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プライマリ整形外科麻布十番クリニック

清澤 源弘 院長

寺尾 友宏 院長プロフィール

1971年に東京都港区で生まれる。1997年に東京医科大学を卒業後、東京医科大学整形外科講座に入局し、東京医科大学病院に勤務する。1999年に東京警察病院に勤務する。2003年に洛陽病院に勤務する。2007年に京都大学大学院を修了する。2007年に東京ミッドタウンクリニックに整形外科長として着任する。2009年にプライマリ整形外科麻布十番クリニックを開業する。日本整形外科学会専門医、日本整形外科学会認定スポーツ医、日本医師会認定健康スポーツ医、日本体育協会公認スポーツドクター、第90回全国高等学校サッカー選手権大会会場ドクター、産業医など。

 東京都港区麻布十番は江戸時代からの歴史のある商店街で知られ、高級感のある麻布地区の中でも下町の雰囲気を残した街並みが特徴となっている。長く鉄道の駅がなく、六本木駅からは高低差もあるため、「陸の孤島」と呼ばれることもあったが、2000年に麻布十番駅が完成し、東京メトロ南北線と東京都営地下鉄大江戸線が開通したことで利便性が大きく向上した。もともと都営バスの路線が多く、新橋や五反田などのJR駅にアクセスできていたが、最近では港区内のコミュニティバス「ちぃバス」も走り、田町ルートや麻布ルートで御成門、神谷町、芝公園、広尾、田町、赤羽橋、三田、六本木の各駅と結ばれている。また、2003年には麻布十番商店街に続くエリアに六本木ヒルズが完成したことで、麻布十番を訪れる人の数も増え、街のイメージも変わってきた。
 この麻布十番商店街に面したビルに2009年に開業したのがプライマリ整形外科麻布十番クリニックである。寺尾友宏院長は患部を動かしながらの治療を得意とし、患者さんの状態に合わせた治療に力を入れている。患者さんの痛みや辛さという問題を解決し、サポートするクリニックを目指しており、競合の多い麻布十番にあって、独自の姿勢で多くの患者さんを集めている。
 今月はプライマリ整形外科麻布十番クリニックの寺尾友宏院長にお話を伺った。


開業に至るまで

病院風景 ◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 祖父も父も医師で、親戚にも医師が多い環境だったことが大きいですね。祖父は新小岩で内科の診療所を開業しており、祖父の他界後は父が継承しています。父は老年内科を専攻しており、埼玉県の医療施設に勤める勤務医でもあります。私は幼稚園の卒園文集に既に「医師になる」と書いていたんですよ(笑)。ですから、医師になろうと思ったのがいつだったのかは思い出せません。気付いたら、自然と目指していました。

◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 テニス部での活動のほかは勉強も頑張っていました。試験での成績が評価されて、特待生資格を得たこともあります。1年生のときに祖母が亡くなったのですが、祖母との約束が勉強を頑張るということでした。特待生資格を取れたことが祖母との約束を守った証拠となったのかなと思っています。我が家は家族の仲が良くて、家族のイベントにはできるだけ参加するようにしていました。

◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 テニス部に入っていましたので、テニスが趣味と言えるでしょうか。選手としてはあまり活躍することなく、試合の準備をするなどの裏方の仕事を頑張っていました。毎週末のように試合があったので、忙しかったですよ。仲間とはよく飲みましたね。東京医科大学は歌舞伎町から歩いてすぐの場所なんです。その頃は実家も新大久保にありましたので、大学、歌舞伎町、実家を歩いて移動していました(笑)。

◆ 専門を決められた経緯をお聞かせください。
 祖父と父が内科で、姉が放射線科ですので、私は家族とは違うことをしたくて、外科系に進みたいと思っていたんです。「切る」というのは外科医ならではの仕事ですしね。その中でポリクリで興味を持てた診療科は心臓血管外科、脳神経外科、整形外科でした。しかし、心臓血管外科と脳神経外科はやはり厳しい診療科ですし、私としてはどこまでモチベーションを保てるかどうか分からなかったんです。整形外科はポリクリでお世話になった先生がとても親切で、いい教えを受けたことが印象に残っていました。その先生が誘ってくださったこともありましたし、最終的には人で決めたという感じですね。

