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若きリーダーが掲げる地域の灯火
医療法人社団 医仁会 譜久山病院


院長 譜久山 剛 氏

長崎大学卒業
現在神戸大学消化器外科(旧第一外科)所属
平成11年6月より当院に勤務し、平成16年2月に院長就任
今回は譜久山剛院長にお話を伺った。



  <病院の沿革>

 譜久山病院の開設者である譜久山當悦理事長は奈良県立医科大学大学院修了後の1968年から3年間、母校の附属奈良病院に外科医として勤務された。その後、奥様のお父様が経営される神戸市の西病院に勤務しながら、開業に向けての準備を始めた。

1974年に「フク山外科」として、ベッド数19床で開業した。現院長が4歳のときのことである。

「当時は病院の4階を自宅にしていたので、物心ついたときから病院の中に家があるという感じでした。患者さんの手術や夜間の当直などで院内を走り回り、ずっと白衣を着けていた父の姿を見て育ちました。職員も家族のような感じでしたし、患者さんにもかわいがって頂きました」

 1980年、明姫幹線が全線開通した年にフク山外科は譜久山病院に改組して45床となり、さらに87年には新館を完成させ、CTを導入する。ベッド数も現行の120となった。理事長による消化器疾患、特に大腸疾患の手術は、地域の患者さんから高い信頼と期待を得ており、「譜久山ファン」と自称される患者さんも増えてきたという。

 平成になる頃、理事長は往診を始めた。それは寝たきりになり通院できない患者さんを定期的に訪問するという当時の一般的な「往診」のイメージからは全く離れたもので、皆さんからは大変驚かれたという。しかし、やがてこれが訪問看護ステーションやホームヘルプステーションのあるべき姿になっていったのである。そして、内科の医師も増え「内科も診てもらえて嬉しい」との声も聞かれるようになり、「フク山外科」が段々と懐かしい名前に変わっていった。


病院外観

 1995年、阪神淡路大震災に遭遇する。幸い入院患者には被害がなく、外傷の患者さんを窓明かりで処置するなど、外来の方が多忙を極めた。その後、西病院が大きな被害を受けたことを知り、入院患者を引き受ける。両病院のスタッフが結束して非常事態を乗り切った。

そして1997年、理事長が脳出血で倒れてしまう。「舵取りでもあり、エンジンでもある」理事長が、治療の為に第一線を退かざるを得なくなった。強力なリーダーシップ不在の中、病院運営は一時期低迷したが、スタッフが模索しながら運営を再構築していった。昨年は日本病院機能評価認定も受けた。

開院30周年の今年2月には理事長の長男の剛氏が院長に就任した。剛院長は長崎大学卒業後、神戸大学第一外科に入局され、大阪府済生会中津病院などで外科医としての研鑽を積まれた。また、弟の仁氏も神戸大学第一外科で勉強されていたが、このほど譜久山病院へ常勤医として就職された。奥様の博子氏も内科医として勤務されている。

新院長は就任にあたり、周辺地域の住民の方々が安心して暮らせる「灯火のような存在」になりたいと語っている。第二の創業を迎えた譜久山病院は今後も地域に根差したあたたかい医療を発展させていくだろう。


  <病院の特徴>


内視鏡室

 34歳という年齢で120床を抱える病院の院長に就任した譜久山院長に当時の心境などをお聞きした。

「実は5年ほど前から院長職に近いことをしてきたのです。人事、労務、財務といったことですね。父が倒れ、様々なことがのしかかりました。ただこの5年の中で、私が変わったというより周囲の目が変わったということはありますね」

 俗に「外科医10年」と言われる。外科医として一人前になるためには10年が必要であるということだ。しかし、譜久山院長はその半分の5年のキャリアであったときに事情が一変した。

「勉強が足りない、経験がないということが一番辛かったですね。しかし、様々な職種のスタッフがそれぞれにアドバンテージを持っているので、スタッフの意見に素直に耳を傾けたことが良かったと思います。他の専門科の先生方には謙虚に教えを請いました。大きな手術のときは、神戸大学第一外科の先輩方に協力を仰ぎましたし、今でもお世話になっています。また、何よりも父の代から来てくださっている患者様にも支えられています。患者様、スタッフ、同僚、先輩、後輩の先生方、全てが私にとっての師と思います」

