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- 医療法人社団 飯野病院 -
東京都調布市
 
<病院の沿革>

 「ラッキーが重なった」と、振り返るのは、今回ご紹介する同院の飯野孝一院長の言葉だ。最初のラッキーは、飯野院長の父である飯野孝三理事長が、軍医として赴任していた大陸から無事復員できたことだった。ソ連が南下を始めて上級将校や軍属が先に引き上げる中、軍医だった飯野理事長は最後まで残っていたことが逆に幸いした。先に引き上げた人たちは皆、捕まりシベリアに送られたのだ。
復員後、診療所を開こうと候補地を探したが、駅前は地価が高くて買えなかった。そのため、布田駅と調布駅との中間での開院となった。当時は茶畑の広がる、のどかな風景だったという。その後、線路は京王多摩川駅のほうまで延びていったが、カーブがきつくなり電車が曲がれる限度を超えた。そのため調布駅が布田寄りに移動したことで、自然と駅前に位置することになった。「駅の方から近づいて来てくれたわけです。これもラッキー」。と、飯野院長は笑う。
「先日、自宅で七輪にロッジ鍋をかけて鳥を煮たのですが、理事長がそれを見て、『思い出すなぁ』と言うので、なぜかと聞くと、昔はそうやって包帯や医療器具を煮沸したそうです」。元々、小児科医だったが、戦後の混乱の時期でもあり、物資が少ないながらも工夫しながら医療を行い、一人で何役もこなさねばならない時代だった。
時代とともに、周辺は人口も劇的に増えていき様相も一変した。都市化とベビーブームの到来により、飯野病院の分娩数も右肩上がりに増え続けた。ベビーブーム時は病室のほかにも、当直室、陣痛室、ついには看護寮まで埋まったという。
近年の少子化に伴い出生数は減ったとはいえ、現在、調布市の分娩数の内、その50%を超えるまでになった。昨年の分娩実績は1080例に及んでいる。
 
<病院の特徴>

 飯野院長は昭和48年に慶應義塾大学医学部を卒業。学生の時に乳がんにかかった祖母が東京慈恵医科大学で治療し、快癒したことが産婦人科医を志す一つのきっかけとなったという。また、「元気な赤ちゃんの出産に立ち会う度に、産婦人科医になって良かったと思います」と、いつになっても出産には新鮮な感動があると、産婦人科医の道を選んだことに満足そうだ。

同院は平成9年に建て替えを終え、地上7階地下1階の堂々たる姿を調布駅前に現した。「バブル時でなかったこともラッキーだった」と、飯野院長は語る。設計と変更を繰り返していたため着工が遅れる中、バブルがはじけた。今から思えば、バブル景気に沸く社会情勢から、過度の設備投資をした可能性もあり、その後の経営に与える影響は大きかったに違いないとの見方だ。
加えて、「同級生から紹介されたのですが、良き設計士に巡り合えたこともラッキーでした」。 産科の個人病院が独力で全面的に建て替えるのはなかなか難しく、行政からの後押しが必要となってくる。同時期に法人化も果たし、市の医療施設改善事業の援助を受け、1期、2期に分けて工事を行った。

「今の技術はすごい。病院を真二つに切って工事してもピタリと合わさる。工事中でも診療は休めない。お産は待ってはくれない。患者さんのことを考えれば当然のことです」。 最上階である7階は、患者さん同士のコミュニケーションの場との位置付けで設計を依頼した。リラクゼーションルームや眺望の良いカフェを配する他、多目的ホール『マルシャリン・ホール』はマタニティビクス、助産婦の指導などに使われ、月1回のピアノリサイタル『いきいきコンサート』を開催していている。通算35回に及んでいて、患者さんの楽しみの一つになっている。

これらの場は、飯野院長の思いが込められている。設計段階で様々な病院を参考にする中で、当時すでに全室個室を実現していた聖路加国際病院に見学に行ったとき、印象に残った言葉があった。「この病院には唯一足らなかったものがある。皆が集えて、交流できる場所がなかった」。病院を特徴づけるポイントが見つかった、と思ったという。「患者さん同士で友達になれる場所は必要」との観点から、もっとも眺望の良い最上階が割り当てられたわけだ。今では診療時間よりも、患者さん同士の会話時間のほうが長いほどだという。
 
 
<運営・経営方針>

 全国の病院が、その経営に苦心する中、飯野病院の経営は順調といっていいだろう。駅前という好立地もさることながら、「何よりも道路」と、力説する。産婦人科の場合、妊婦さんは車の利用が多い。そのために病院へのアクセスの良さが、すなわち盛業につながるのだ。「診療圏とは道路です。基幹道路が延長されるに伴い、診療圏は広がる」。飯野院長の答えは明快だ。

現在、病院のホームページ上での診療予約が可能となっている。あっという間に予約が埋まるという。それだけネット利用者が多いのだ。当初は一人で複数の予約ができたそうだが、それでは他の人が受診できないので、一人一回の制限をかけているという。 院内は急速にIT化を進めていて、受信メールはすべてPDF形式に変換し、各自で自由に閲覧が可能となっている。
「病院あてに、感謝や苦情のメールが毎日たくさん入ります。しかし、それをそのまま会議で私が言えば、それは『院長の意見』となってしまう。苦情ならなおさらでしょう。現在はすべての職員がメールを閲覧することができます。厳しいご指摘もありますが、皆が信頼し合い、情報を共有しておくことが重要なのです」。また、メーリングリストを使うことで、職員間の意見交換の場としているという。

さらに、「いくらマニュアルがあったり、IT化を図ったりしても、結局は優しさ、親切さ、明るさが診療の根本にないとだめです。日々実感しています。心が入っていなければ、いくらマニュアル化しても意味がない。ボトムアップでなく同じ土俵で議論し合い、皆で作り上げていくことです。そのためにITの力を借りていると言って良い」と、あくまで人間本位で臨む方針だ。

IT化は、良き情報も悪しき情報ももたらす。しかし制限をかけて、防御的になってしまうと発展がなくなる。情報の良し悪しを皆が見分ける力があればいい。それを信じての判断だという。


  今後の課題は?の問いに、「エンドレスです。解決すると、また他の問題が出る。しかし、そのときそのとき解決していけばいい。その経験が蓄積されていくことで、病院運営にプラスになる。そのための情報共有なのです」との答えが返ってきた。 病院評価機構認定を受けてはどうか、との打診もあるというが、「職員全員の退職金を貯めることができたら検討すると言って、断っています。それだけ財務体質が良くなれば認定を受ける資格があると思っています。しかし、そうなったら受ける必要がないと言われました」と笑う。

「何よりも患者さんから評価されることのほうが嬉しい。一緒になって喜べるような病院造りをし、それが実感できる病院にしていきたい」。力強く抱負を語り、締めくくってくれた。
 
私たち病院の理念

【当院の3つの柱】 <1> よい病院  <2> よい医療  <3> 愛情

2002.7.1掲載 (C)LinkStaff