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横浜市西北部にある地域密着型病院
横浜逓信病院

プロフィール

横浜逓信病院

横浜逓信病院

 横浜逓信病院は1952年10月、郵政省(現 総務省)の10番目の職域病院として、横浜市神奈川区に開設された。1982年に保険医療機関の指定を受けて一般病院へと生まれ変わり、横浜市西北部の地域医療に貢献してきた。JR京浜東北線、東急東横線、京急本線の最寄り駅から徒歩でのアクセスが可能という恵まれた立地ゆえ、多くの患者さんを迎えている。地域の開業医との連携も厚く、病診連携室には年間2300件もの相談があるという。
 診療内容として内視鏡検査は特筆すべき実績を誇り、経鼻内視鏡などの医療設備を充実させてきた。また、このほど人間ドック・健診センターを開設するなど、検診業務にも力を入れている。
 今回は大瀨良雄院長にお話を伺った。


横浜逓信病院

大瀨良雄 院長 プロフィール

1943年に東京都北区に生まれる。1970年に順天堂大学を卒業後、順天堂大学医学部附属順天堂医院で研修を行い、1973年に順天堂大学胸部外科に入局する。1974年に東京慈恵会医科大学附属病院心臓外科での勤務を経て、1975年に順天堂大学医学部附属順天堂医院胸部外科に帰任する。順天堂大学医学部附属順天堂医院胸部外科助教授に就任を経て、1994年に東京逓信病院第二外科に主任医長として着任し、心臓血管外科の責任者を務める。2000年に東京逓信病院第二外科部長に就任し、統括部長を兼任する。2008年に横浜逓信病院に院長として着任する。順天堂大学医学部客員准教授を兼任する。専門は心臓血管外科。



病院の沿革

 横浜逓信病院の歴史は古く、1923(大正12)年に遡る。横浜市桜木町にあった横浜郵便局の仮庁舎で開始された診療がその端緒であった。その後、横浜郵便局は中央公園に移り、診療所の名称も東京逓信診療所横浜支所となり、1928年には横浜逓信診療所と改められた。
 逓信病院が開設されたのは1938年である。郵政省(現 総務省)の前身である逓信省で当時の逓信大臣であった南弘氏の提唱により、逓信省職員とその家族のための職域病院として東京逓信病院が開設されたのが始まりだという。それ以後、逓信病院は逓信省が設置する病院として、戦後の1949年5月までに全国16病院を展開するに至った。1949年6月に逓信省が郵政省と電気通信省に分離された際に、半数の8病院ずつが両省の管轄として引き継がれた。なお、電気通信省の病院は現在、NTT病院として存続している。
 戦後、横浜逓信診療所では病院の新築が検討された結果、現在地である神奈川区西神奈川に移転先が決まる。1952年に病床数20床の横浜逓信病院が開設された。郵政省の病院としては、東京、名古屋、広島、仙台、新潟、福岡、京都、旭川、神戸に次ぐ10番目の病院だった。当時は院長をはじめとするスタッフは皆、東京逓信病院から赴任したので、開院当初から郵政部内診療の実情に沿った診療が可能であったという。

 「郵政省立の病院ということもあったのでしょうか、当時はのんびりした雰囲気だったと聞いています。職域病院ですから、患者さんも限られていますしね。そういった環境の中で研究も自由にさせてもらえていたようで、まさに古き良き時代だったのでしょう。研究的な仕事ができることや勉強もできる魅力的な病院として注目され、様々な大学の医局でも『無給でもいいので研究員として在籍したい』と希望する医師もいたそうですよ。」

 開設当時の診療科目は内科、外科、産婦人科、歯科、耳鼻咽喉科、健康管理科の6科だったが、その後、小児科、眼科、皮膚泌尿器科、放射線科、整形外科、麻酔科を増設し、病床数も100床となる。
 そして1982年に神奈川県知事から保険医療機関としての指定を受け、一般開放の時代が始まった。

 「当時、省立の病院を持っているのは郵政省と大蔵省印刷局ぐらいになっていましたし、一般開放するのが時代の流れだったのでしょうね。この地域は高度成長とともに人口が急増しましたので、国や地域からの要請もあったのだと思います。一般開放直後は地域の患者さんに認知が広まらなかったようですね。私が大学を離れ、東京逓信病院に着任したのは1994年でしたが、それでも患者さんの中に逓信病院は職域病院であるというイメージが残っていましたよ。口コミなどで浸透していくしかなかったですね。」

 その後、横浜逓信病院は発展を続け、特に予防医学で名を馳せるようになる。1982年頃、郵便配達でオートバイに乗る局員が長時間に渡ってハンドル操作を続行するため、手足の血管が収縮することで起こる血管性運動神経障害に悩まされることが多くなった。いわゆる白蝋病である。都心部のみならず、へき地でも携行型削岩機やチェンソーなどの使用が原因の白蝋病の患者さんが増えていたが、東京逓信病院の轟医師が治療に尽力した経緯があった。

 「逓信病院全体として郵政職員の健康管理の重要性を理解していたので、もともと予防医学への認識度が高かった背景があったんですね。一般開放後もその対象を広げ、私どもも早くから健康管理センターも併設しています。」

 2005年には地域連携室を新設したが、これは全国14カ所の逓信病院の中でも最速だったという。相談件数も2009年には約2500件、2010年には約2800件と、右肩上がりに増加している。

 「この地域は高齢者介護のご家族も多いですし、仲介や相談を親身になって受けるようにしています。私どもに入院させることが目的ではなく、採算度外視で開設している部署ですね。医療ではそういった取り組みが大事なのではないでしょうか。」

 2007年に郵政民営化、分社化の流れを受け、日本郵政株式会社横浜逓信病院となったが、現在のところ、国が100%の株式を保有しているため、病院の職員はいわゆる「見なし公務員」となっている。

 「民営化にあたってはスムーズに移行できましたし、古くから逓信病院にいらっしゃる先生方は『企業立病院になったことで風通しが良くなった』とおっしゃっていますよ(笑)。現在は郵政関係の患者さんも2割程度ですし、一般病院として地域に生き残っていきたいと考えています。」

 

2011.8.1.掲載 (C)LinkStaff

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