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 - 麻生セメント株式会社 飯塚病院 - 
福岡県飯塚市

<病院の沿革>

 取材にうかがう前、その病院についての情報を集めていく。
書籍、伝聞、インターネット、パンフレット………。いくら情報集めに腐心しても、中途半端な情報量のままのケースがある。不勉強だと、取材相手に失礼であるという気持ちから、どこか緊張してしまう。
今回も緊張した。が、ちょっとワケが違う。情報源をホームページに求めて、情報収集していたが、そのあまりにも多い情報を消化できずに、取材日を迎えてしまったのである。

 YAHOOの検索エンジンに「麻生飯塚病院」<http://www.aso-group.co.jp/aih/>と入力し、リターンキーを押すと、車椅子の患者さんと看護婦が花畑で談笑している写真が出てくる。「ISO14001取得」「医療従事者向け」………。コンテンツも盛りだくさん。かたっぱしからページを開いていく。次から次に出てくる情報は頭をパンクさせる。とにかくすごいボリュームだ。

今回紹介するのは福岡県飯塚市にある麻生飯塚病院。博多からJRで40分ほどかかる。途中の篠栗駅を過ぎると風景が変わる。都会から田舎へchange。新飯塚駅に着き、改札を出ると街並みは古びていて、昔は栄えたんだろうなぁと、哀愁を感じさせる。商店街に鉱夫が溢れ活気づいているかつての情景がセピア色で頭をかすめる。そんな街である。
しかし、今回紹介する麻生飯塚病院はむしろ時代を先導しているようだ。

まず歴史をたどってみる。
診療開始は大正7年。時の内閣総理大臣は原敬。シベリア出兵、米騒動、ベルサイユ条約…………。歴史年表にはそんな言葉が踊っている。

「群民のために良医を招き、治療、投薬の万全をはからんとする」。

 麻生太吉氏(現社長の曽祖父)は開設の精神をこう表現している。
長い歴史の転換点、いやむしろ飛躍をしたのは昭和50年代から。その頃にはすでに現在と同じ1157のベッドがあったが、ドクターの数は40名ほどでしかなかった。当直は内科、外科のドクターが一人ずつ。救急車は病院の前を素通り。そんな時代だった。

 一方、当時、救急医療が社会問題化していて福岡県も例外ではなかった。県を4つに分け、そのうち筑豊、京筑地方の救命救急センター設置の要請があった。麻生泰社長は

「父は黒(石炭)から白(セメント)への事業転換を成功させた。私は白からMELDSへの転換をしたい」

と壮大なビジョンを打ち立てた。それを機に救命救急センター設置を決断、昭和57年に完成した。救命救急センターの設立で病院の守備範囲は格段に広がった。

その後、診療科も増加。心臓血管外科、脳血管内外科、脳神経外科、麻酔科など、いまでは30の診療科を抱え、30以上の学会修練施設にもなっている。
ドクターの必要性は高まる一方だったが、大学に頭を下げてもなかなか集まらない。ならば自前で、と、平成元年には厚生省(当時)から研修病院の指定を受けた。毎年、全国から公募し10数名の俊英が集う。厳選に厳選を重ねた末のドクターの卵である。現在、全国22大学から29名の研修医が奮闘している。

常勤医は約170名、看護婦はおおよそ750名、全従業員数は1300にのぼる。

 
<病院の特徴>

 麻生飯塚病院の特徴を書くにあたって悩みに悩んだ。切り口があまりにも多い。逆にそれが最高の魅力だが、今回は「厚生労働省臨床研修指定病院」という角度で掘り下げてみる。

同病院には総合診療科がある。この診療科の定義はあいまいで病院によって違う。大きく3つに類別できる。各科に患者さんを振り分ける機能だけのケース。その役割のほかに複数の臓器に疾患を持つ患者を複眼的、総合的に診療する科。そしてさらにその二つの機能に加えて若手ドクターの教育にも力を入れる総合診療科。飯塚病院はこれである。

臓器特異性を定められない問題を持つ方。診断未確定の急性症状、救急症状を有する方。診断未確定のクリティカルケアを要する方。感染症を疑うが、病変臓器を特定し得ない方。問題臓器を特定し得ても多くの内科的問題を抱えており、総合的判断を必要とする方。対象患者はこういった方達だ。

