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日本で2番目に長い歴史を持つ公立病院
公立豊岡病院

プロフィール

公立豊岡病院

兵庫県豊岡市はコウノトリの飛ぶ街として全国に知られ、城崎温泉や城下町であった出石には多くの観光客が訪れている。近年、北近畿豊岡自動車道も開通し、大阪や神戸からのアクセスが便利になった。鉄道の便もよく、大阪駅、三宮駅、京都駅といずれも約2時間半でアクセスできる。さらに大阪空港からコウノトリ但馬空港までは35分であり、大阪空港で乗り継げば、羽田空港から最短で2時間の距離である。  公立豊岡病院は公立豊岡病院組合の中の中心的存在として、明治からの長い歴史を誇っている。2005年には新築移転を果たし、一般病床431床、感染症病床4床、精神病床65床の合計500床の病院として、新しい歴史を刻み始めた。 2010年4月17日にはドクターヘリの就航も始まった。但馬地方は山が多く、兵庫県最高峰の氷ノ山など1000メートル級の山々が聳え、日本海側では円山川がわずかに平野を開いているが、急峻な渓谷も形成する。こういった複雑な地形が但馬地方の文化や伝統を育ててきた一方で、一刻を争う緊急患者の搬送など、医療に関しては弊害も大きく、それがドクターヘリの導入に繋がった。現在、日本全国でドクターヘリの整備が進んでいるが、多くは関東や東海地方などの太平洋側である。兵庫県、京都府、鳥取県のように日本海側を範囲とする運行は全国でも例がなく、3府県をまたがる運航は全国初だという。 今回は公立豊岡病院の竹内秀雄病院長にお話を伺ってきた。


竹内秀雄 病院長 プロフィール

1943年に生まれる。1967年に京都大学を卒業後、泌尿器科医局に入局する。京都大学医学部附属病院、公立豊岡病院、京都大学医学部附属病院、倉敷中央病院を経て、1973年に京都大学医学部附属病院泌尿器科助手となる。1978年に滋賀医科大学講師、1984年に京都大学医学部講師を経て、1987年に滋賀医科大学助教授に就任する。1988年に京都大学助教授に就任する。1994年に公立豊岡病院副院長兼診療部長兼泌尿器科部長を経て、1996年に神戸市立中央市民病院(現 神戸市立医療センター中央市民病院)泌尿器科部長を経て、2002年に公立豊岡病院に院長代理として着任する。2003年に公立豊岡病院長に就任する。2004年に公立豊岡病院組合医療監の兼任を経て、2006年に公立豊岡病院組合副管理者兼公立豊岡病院長事務取扱に就任する。専門は泌尿器科。医学博士。



病院の沿革

 明治4年(1871年)7月に廃藩置県が行われ、豊岡藩は豊岡県に改められた。9月には久美浜県が医局開設を予告したが、11月に旧豊岡県と久美浜県を吸収した新しい豊岡県が設置され、県庁を豊岡に置いた。そこで旧豊岡県の小参事であった舟木克巳宅を医局として、医員である山上道順に割り当て、豊岡県医局開設が布達される。
医局開設布告文として、「本県下ハ山陰山僻ナレバ常ニ世風ニ後レ文明ノ氣運ヲ吸収スル能ハズ不幸疾病ニ罹ルトキハ是ヲ保護スル衞生行届カズ非命ニ死スルモノ不尠誠ニ愍然ノ至リニ不堪因テ此ノ度ビ於豊岡表仮医局相立候間治療可願出事」という文書が出された。
これにより、明治2年に開設された札幌病院に次ぐ、我が国の公立病院で2番目に古い歴史を持つ病院が誕生した。

 「明治維新を契機として、保健衛生や医療の行政的、政策的分野でも西洋化促進の時代変化が起こったんですね。この頃、新時代の政策の一環として、低所得者対象の医療提供を目的とする医療機関が多くの藩や県に設立されたのですが、現在の公立豊岡病院もその一つだと言えるでしょう。」

 明治22年(1989年)には公立豊岡病院組合が設立され、その後、周辺自治体の加盟や郡制の施行などがあり、病院も職員数を拡充させながら、発展の一途をたどる。昭和に入り、1933年には豊岡町立野東風に新築移転を行う。戦後も結核病棟の増築や精神病棟の新築、増築、第二病棟の新築など、病院機能の拡充が続いた。1966年には血液センター、新生児センター、理学療法棟も新設されている。
 1978年にへき地中核病院の指定を受け、1979年に兵庫県但馬救急センターを開設する。1990年には兵庫県但馬老人性痴呆疾患センターを開設するなど、地域のニーズに合わせた医療を展開するが、徐々に新病院建設への気運が高まってくる。建設準備室や改築検討委員会などの設置を経て、2002年に新豊岡病院の着工が始まった。

 「旧豊岡病院は狭く、また円山川に近いので、水害の危険があったんですね。実際に、2004年の台風23号の水害で床上浸水したんですよ。もちろん、この台風以前から移転は決定済みでしたが、予想が的中した形となりました。それで、新病院は敷地が広く、安全な場所を選択しました。当時、近隣の山を貫くトンネルの計画があり、市内の交通の便が改善されたことに加え、この地域各所から来院する患者様やそのご家族の方にとってもアクセスのしやすい立地であるというメリットもありました。」

 新病院の設計にあたってのコンセプトは快適性、安全性、経済性である。快適性にあたっては生活の場を感じさせる療養環境を提供し、街づくりの手法を取り入れた待合ホールや住宅と同じ設備を設け、親しみやすいインテリアで構成する病室などが特徴となっている。また光や風、緑を建物に取り込むことで、自然の力を活かした癒しの環境を創出している。安全性に関しては地震、火災に強く、バリアフリーの採用で身障者、高齢者、子どもが安心して利用できる施設である。このバリアフリーに関しては、2006年に「バリアフリー化推進内閣府特命当大臣賞」を受賞している。また、経済性の観点からは、省エネルギー対策を講じた施設であり、ライフサイクルコストを低減している。
 さらに、4床室も計画した。これは凸型の平面計画とし、プライバシーへ配慮しているほか、全てのベッドサイトに窓を設け、療養環境を向上させている。

 「但馬地域の人々の健康を守り、安らぎのある、地域に根ざした、信頼される病院を目指して新築移転を行いました。患者さんの利便性を第一に考え、高齢者や障害者も安心して利用できる病院づくりに努めました。2006年には兵庫県知事から『人間サイズのまちづくり賞』を福祉部門で受賞しました。」

 2002年には臨床研修病院、2003年にはへき地医療拠点病院の指定を受ける。臨床研修に関しては、2002年頃から大学からの派遣があったが、公立豊岡病院は症例数も多く、地域による医師育成も熱心なので、2004年以降は毎年7、8名の初期研修医が集まるようになってきた。一方、へき地医療は内科、眼科、皮膚科がメインであり、近隣の病院との協力体制を充実させている。

 「医療に携わる者として、我々の使命は患者さんに医療を提供するだけではなく、よりより医療を提供するための研究や後進の指導にも重点を置くべきだと考えています。」

2010.06.01.掲載 (C)LinkStaff

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