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福井県で唯一の県立総合病院
福井県立病院

プロフィール

福井県立病院

 福井市はかつて「北国の小京都」と呼ばれ、越前の中心として繁栄した城下町である。一乗谷の朝倉氏遺跡は戦国大名であった朝倉氏が5代103年間にわたり、この地を治めた名残であり、今も戦国時代の城下町が当時のままの状態で発掘、保存されている。福井市は現在、27万人ほどの人口を有し、福井県の県庁所在地として政治、経済、文化の中心となっている。
 福井市から大阪や名古屋までは特急で2時間足らずの距離であり、小松空港から福井駅前まで連絡バスが出ているので、東京からのアクセスも良好となっている。
 福井県立病院は2004年に新病院本棟を竣工し、以後、中央医療センター、こころの医療センター、救命救急センター、健康診断センター、母子医療センター、がん医療センターなど6センターで運営を行っている。2009年は紹介率が50.1%、逆紹介率が64.5%となっており、地域医療機関との厚い連携が特徴である。また、2011年3月には北陸初の「陽子線がん治療施設」の供用開始が予定され、がんの高度治療の一層の発展が期待されている。


山本 信一郎 病院長プロフィール

1949年に福井県武生市に生まれる。福井県立藤島高校を卒業後、神戸大学医学部に入学し、1974年に卒業する。兵庫県立姫路循環器病センター、神戸大学医学部附属病院第二外科、神戸労災病院を経て、1993年に金沢大学第一外科(現 心肺総合外科)に入局する。1993年10月に福井県立病院外科に医長として着任する。1994年4月に心臓血管外科医長に就任を経て、2009年4月に病院長に就任する。
専門は心臓血管外科。日本外科学会認定医、日本胸部外科学会指導医、日本循環器学会専門医、日本心臓血管外科学会専門医、日本冠動脈外科学会評議員、医学博士など。



病院の沿革

 福井県立病院の歴史は1931年に遡る。富田千代氏(1890-1942)によって設立された更生会病院が前身で、その翌年に福井県代用平岡脳病院が創立された。1945年には日本医療団がこれを買収し、福井中央病院として再発足した。しかし、占領政策のために、1947年には解散が命じられ、福井市営に移管される予定となった。ところが、1948年に福井震災が起こり、福井市やその周辺の医療機関が全て壊滅したため、国内外の震災見舞金の一部を資金として、県へ移管することになり、県立病院として開設された。1950年4月、福井県立病院100床と福井県立精神病院150床が創立された。その後、長い間、それぞれ独立して運営していたが、2000年には福井県立病院677床と福井県立精神病院400床が組織統合された。

 「当院は小高い丘の跡地に建っています。その丘は平岡山と呼ばれ、高さ23.7メートル、東西222メートル、南北156メートルあったそうですが、今は既にその丘はなく、こころの医療センターの脇に立つ『平岡山の石碑』からしか当時をしのぶことができません。歴史を振り返りますと、平安中期の法典である『延喜式新名帳』にもこの平岡山に比定される枚岡神社の記載があり、かなり昔から拓けていたことが分かります。江戸末期には茶園としても開拓され、庶民の行楽の場だったそうです。しかし、明治になると土木工事用の石の産地となり、大正末期には山の規模はかなり小さくなっていたようですね。」

 2000年に、両病院が統合し、福井県立病院は1000床を超える規模となった。しかし、建物は増築に次ぐ増築で、快適な療養環境ではないこと、また、求められる高度、特殊、先駆的医療を提供するために新病院が設計されることになった。そこで、かつての福井県立精神病院の跡地に中央医療センター本棟、福井県立病院の跡地にこころの医療センター棟が竣工した。
 2009年にはがん医療センターが新規開設され、中央医療センター、こころの医療センター、救命救急センター、健康診断センター、母子医療センターにがん医療センターを加えた6センターで運営されている。
 2011年には北陸初の陽子線がん治療施設の供用が開始されるなど、今後も福井県の唯一の県立総合病院として発展していくことが期待される。

 「福井県民の皆さんが『健康長寿な福井県』で安心した毎日を過ごせるように、そして患者さんやご家族にとって納得のいく『良質で安全な医療』を安定的、かつ継続的に提供していきたいと考えています。」

2010.9.1.掲載 (C)LinkStaff

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