診療をするドクターのレベルも高い。もともとは消化器科出身でも、例えば心臓カテーテル検査の施行はできなくても検査結果から診断をくだせる。広く浅く、ではなく、広くて深い知識が必要となる。飯塚病院の総合診療医は病院生え抜きか全国からの公募による赴任で、常勤医は専修医2名を含む6名体制で診療している。

教育面では臨床に強く患者本位の医療を専門とするドクターの養成を主眼としている。医療面接、身体診察、EBM、医療倫理、予防医学………。ローテートの一環として若手医師達は13週間にわたり、同科でこうした教育を受ける。「各臓器別の専門医養成」というより「病気を診て病人も診る」ことのできるドクターの養成に力を入れている。

いくつかの大学病院や総合病院でも総合診療科があるが、広くて深い診療と教育の二本柱で対応している病院となると限られてくる。
医療行政は療養病棟を増やす方向に動いている。一方、医学部の教育カリキュラムや卒後教育では一般病棟で活躍できるドクターを育てようとしている。矛盾しているのではないか? 飯塚病院には療養病棟はないが筑豊地域で連携している療養病棟を持つ病院での研修が可能ではないか?

この疑問に対し田中二郎院長は

「おっしゃることはもっともかもしれません。ただ、療養病棟の患者さんが、最初はどんなところにいるのか。どんな状態でいるのか。これを知っていないと駄目だと思う。医師として卒業直後という重要な時期には、一般病棟で、診断法、病態生理、治療法など多く勉強したほうが良いと思っています。それに若いドクターは指導医がいないと納得しないんですよ」。

 某リハビリテーション病院の先生も私と同じような疑問を感じており、さらにはこんなことをぼやいたことがある。

「一般病院から患者の搬送の連絡がある時、どれだけ冷静になって考えても見下されているような気がするんです。昔から急性期医療ばかり叩き込まれたいたからなのでしょうね。だから慢性期医療は格下という認識があるんじゃないんでしょうか」。

 こうしたくだらない虚栄心や溝がなくなれば、病病連携、病診連携はもっと円滑になるのではないか?

「もしそうした意識が潜んでいるなら、それは我々の責任です。既に療養病棟を持つ病院での研修を行っていますので、その中で地域完結型医療の重要性についての教育を行いたい」。

と田中院長はこう考える。おだやだが毅然たる物言いは臨床研修指定病院の長としての自負心をうかがえる。

もう一つ大きな特徴がある。「ISO14001」を4月に取得したことだ。取材の締めくくりに自慢話を聞かせて下さいと言ったら、このことを切り出した。地元紙の西日本新聞だけでなく、全国紙、そしてNHKも取り上げたそうだ。広報担当の木原美千代さんが詳細を説明してくださり、田中院長が最後にタイミングよく、こうおっしゃった。

「全職員が一丸にならないとできないことです」。

田中院長の口からこの言葉が出ても違和感はない。その言葉の精神から、チームワークや協調性を日頃から大切にしている、そんな人柄を感じ取ることができる。温和な田中院長の心の琴線に触れることができたような気がした。

 
<経営理念>

 "We deliver the best"病院のホームページのトップ画面に書いている。
病院系ホームページには、大きく分けて2つのパターンがある。病院の方針を抽象的な言葉で紹介したり外来診察表を掲載したりするもの。もうひとつは専門分野についてわかりやすい言葉で説明し、患者さんに医学知識の啓蒙をはかったもの。
麻生飯塚病院のホームページはいずれでもない。病院の活動、考えを筑豊地域に、福岡県に、そして全国に発信しているかのようである。

「『We deliver the best』。この言葉がホームページにも反映しているということだと思います」。

  この言葉は魂の抜けた単なる標語ではなく、巨大病院を支え、全職員の内面に深く根付いているようだ。

 
私たち病院のテーマ
We deliver the best
 医療の質の向上とサービスの充実を両輪に、地域の皆様から信頼され、満足していただける「日本一のまごころ病院」を目指します。

―まごころ医療、まごころサービス、それが私たちの目標です-
 
2001.7.1掲載 (C)LinkStaff

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