただきたい」その場での即決採用。私の技術が、これほどまでにストレートに「価値」として認められた瞬間でした。大学病院では「代わりのいる歯車」だった私が、ここでは「不可欠な存在」として迎え入れられたのです。

交渉の壁を越えて――週4日の自由と、プロとしての責任

交渉の壁を越えて――週4日の自由と、プロとしての責任
採用が決まった後も、調整は続きました。特に「週4日」という条件については、クリニック側も最初は週5日を希望していました。ここで、コンサルタントが私の「家庭の事情」や「これまでの働き方の重圧」を丁寧に説明し、橋渡しをしてくれました。さらに、「週4日であっても、M先生なら現在の週5日分以上の検査実績を出せる」という根拠を示してくれたのです。また、私自身も不安がありました。大学病院という「病院」での勤務経験しかない私が、クリニックでの人間ドックや健診業務に対応できるだろうか。患者さんへの対応は病院とどう違うのか。何度もクリニックへ質問を投げ、現場のスタッフの声を確認し、不安の霧を一つずつ晴らしていきました。数ヶ月に及ぶ交渉と確認作業。最終的に「ここでなら、自分の新しいキャリアが築ける」と確信し、入職の意思を伝えました。「先生にお世話になりたいです」と言葉にしたとき、私の心の中からは、大学病院への未練は完全に消え去っていました。

解き放たれたキャリア――同じ悩みを持つ同志へ

解き放たれたキャリア――同じ悩みを持つ同志へ
転職して半年。今の私の生活は、一年前には想像もできなかったほど充実しています。週4日の勤務。年収2,000万円。 数字だけを見れば「条件を勝ち取った」ように見えるかもしれません。しかし、本当に得られたのは、数字以上の「心の自由」でした。内視鏡の件数は着実に伸び、患者さんからも「楽に検査が受けられた」と感謝の言葉をいただきます。クリニックにとっても私は有益な人材であり、私にとってもここは最高のパフォーマンスを発揮できる場所です。転職後、私は同じように医局に残り続けるべきか悩んでいた友人に、今回のコンサルタントを紹介しました。彼もまた、私と同じように新たな道を見つけ、歩み始めています。もし今、あなたが40代という年齢や、専門医・学位という肩書きに縛られ、今の場所から動けないと感じているなら、一度「自分の市場価値」を客観的に見てくれるパートナーを探してみてください。あなたの培ってきた技術は、場所を変えれば「宝」に変わるかもしれません。妥協せず、しかし柔軟に。信念を貫いた先には、大学病院の重い扉を開けた者にしか見えない、素晴らしい景色が広がっています。