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- 医療法人社団 相和会 渕野辺総合病院 -
神奈川県相模原市
 
<病院の沿革>

 神奈川県相模原市は、県北部に位置し、相模川に沿って北西から南東に広がっている。昭和29年、市制施行時の人口は8万人だったが、都心から40キロという地理的条件から、小田急線・京王相模原線・JR横浜線・JR相模線の4線が乗り入れており、新宿、横浜、湘南、八王子の各方面への交通の便の良さ、また戦後の首都圏整備の第一号に指定されたこともあって、内陸工業都市、ベッドタウンとして発展を続けてきた。その後も人口の増加が続き、現在は人口65万人を超え、しかも市民の平均年齢は38歳と若い。全国でもまれにみる人口急増によって、全国の自治体が少子化に悩む中、逆に小学校の新設ラッシュで、全国一の生徒数を誇る小学校の他に、あと2校が建設中だという。

この市の発展を見つめ、共に歩んできた病院が今回ご紹介する渕野辺総合病院だ。JR横浜線淵野辺駅から徒歩5分という立地の良さもさることながら、同院の強みはそれだけに留まるものではない。

改築されて8年目を迎えたと、事前にうかがっての訪問だが、院内はもとより外壁まで非常に清掃が行き届いているのが印象的だ。「清掃業者も良いみたいですね。他業者が営業に来ても『しっかりした仕事をしていますね。失礼しました』と言って帰って行ったぐらいです」と、笑って答えてくれたのは同院の土屋 章理事長。取材にも気さくに応じていただいた。

患者の心理としては、綺麗な病院で診療を受けたいもの。第一印象がその後の来院として結果に出る。"患者"を"顧客"として考え、スタッフ一同で対応する姿勢がうかがわれる。

昭和29年8月、渕野辺病院として開院(20床)したが「相模原市全体が米軍基地といった様相を呈していた」といったように、基地の町としてのイメージが色濃かった。当時は医療機関もほとんどなく、「周りは桑畑で、あぜ道を自転車を漕いで往診行ったものです。今じゃ考えられませんね」と、窓の外を眺めながら土屋理事長は述懐する。

開院2年足らずの昭和31年5月には労災保険指定医療機関となり、同年8月に医療法人に改組した。昭和41年3月に特定医療法人に承認され、10月に地下1階地上5階建てに全面改築している。この頃、市の人口も20万人を超えている。昭和47年に横浜市港北区に関連病院として新横浜病院・横浜総合健診センターを開設。昭和61年4月に渕野辺病院付属相模原総合健診センターが完成した。人口50万人突破の前年にあたる。

そして平成5年9月に地上8階建てに建て替えされ、翌月、渕野辺総合病院(161床)と改称され現在に至っている。
 
<病院の特徴>

現在、外来患者数は1日平均600~700人。多い時で1,000人を超えるという。市の発展と共に、地域密着型の総合病院として確固たる地盤を固めてきた渕野辺総合病院だが、同市にある北里大との病病連携を密にとり、また病診連携も神奈川県の民間病院で初のオープンシステムを導入するなど、積極的に地域の診療体制強化に力を入れている。契約している医院も50を超えた。このネットワークと共に同院の強さの源となっているのが総合健診センターの存在だ。

相和会としては昭和47年に、新横浜病院に横浜総合健診センターを併設したが、開設にあたり、当時としては異例のコンピュータ導入を行った。「当時コンピュータなんて、易占いのゲーム機に使われるぐらいの認識しか持たれていなかった。『そんなもので健診をやるんですか?』なんて言われましたよ」

当初導入したコンピュータは、部屋に納まりきれないほどのスペースを占め、磁気テープも抱えるほど大きく、またトラブルも多かった。「修理に来ても直せない。大変なものを入れてしまった、と思った。でも今にして思えばこの決断は間違いではなかった」

この長年にわたって蓄積された健診データが、すなわち患者の個人データとなり、受診時に活かされる。これが強みとなり財産ともなっている。健診を通じて予防に力を入れることで、医療費の削減につながる。「早期発見に全力を尽くす」国の方針を30年前に先取りしていたわけだ。

「確固たる歴史ができていますからね。それでも開設後しばらくは、会社訪問して健診の必要性を説いて回りました」。現在の契約社数は600社を超えている。1年間の延べ健診人数は、両センター合わせて4万人弱。集団検診に至っては数十万人に達する。年に一度、契約している会社の衛生管理者などの担当を招いての研修会を行っているが、300名にのぼる参加者があるという。地域の健診への関心の高さがうかがわれる。