◆ それで母校の整形外科に入局されたんですね。
 私たちの頃は今のようなスーパーローテート制ではありませんでしたし、そのまま母校の医局に入るのは自然の流れでしたね。私は幼稚舎から高校まで慶應だったので、慶應の医局も見学に行ったのですが、やはり母校の方が良かったです。

◆ 京都大学の大学院で学ばれたのはなぜですか。
 ES細胞について学びたかったからです。ちょうど再生医療が出てきた頃で、「ネズミの背中にヒトの手を作った」などの話題があり、画期的な治療になるという予感がしたんです。そこで最も進んでいた京都大学で時代の最先端の研究をしたいと思い、受験して入学しました。ES細胞を学ぶというタイミングとしては非常に恵まれていましたね。

◆ 東京に戻られてからはいかがでしたか。
 京都は大学院だけのつもりでしたので、4年で東京に戻る予定でした。戻るにあたって、どこで勤務しようかと探していたのですが、東京ミッドタウンクリニックがアメリカのジョンズ・ホプキンス・メディスン・インターナショナルと提携していることを知り、世界有数の医療機関と提携したクリニックでどういう医療ができるのだろうという期待があったんです。そこで自分で電話して、アプライしました。その頃は開業することは全く念頭になかったですね。ホスピタリティの研修のため、ジョンズ・ホプキンス・メディスンにも行かせていただきました。

◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
 上司に恵まれ、充実した勤務医時代を過ごすことができました。卒後3年目で、まだ右も左も分からない頃に東京警察病院に勤務することになったのですが、非常に手術の多い病院だったんですね。しかも主治医制でしたので、外来を担当して、患者さんの手術適応を見極め、手術が必要な患者さんがいれば手術室とのやり取りをしたり、手術後のフォローまで一連の流れをトータルに学ぶスキルを手に入れることができました。東京警察病院では外傷、関節、脊椎などの各ジャンルにエキスパートがいらっしゃり、どの先生方も手術がうまく、タイムマネージメントもしっかりなさっていて、勉強になりました。
 また、京大の大学院時代に勤務した洛陽病院の奥村秀雄院長先生は今は理事長になっておられますが、股関節手術を得意としていらっしゃり、京大病院からの紹介患者さんも多くいらしていました。そこで私も新しいスキルを身につけることができましたし、勤務した先で次々にスキルをプラスしていけたのは有り難かったです。


開業の契機・理由

病院風景 ◆ 開業の動機をお聞かせください。
 私の理想の医療がジョンズ・ホプキンス・メディスン・インターナショナルの考え方と合わなくなったというのが大きな動機です。今の私どものクリニックの方針である、「機能を回復してさしあげることで、根本から治そう」というものが受け入れてもらえなかったんですね。そこで、自分の理想を描いていくために開業しようと決意しました。従来の整形外科は痛み止めの薬を出したり、電気をかけたり、手術をしたりが中心ですが、痛み止めでしたら簡単に買えますし、手術はかなり特殊な事例です。私は体操やリハビリなど、薬、電気、手術の隙間を埋めていくような医療を行っていきたかったのです。

◆ 開業地はどのように選ばれたのですか。
 東京ミッドタウンクリニックにいらしていた患者さんのためにも、六本木か麻布十番での開業を考えていました。当時、自宅からミッドタウンまで歩いて通勤していたのですが、麻布十番商店街は途中の道なんです。それで、ここが空き物件になっているのを見つけました。ビルが完成してから2年経っていましたが、借り手がつかなかったようなんですね。幸運なことにスケルトン状態になっていたので、一から設計していただくことができました。

◆ 開業地をご覧になっての第一印象はいかがでしたか。
 麻布十番商店街はとても活気があり、昔の良さと今の良さを両方、感じられる街です。昔は「陸の孤島」と呼ばれていましたが、今は地下鉄も通っていますし、もともとバス路線も豊富ですしね。この場所は地下鉄の駅からも徒歩5分ですから、利便性は高そうだと思いました。9階という高さは気になりましたが、私どもの方針は一人一人の患者さんにゆっくりとした時間を取ることにありますので、人通りが多くて落ち着かない1階よりは良かったのではないかと思います。

◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことですか。
 事務手続きなどは開業コンサルタントに任せましたので、そういった辛さはなかったです。ただ、私が思い描いていた理想を形にすることは難しかったですね。病気になる前の予防をどう行うのか、病気になってしまったら痛みをどうとるのか、復帰不能であればどうコンディションを保つのかといった視点から中味を考えていくことに苦労しました。私の理想は鍼灸院も備えた、ワンストップで済むクリニックでした。診断は西洋医学で行うわけですが、鍼灸師などのスペシャリストがその診断にどう切り込み、切り込むためにはどういうクリニックであるべきなのかということも悩みましたね。もちろん、今はその苦労も楽しい思い出です。運良く、柔軟な考え方のできる鍼灸師に来てもらうことができ、人の縁の有り難さを感じています。

◆ 当初はどういったスタッフ構成でしたか。
 理学療法士1人、鍼灸師1人、受付が2人でした。募集にあたっては苦労はありませんでしたね。私どもの方向性は患者さんにハッピーになって帰っていただきたいことにあるので、最初と最後に合う受付スタッフは大事です。クリニック全体や患者さんに目が届き、患者さんとしっかり話せる人に来ていただきたくて、1人を募集したところ、甲乙つけがたい2人が最後まで残りましたので、予定を変更して2人の採用を決めました。

◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 レントゲンや電子カルテのほか、血液を使用して治療するための遠心分離機、スリングセラピーやレッドコードといった特殊なリハビリ機器を揃えました。

病院風景◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
 明るく、医療機関らしくないクリニックにしたいというのが基本的な考えです。そのため、設計事務所ではなく、デザイン事務所に依頼し、コンペ式で決定させていただきました。結果として、私どものデザインを担当したデザイナーはイギリスの賞を受賞したそうですよ。
 エレベーターの出口の向きと吹き抜けスペースをうまく活かせましたし、リハビリスペースをガラス張りにしたことで明るさが出ましたね。最初は患者さんのプライバシーに配慮するためにも磨りガラスにしようかと考え、患者さんやスタッフに尋ねたのですが、透明なガラスの方が光が入るのでいいという答えでしたので、透明なガラスにしました。


クリニックについて

病院風景 ◆ 診療内容をお聞かせください。
 まず、痛みと運動機能障害を治すこと、使いながら治すこと、患者さんのライフスタイルに合わせることが挙げられます。患者さんが「痛い」という状態でいらっしゃるのがスタート地点です。入口である痛みをとるためには薬、注射、鍼といった選択肢を使います。そして、身体の使い方やバランスといった痛みの原因を突き止め、根本から治して、機能回復に繋げます。
 機能回復といっても、旅行に行きたい、スポーツをしたいなど、患者さんのニーズは様々です。家に引きこもっているのが好きな患者さんに筋トレは不要ですしね(笑)。患者さんが何をしたいのかというニーズをお聞きしたうえで、回復の方法をご提案させていただいています。
 次に、西洋医学と東洋医学の融合も私どもの治療方針の一つです。西洋医学も西洋の学問の一部分でしかありません。西洋医学は病態を細かく分析していくのが特徴ですが、東洋医学は代替医療に代表されるように包括的に捉えるのが特徴です。アプローチが全く逆な二つの学問を融合させ、お互いに補完できるような医療を行いたいと考えています。
 最後に、治療とコンディショニング作りを同時に行うことです。私はスポーツ医療に長く携わってきましたので、スポーツ選手を休ませないこと、固定の期間も短くすることは基本です。従来の整形外科とは異なる発想ですが、私自身のスタートはスポーツ医療にありますので、「動かしてなんぼ」だと思っています。

◆ 「ピンポイント外来」について、ご紹介ください。
 患者さんから「肩凝り程度で通院していいんですか」と尋ねられることがありますので、来院へのハードルを下げるために行っているものです。「ピンポイント外来」と謳ってはいますが、従来の外来とほぼ同じ内容ですよ。ただ、医療情報はなかなか分かりにくいので、ピンポイント外来を効果的に使うことで、より分かりやすく伝わっていける場にしたいですね。

◆ 病診連携については、いかがですか。
 紹介先のメインは慶應義塾大学病院です。近くの病院を希望される患者さんには東京都済生会中央病院や国際医療福祉大学三田病院をご紹介しています。疾患にもよりますが、稀な疾患は大学病院が多くなりますね。紹介状を書く機会は多いですが、機能回復のためのリハビリを行っているクリニックが少ないので、逆紹介をいただく機会も増えてきました。