 奥様の博子氏は国立神戸病院(現神戸医療センター)時代の同僚だった。結婚後、仕事と二人のお子さんの育児を見事に両立させている。

「妻は内科医ですから、内視鏡治療に関しては共通のフィールドです。競争相手といったところでしょうか。ここのところ、大腸カメラでは「負けた」と思う時が多いのが悔しいですね(笑)。
今後、外科手術は大病院指向が覗えますが、私どもとしては内視鏡の検査、治療、例えばEMRなどの治療を更に充実させていきたいと思っています。大阪府済生会中津病院では本当に多くの患者様を受持たせて頂きましたが、外科でも患者様の外来から検査、治療と退院までをずっと担当させて頂いたことが役に立っています。私が済生会で過ごした日々は朝6時半から夜の11時まで、長い1日の繰り返しでした。しかし、あの日々があったからこそ、ここでやっていける自信がついたのです。私にとっての宝物ですね。
また、弟とも切磋琢磨で、お互いの腕を磨いていきたいと思っています。同じ消化器外科を専攻していますが、私にはない弟の強みは麻酔科の分野ですね。このほど麻酔科標榜医を取得しましたので、今も力を入れている緩和医療、特に疼痛コントロールでその専門を生かしてほしいです」

 3年前には全館禁煙に踏み切り、昨年には医療機能評価認定も受けた。禁煙指導をした奈良女子大学の高橋裕子教授「あの人に聴く」2004年12月号に掲載中も「トップダウンで禁煙に踏み切った好例」と高い評価をしている。

「以前私どもの病院では、喫煙所は廊下の角に設けていたのですが、煙が充満していました。そこを松葉杖や車椅子など、ゆっくり移動される患者様が通過するときに申し訳なくて。受動喫煙の問題は深刻ですし、禁煙化を考え始めました。まず、外来の患者様、入院の患者様、職員と3種類のアンケートを取りました。その結果、6割以上の方に賛成を頂いたので、全館禁煙に踏み切ることにしました。やはりタバコは健康と対極にあるものですし、健康になるために病院に来るわけですから。皆様のご理解もあり、3ヶ月で達成できました。
病院機能評価に関しては、対処療法になってしまった感は否めませんが、第3者評価を受ける機会があると業務改善もスムーズでした。医療機関は企業に比べ「議事録を残す」ことが習慣になっていなかった面があるかと思いますが、会議のあとの議事録の提出と、簡略化すること、会議の開きっぱなしをなくす事、ランチョン会議、早朝会議の実施など細かいことから始めました。
ハードではいかに患者さんに心地よく使っていただけるか、ソフトでは「できる人が何でもやろう」ということですね。私どもでは、スタッフが「この仕事しかしない」というのではなく、本当に勉強熱心です。恵まれていると思います」


 大病院指向の中、譜久山病院は今後「救急医療」「緩和医療」「高齢者医療」の医療に重点を置きたいとする。これからの展望を伺った。

「まず、救急の部分では公的病院ではカバーしきれないところもあります。一次二次救急医療をしっかりと行い、地域の患者様が夜安心して眠れるような体制でありたいですね。 
緩和医療について身体を診る医師、精神を診る医師、それから看護師、心理療法士、理学療法士を加えた緩和ケアチームの立ち上げをここ数年の内に行ないたいと思います。最終的にはホスピス開設を視野に入れています。これまで沢山の患者さんを看取ってきましたが、100点満点の看取りはできないものですね。いろんなプロフェッショナルな力を借りて、本当の意味での分業を行うのが理想です。
それから高齢者医療に関して、今39床ある介護型療養病床の充実は必須ですね。又、来年4月にデイケアをオープンします」


 臨床研修制度が必修化になったが、譜久山院長は現在の状況をどのように見てらっしゃるのだろうか。

「うらやましいのはやはりスーパーローテートという形で公的なチャンスをもらって様々な知識を吸収できるというところですね。私は消化器外科をずっとやってきましたが、循環器や麻酔科についてもっと学びたいことがありますから」

 現在、譜久山病院では常勤医師を募集している。院長に望まれる医師像をお尋ねした。

「若い医師が中心でやっていますので、指導医ができるような方に来て頂きたいですね。消化器疾患が主ではありますが、救急も行っていますので、整形外科のドクターもありがたいです。そして、消化器内科で内視鏡治療、また肝臓治療に携われる方もお待ちしております」



  <病院の理念>

三信条「献身 研鑽 敬愛」

◆医療人としての高い志を持ち、健康的で明るく豊かな地域社会を築き上げること。

◆たゆみない医療技術の向上に努め、人間的でかつ質の高い医療・福祉・介護サービスを患者様に提供すること。

◆患者様を敬い、仲間を愛し、人の和に支えられた暖かい療養環境を整えること。


※常勤医師募集中

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2004.12.01 掲載 (C)LinkStaff

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