40代・専門医なしフリーランスの私が、「雇われ院長」という予想外の道を選んだ理由

2025年10月5日 皮膚科医A

「いつまで続けられるか」という不安――専門医を持たない皮膚科医の焦燥

「いつまで続けられるか」という不安――専門医を持たない皮膚科医の焦燥
医師になってから、私のキャリアは決して「王道」ではありませんでした。若いうちに医局を離れ、目先の生活や働きやすさを優先してきた結果、気がつけば40代。手元には、多くの同級生が持っている「専門医」の資格がありません。これまでは非常勤として複数の施設を掛け持ちする、いわゆるフリーランスの立場で食い繋いできました。皮膚科医という仕事は好きですし、患者さんと向き合う時間も大切にしています。しかし、一箇所に根を張らず、コマ切れの勤務を繰り返す日々に、少しずつ限界を感じ始めていたのも事実です。「一つの場所で、落ち着いて患者さんと向き合いたい」そんな思いが強くなり、私は転職活動をスタートさせました。とはいえ、自分に厳しい条件があることは自覚しています。処置や小手術はそれほど得意ではなく、美容皮膚科に走るつもりもない。あくまで「一般皮膚科」の保険診療をメインに、週4〜5日で年収1,200万〜1,500万円程度。そして、家族との時間を守るために自宅から40分圏内。客観的に見れば、高望みではないはずです。しかし、いざ求人を探し始めると、この「専門医なし・処置なし」という壁が、想像以上に高くそびえ立っていることに気づかされました。

三件連続の辞退――条件は合っても「魂」が拒絶した違和感

三件連続の辞退――条件は合っても「魂」が拒絶した違和感
コンサルタントの方は、私のわがままな条件を汲み取り、懸命に候補を探してくれました。提示されたのは、年収面では申し分のない4つの案件。そのうち、あまりに忙殺されそうな一件を除いた3件について、面接に伺うことにしました。高給与の総合クリニック(オーナーが非医師)落ち着いた規模の総合クリニック美容併設だが一般皮膚科メインのクリニック条件面だけで選ぶなら、すぐにでも決まっていたでしょう。実際、どのクリニックも私の経歴を否定せず、受け入れ体制を整えてくれていました。しかし、面接を終えるたびに、私の胸の中には言葉にできない重苦しさが募っていきました。結局、私はこの3件すべてをお断りしました。コンサルタントの方には本当に申し訳なかったのですが、どうしても「ここで働く自分」のビジョンが見えなかったのです。最大の理由は、「相性」でした。クリニックという狭い組織において、理事長や院長との人間関係はすべてです。私は、困ったときに相談しやすく、お互いを尊重できる関係性を求めていました。しかし、ある場所ではビジネスライクすぎる空気感に気圧され、ある場所では医師としての矜持が噛み合わない予感がしました。「転職はお見合いと同じ」とはよく言ったものです。条件が一致していても、生理的な直感やフィーリングが「NO」と言っている。40代という年齢を考えれば、次が最後の転職になるかもしれない。そう思うと、どうしても妥協ができなかったのです。

「院長募集」という青天の霹靂――半年間の足踏みの末に

「院長募集」という青天の霹靂――半年間の足踏みの末に
それから半年、私の転職活動は完全に行き詰まっていました。条件に合う新規求人は出ず、非常勤を続ける日々。そんな中、コンサルタントから提案されたのは、予想だにしなかった「新規開院の院長職」という案件でした。正直なところ、最初は「無理だ」と一蹴しました。私はリーダーシップがあるタイプではないし、ましてや専門医もない自分が院長として看板を背負うなんて、身の程知らずもいいところだと思っていたからです。しかし、示された内容は驚くほど私の希望に寄り添ったものでした。診療方針は私の自由に任せる面倒な集客や経営マネジメントは法人が全面バックアップする年収は希望通り、実績に応じた昇給もあり自宅から30分数字だけを見れば、これまで見てきた案件と大差ありません。しかし、「自分が理想とする医療を一から作れる」という選択肢が、停滞していた私の心に小さな火を灯しました。自分には無理だと決めつけていた「院長」という椅子。しかし、それがもし、自分の信念を貫くための「楯」になってくれる場所なのだとしたら?私は迷いながらも、まずは事務長、そして理事長との面談に臨むことにしました。

「患者の安心が一番」――私の覚悟を決めた理事長の一言

「患者の安心が一番」――私の覚悟を決めた理事長の一言
何度か事務長と話し合いを重ねる中で、法人の運営体制が非常にホワイトであること、そして何より医師の働きやすさを最優先していることが伝わってきました。そして迎えた、理事長との最終面談。目の前に現れた理事長は、驚くほど腰が低く、穏やかなオーラを纏った方でした。彼は、専門医を持たない私の経歴を蔑むこともなく、真っ直ぐにこう言ってくれたのです。「先生には、患者さんがホッと安心できるような医療を提供してほしいんです。経営の数字は後からついてきます。まずは先生やスタッフが、無理なく、楽しく働ける環境を作ること。それが一番大事です。安心して、先生のやりたい診療をやってください」その言葉を聞いた瞬間、半年間抱えていた「専門医がない劣等感」や「処置が苦手な後ろめたさ」が、すーっと消えていくのを感じました。この人となら、上司と部下という関係を超えて、同じ理想を目指せるのではないか。「……一緒に、患者さんに喜ばれるクリニックを作っていきたいです。よろしくお願いします」気づけば私は、あんなに避けていた「院長」という重責を引き受ける決意を口にしていました。フリーランスとして気楽に生きてきた私にとって、それは大きな転換点であり、人生最大の賭けでもありました。

動き出した新ステージ――「信念」の先にあった最高の居場所

動き出した新ステージ――「信念」の先にあった最高の居場所
それからの日々は、怒涛のようでした。クリニックの名前決めから、内装のデザイン、導入する機器の選定、そして一緒に働くスタッフの採用面接……。これまで一勤務医として指示に従うだけだった私にとって、すべてが新鮮で、かつ責任の重い作業でした。しかし、不思議と疲れはありませんでした。自分の城を一から築くという作業は、これほどまでにやりがいがあるものなのかと驚く毎日です。そして先日、無事にクリニックが開設されました。 半年前の私に、「お前は半年後、自分の名前を冠したクリニックの院長として診察室に座っているよ」と言っても、絶対に信じないでしょう。転職において、条件(年収や場所)は確かに重要です。しかし、それ以上に大切なのは、自分の「譲れない信念」を理解してくれるパートナーに出会えるかどうか。そして、その出会いがあったときに、自分の思い込み(自分には院長は無理だ、など)を捨てて飛び込めるかどうかだと痛感しました。専門医がなくても、処置が苦手でも、誠実に患者さんと向き合いたいという信念さえあれば、必ず道は開けます。私は今、スタッフと共に、理想とする「温かいクリニック」を創り上げる喜びに浸っています。10年後、20年後も、この場所で患者さんと笑い合っている自分。そんな未来が、今ははっきりと見えています。