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市立加西病院

プロフィール

中河内医療圏の独立型救命救急センター 大阪府立中河内救命救急センター

市立加西病院
 兵庫県加西市は兵庫県内の中央部から南部にかけて位置する、人口約5万人の街である。市の東西を中国自動車道が横断し、中心部に加西インターチェンジがある。そのため京都、大阪、神戸市内から高速バスでの移動が可能で、京都とは1時間30分、大阪、神戸とは1時間で結ばれている。
 市立加西病院は1953年に設立され、1974年に現在地へ移転を果たした。加西市内で唯一の急性期病院であり、現在は266床を有し、内科、呼吸器科、消化器科、循環器科、外科、整形外科、耳鼻咽喉科、産婦人科、小児科、泌尿器科、眼科、精神科、皮膚科、神経内科、放射線科、麻酔科、病理科、リハビリテーション科を標榜している。
 2003年に臨床研修病院に指定されて以来、市立加西病院は医学生からの人気を集めている。毎年のようにフルマッチングを続けており、初期研修に引き続いての後期研修を望む研修医が後を絶たない。一方、2009年12月からは地方公営企業法の全部適用が開始され、山邊裕院長が病院事業管理者を兼任することとなった。自治体病院の経営難は全国的な課題であるが、市立加西病院ではさらなる発展に向け、山邊院長のリーダーシップに期待が寄せられている。
今回は山邊院長にお話を伺ってきた。


山本 保博 院長

山邊 裕 院長プロフィール

 1951年に徳島県阿波郡市場町(現 阿波市)に生まれる。1977年に神戸大学を卒業後、第一内科に入局し、循環器を学ぶ。神戸大学医学部附属病院、三木市民病院を経て、神戸大学大学院を修了する。1984年に兵庫県立成人病センター(現 兵庫県立がんセンター)に勤務し、1985年に神戸大学第一内科助手に就任する。同講師を経て、2001年に市立加西病院に副院長として着任する。2004年に院長に就任し、2009年12月に地方公営企業法の全部適用の開始に伴い、病院事業管理者を兼任する。
 日本内科学会専門医、日本循環器科学会専門医、病理解剖医資格、研修指導医資格、産業医。



病院の沿革

 市立加西病院の前身は北条町富田村組合立国保北条病院で、1953年10月に設立された。設立当初は内科、外科、婦人科の3科のみを標榜し、病床数も23床という小規模な病院だったという。

 「それまで旧北条町には開業医の先生方による診療所しかなかったそうなんですね。戦後、多くの自治体が病院を開設していきましたが、そういった全国的な流れに乗るように、私どもでも開設の運びになったのでしょう。」

 その後、耳鼻咽喉科、眼科、小児科、結核病棟、伝染病隔離病舎などが新設されていったが、1967年に旧制の北条町、加西町、泉町が合併し、加西市となったのを機に、加西市民病院と改称した。病床数は一般病床105床、結核病床30床になっていた。
 さらに1974年には現在地へ新築移転を果たし、市立加西病院と名称を改め、内科、外科、整形外科の3科で新しいスタートを切った。

 「神戸大学整形外科教室の初代の教授でいらした柏木大治先生が目をかけてくださり、開設にご尽力いただいて以降、私どもでは整形外科には強みを持っています。柏木先生は私が大学を卒業する頃、ちょうど定年退官を迎えられたのですが、非常にリーダーシップのある方で、全体を見ながら、物事を動かす推進力をお持ちでいらっしゃいました。」

 現在地は加西市の中心部の小高い丘の上にある。戦争中は防空壕が掘られた場所だったそうだが、加西市の土地整備の関係でこの場所に決定されたという。

 「地盤が岩盤ということもありまして、当初の予定よりも手狭になってしまいました。現在も駐車場の確保には若干の苦労をしていますね。」

 1970年代後半から1980年代にかけては、全国の自治体病院で標榜科目を増やしていった時期であるが、市立加西病院でも耳鼻咽喉科、精神神経科、皮膚科、放射線科、神経内科などを新設した。

 「その頃の院長は本岡龍彦先生です。非常に人を惹きつける性格で、職員を大事にされる方でしたね。それゆえ、『骨を埋める』つもりの勤務医が大勢いました。本岡先生は下の人間を部下としては扱わず、人の繋がりの大切さを自ら示してくださっていました。」

 山邊院長の前任の院長が稲留哲也先生である。当時、市立加西病院は慢性期病床とのケアミックス型でいくのか、急性期病院でいくのかという大きな選択を迫られていたが、稲留先生は急性期病院として生き残る道を選んだ。山邊院長はこの決断が病院の歴史のエポックになったと振り返る。

 「急性期病院であればこそ、積極的に診療したいという医師のメンタリティが育つんです。そしてコメディカルをはじめ、職員の士気も高まります。稲留先生は職員に対し、急性期医療とは何かという指針を示されたんですね。現在、厚労省では一般病床か介護病床という呼び方をしていますが、私どもでは急性期、慢性期といった区分をしていた頃から急性期医療にこだわりを持っていました。」

 2003年には臨床研修病院の指定を受けた。必修化の1年前のことである。山邊院長は副院長として内科のマネージメントに携わりながら、臨床研修の準備に奔走した。

 「臨床研修制度の中で医師を集めて育成していくことが病院の発展につながるのだという考えがありました。1年前に剖検率をクリアしたため、早めにスタートが切れて、よかったですね。」

 それ以後、市立加西病院は「研修医が集まる」病院として、毎年のようにフルマッチングを続けている。2008年度には「教育と人材育成で病院の発展をはかろう!」を目標として、さらなる環境の向上に取り組んだ。

 「病院の医療は昨今、困難の度合いを深めています。そういう逆境に耐えるのは士気の高い医療者を育てる教育的な職場を作ることだと考えてきました。お蔭様で、2009年度は7:1看護を維持し、常勤医師も増え、前期と後期の研修医も集まって、充実した環境になってきました。」

2009.12.01.掲載 (C)LinkStaff

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