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財団法人 恵愛会
聖隷富士病院

プロフィール

財団法人 恵愛会 聖隷富士病院

 聖隷富士病院が位置する静岡県富士市の吉原地区は江戸時代から東海道五十三次の宿場町として栄えた歴史を持っている。冨士市は人口約26万人と、浜松市、静岡市に次ぐ、静岡県内第3位の規模であり、豊富な地下水を利用した製紙産業で知られている。日本製紙、王子製紙など、多くの製紙工場があり、特にトイレットペーパーの生産高は全国1位となっている。交通の便も良く、新幹線の新富士駅があるほか、東海道本線、身延線、岳南鉄道も通る。東名高速道路の冨士インターチェンジがあり、東名ハイウェイバスでも東京や名古屋へアクセス可能である。
 聖隷富士病院は戦後間もない1946年に静岡県農業会吉原病院として開設され、地域医療に貢献してきた。1999年には聖隷グループの関連施設となり、2007年には最新の設備を持つ新病院がオープンしている。一般病床99床と、小規模な病院ではあるが、豊富な経験を持つ専門医が揃い、良質な医療を提供している。
 今回は小里俊幸病院長にお話を伺った。


小里(おり)俊幸 病院長プロフィール

1956年に愛知県岡崎市に生まれる。1982年に浜松医科大学を卒業後、第二外科に入局し、消化器外科を専攻する。浜松医科大学医学部附属病院、1983年に中村(武)外科病院、1984年に浜松労災病院を経て、1985年に浜松医科大学医学部附属病院に帰任する。1988年に富士宮市立病院に外科医長として着任する。1993年に浜松医科大学外科学第二講座の助手に就任し、馬場正三教授のもとで大腸、肛門疾患を学ぶ。1995年に静岡県立総合病院に外科医長として勤務し、消化器外科一般、大腸がんの診療を行う。2003年に聖隷吉原病院(現 聖隷富士病院)に外科部長として着任する。2004年に副院長に就任を経て、2007年に病院長に就任する。
外科専門医、指導医、消化器外科専門医、指導医、日本大腸肛門病学会専門医、指導医、浜松医科大学臨床教授など。



病院の沿革

 1946年、戦後の混乱期に地域の需要に応えて開設されたのが静岡県農業会吉原病院で、現在の聖隷富士病院の前身である。公共団体の病院としての開設であったが、2年後には国保に経営移管となり、吉原市国民健康保険組合の直営病院となる。
 さらに財団法人恵愛会の設立が認可され、1949年に財団法人恵愛会吉原病院として開設される。1951年には齊藤知一郎氏が理事長に就任した。齊藤知一郎氏は大昭和製紙の創業者で、「岳南の製紙王」と呼ばれた立志伝中の人物である。以後、1961年に齊藤了英氏、1996年に齊藤公紀氏と、齊藤家の当主が理事長を務め、大昭和製紙の関連病院ではあるが、一般の患者さんも受け入れる地域の病院として親しまれ、吉原地区における基幹病院の一つであった。

 「2代目の了英氏はバブルの頃、ゴッホやルノワールの絵を落札したことで知られている人ですね。しかし、大昭和製紙の経営は徐々に傾いていき、病院の存続が危ぶまれるようになりました。そうしたことから、聖隷福祉事業団の関連施設になるという話になっていったようです。」

 聖隷福祉事業団は1930年、1人の重症の結核の青年を長谷川保を始めとする数人のクリスチャンの青年が療養の面倒をみようと決意し、小屋を建てて、共同生活を開始したのが始まりだと言われているが、その後、数々の困難を乗り越えて、静岡県内を中心に関連病院を持ち、横浜や神戸などにも病院や施設を展開している一大グループである。
 近隣の聖隷沼津病院は聖隷三方原病院出身の積惟貞先生が大きく発展させた病院であるが、1999年に吉原病院を聖隷事業財団と財団法人芙蓉会が業務支援することになり、聖隷沼津病院との間に経営協力体制ができた。そして2001年に聖隷福祉事業団の山本敏博理事長が吉原病院の理事長に就任する。病院の名前も財団法人恵愛会聖隷吉原病院に改称され、医師や事務スタッフなどの人的派遣も始まった。

 「もとが財団法人でしたので、その部分は残して関連法人となったのです。ですから、私どもと聖隷沼津病院はあくまでも聖隷の関連病院であって、独立採算制となっています。聖隷の傘下に入っているというよりも、聖隷が保証人ということでしょうか(笑)。」

 病棟は1966年に竣工した建物で、99床のベッド数があったものの、老朽化、狭隘化してきたため、隣地に新築移転が検討されるようになり、2007年に新病院が完成する。新病院は東海地震を見越し、耐震性に優れた建物となっている。移転と同時に財団法人恵愛会聖隷富士病院と改称されることになった。

 「吉原と言っても、『どこ?』と聞かれることも多いですし、あまり馴染みのない地名なんでしょうね。病院があるのは冨士市なのですから、冨士を名前に入れることにしたようです。」

 現在は冨士市の中核病院としての役割を果たすべく、診療体制の充実が図られているほか、増床に向けた病院機能の再構築が行われている。

 「人員を充実させて、地域の皆さんや開業医の先生方からさらに信頼をお寄せいただける病院であるよう努力していきたいと思っています。」

2010.11.1.掲載 (C)LinkStaff

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