健診事業を始めたのは日本で十指に入るほど早く、また土屋理事長も発起人の一人として名を連ね、日本総合健診医学会発足に尽力したのも、そんな時期だった。その会も平成14年1月には30回記念大会を迎えるまで歴史を刻むことができた。

健診センターは病院と別棟で健診「専用フロア」「専用機器」とを使い、外来患者、入院患者とのラインとは別としている。60数項目ある検査結果のうち、3項目以外は当日の昼までに判明し、昼食後に問診する。精密検査や加療を必要とする場合も病院へスムーズに移行できる。病歴や薬歴などの情報を蓄積し、どの医師が診ても対応できる体制を取っている。
 
<経営理念>

現在、病院が最も力を入れているのがサービスの向上。その前提となる職員教育についても積極的だ。院内に設けられた医療安全対策委員会や教育委員会、クリニカルパス委員会など各委員会がきめ細かく対応している。

看護教育もプリセプター制度に則って、先輩看護婦による新人看護婦をマンツーマンで指導しながら、患者さんのケアを行っている。また卒後4年以上の中堅、主任・婦長クラスは院外研修を行い、反復した指導を受けられるように努めている。

「患者さんから『先生の病院へ行くと、看護婦さんが良くしてくれる』とのお褒めの言葉もいただきます」と、語る土屋理事長。職員の励みにもなると、その指導法の効果に手ごたえを感じている。

患者さんの呼び出し一つにしても「さん」付けでなく「様」と呼びかけている。「健診センターでは、当たり前のことだが、院内でも徹底することで医療がサービスであることを職員一同徹底しなければいけない」

玄関脇にある相談部コーナーは15年前より設置している。院内のすべてに通じている婦長クラスの人材を配し、対応に務めている。「病院としては非常に大切な部門です。患者さんは、わからないことなどがあれば、気軽に何でも聞くことができる。これはベテランでないとできない。掛け持ちにもしませんし、専任です。この設置により、意見箱への患者さんからの投書が減りました。いわば"よろず相談室"です」「病院の顔ですよ」とも付け加えた。初診受付から症状による受診科目の相談。家族相談から経済的な悩み事など、患者さんの数だけ相談事があるといっても良い。今、最も多い苦情は待ち時間の長さだという。そのため平成13年11月からの予約制を導入への検討を始めた。2年後のオーダリングシステム導入での、待ち時間解消を目指す予定だ。

平成12年の総合相談部の創設は、平成8年に設けられた「総合案内」を発展させたもので、患者さんへのサービスを一本化して現在3名のケースワーカーが対応にあたり、ボランティアや地域との交流などの窓口となっている。毎月一度、各町内へ医師、看護婦、OT、PT、レントゲン技師など職員自ら進んで訪問し、毎回、身近なテーマで講演を開いている。そこでの意見やアンケートの回収により、医療サービスへフィードバックしている。これも総合相談部の業務だ。「この試みを始めてから、あちこちから『来てくれ』との反響が大きい。お金をかけているわけではないが、非常に喜ばれています。スタッフも嫌がらず協力してくれるのがありがたい」

積極的に地域に溶け込むことは、患者教育ともなる。神奈川県病院協会会長でもある土屋理事長は「医療機関である病院の責任」と言い切った。

死角が見当たらないように思われる渕野辺総合病院だが「民間病院の経営はどこも経営は大変です。幸い、市の発展とともに患者さんも増えているが、それだけに安住するつもりはありません。その鍵が医師のレベルの向上です」と、今後も病院全体のレベルアップに全面的に取り組むことに変わりはない。

課題としては「一次予防への注力」と、土屋理事長は挙げる。人口の高齢化の進展に伴い、疾病の治療や介護に関わる社会的負担が過大となることが予想される現在、従来の疾病対策の中心であった健診による早期発見や治療に留まることなく、健康を増進し、疾病の発病を予防する「一次予防」に一層の重点を置いた対策を推進する方針だ。

平成10年には日本病院評価機構の認定も受け、回復期病棟と産婦人科病棟の増築も予定されているという。これからも市の歴史と共に歩んでいくことに疑いはない。
 
私たち病院のテーマ
「医療体制の整備・地域社会の発展向上に努力します」
当院は市の発展と共に歩み続け、地域住民の健康保持増進のため、地域医療の向上発展につとめて参りました。
近時医療技術の急速な進歩と、医療をとりまく社会環境の変化に対応し、さらに看護体制の整備をはかるなど、万全の医療体制を整えました。
これからも、救急医療・予防医学に力を注ぎ地域の皆様方の健康と福祉の増進に寄与していきます。

2001.11.1掲載 (C)LinkStaff