◆ 経営理念をお教えください。
 ベースとなっている経営理念は「ゴーイングコンサーン」ですね。いいものであっても、続けられなかったら意味がありません。保険医療も破たんしかかっている今、医療がボランティアになるのはおかしいです。医療者にも生活があり、スタッフにも生活があります。バランスが取れていないのに、今の保険医療を続けていくのは違和感があります。私どもではきちんと機能回復するためのコストがかかるものは対価としての自費診療を行っています。

病院風景 ◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 私どもでは朝礼ではなく、チェックインを行っています。チェックインでは「気になっていること」というテーマで1分間スピーチをしてもらっています。話すとなると、内省に繋がりますし、社会の様々なことに目を向けるきっかけになるようですね。
 また、小笠原流の小笠原敬承斎さんが姉の同級生というご縁で、小笠原流の研究会を毎月、開催しています。敬承斎さんは小手先の接遇ではなく、どう考えるべきか、どういう気持ちを持つべきかというベーシックなことを伝えてくれますので、スタッフも「マニュアルに書いていないからできませんでした」などと言うことがないですね。私も気付いたことは積極的にスタッフに伝えています。

◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
 看板はビルの下に出しているだけで、ホームページなどのウェブに特化しています。患者さんの9割の来院動機がホームページですね。私どものサイトはアーカイブのページ数が多いので、大病院なみのアクセス数と言われています。SEO対策は専門の会社に依頼していますし、検索ワードも工夫の仕方など、頻繁にミーティングを行っていますよ。麻布十番では後発のクリニックなのですが、私どもは30代から40代の患者さんが多く、高齢の患者さんが多いクリニックとは住み分けができているようですね。保険診療の物療メインでいきたい患者さんには物療に力を入れていらっしゃるクリニックをご紹介するようにしています。何でも自院で行うという考えは良くないですし、自費診療ゆえに私どもを選んでくださった方に注力できないですからね。


開業に向けてのアドバイス

 勤務医のままでは自分のやりたい医療ができないから開業するというのは私もそうですし、理解できます。しかし、個人的なイメージかもしれませんが、勤務医に疲れたから開業するといった「立ち去り型サボタージュ」の開業も少なくありません。そういう開業の仕方ですと、開業後に面白くなくなりますよ。「休みがあるからいいとするか」ぐらいの考えしか持てなくなりますし、勤務医からの逃げ場が開業だと思い込むのは大変な目に遭います。
 開業にあたっては自分のやりたいことを思い描き、それを実現させていこうと思えば、その後も楽しくなります。たまに、マスメディアに勤務医と開業医の収入比較の表が出たりしますが、あのような比較が示すほどの単純なものではありません。開業医にはスタッフの雇用という仕事もありますし、経営者として数字も見なくてはいけません。そういったことに追われながらも自分のモチベーションを保てるものこそ、「やりたい医療を実現させる」という思いなのではないでしょうか。


プライベートの過ごし方(開業後)

 子どもがまだ小さく、妻がディズニーランドが好きなので、休みの日には家族サービスに努めています。
 また、週に1回、表参道の教室に護身術を習いに行っています。これはイスラエルで開発されて、日本ではSPの人たちが習っている手技なんです。子どもができて、自分の身を守るだけではなく、周りの人も守りたいと思ったのがきっかけですね。この護身術は止まった状態から早く動くところは日本の武道と似ています。基本に忠実でないと、使えるときに最大の力を出せません。基礎トレーニングから体力を使いますので、息を切らしながらやっていますよ(笑)。でも、とても面白いです。


タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

プライマリ整形外科麻布十番クリニック
  院長 寺尾 友宏
  住所 〒106-0045
東京都港区麻布十番1-5-18 カートブラン麻布十番9階
  医療設備 レントゲン、電子カルテ、超音波骨折治療機、超音波装置、ポスチャーアナライザー、レッドコード、エアロバイク、ランニングマシーンなど
  スタッフ 17人(院長、非常勤医師1人、看護師1人、理学療法士1人、鍼灸師1人、業務提携のリハビリスタッフ8人、業務提携のアロマテラピスト1人、業務提携のピラティスインストラクター1人、常勤事務2人)
  物件形態 ビル診
  延べ床面積 約45坪
  敷地面積 約45坪
  開業資金 約7000万円
  外来患者/日の変遷 開業当初 10人 → 3カ月後 50人 → 6カ月後 60人 → 現在 60人
  URL http://www.po-ac.jp

2013.01.01 掲載 (C)LinkStaff

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