譜久山病院の開設者である譜久山當悦理事長は奈良県立医科大学大学院修了後の1968年から3年間、母校の附属奈良病院に外科医として勤務された。その後、奥様のお父様が経営される神戸市の西病院に勤務しながら、開業に向けての準備を始めた。
1974年に「フク山外科」として、ベッド数19床で開業した。現院長が4歳のときのことである。
「当時は病院の4階を自宅にしていたので、物心ついたときから病院の中に家があるという感じでした。患者さんの手術や夜間の当直などで院内を走り回り、ずっと白衣を着けていた父の姿を見て育ちました。職員も家族のような感じでしたし、患者さんにもかわいがって頂きました」
1980年、明姫幹線が全線開通した年にフク山外科は譜久山病院に改組して45床となり、さらに87年には新館を完成させ、CTを導入する。ベッド数も現行の120となった。理事長による消化器疾患、特に大腸疾患の手術は、地域の患者さんから高い信頼と期待を得ており、「譜久山ファン」と自称される患者さんも増えてきたという。
平成になる頃、理事長は往診を始めた。それは寝たきりになり通院できない患者さんを定期的に訪問するという当時の一般的な「往診」のイメージからは全く離れたもので、皆さんからは大変驚かれたという。しかし、やがてこれが訪問看護ステーションやホームヘルプステーションのあるべき姿になっていったのである。そして、内科の医師も増え「内科も診てもらえて嬉しい」との声も聞かれるようになり、「フク山外科」が段々と懐かしい名前に変わっていった。 |