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本郷ヒロクリニック

英 裕雄 院長

英 裕雄 院長プロフィール

1961年に東京都練馬区で生まれる。1986年に慶應義塾大学商学部を卒業する。1993年に千葉大学医学部を卒業し、浦和市立病院(現 さいたま市立病院)で研修を行う。研修終了後は診療所などに勤務する。1996年に東京都新宿区に曙橋内科クリニックを開業する。1999年に医療法人曙光会理事長に就任し、落合、代官山にも分院の展開を行う。2001年に曙光会を譲渡し、新宿ヒロクリニックを開業し、医療法人社団三育会の理事長に就任する。2008年に銀座ヒロクリニック、2009年7月に本郷ヒロクリニック、2012年4月に麻布ヒロクリニックを開業する。2012年4月に新宿ヒロクリニックの院長を退任し、本郷ヒロクリニックの院長に就任する。2012年5月に銀座ヒロクリニックを移転する。

 東京都文京区の本郷地区は東京大学本郷キャンパスがあるため、日本屈指の文教地区と言われている閑静なエリアである。しかしながら、文京区自体は高齢化が急速に進んでおり、1995年に16.6%だった高齢化率が2005年には19.3%に増加している。また、1995年には前期高齢者がほぼ6割を占めていたが、2005年には5割近くまで減少し、後期高齢者の占める割合が高くなっている。そのため、在宅医療のニーズは高く、新宿ヒロクリニックなどで在宅医療のノウハウを蓄積させてきた医療法人社団三育会が2009年に開業したのが本郷ヒロクリニックである。
 本郷ヒロクリニックは外来は予約診療のみで、在宅医療に特化したクリニックとなっている。新宿ヒロクリニックのほか、銀座ヒロクリニック、麻布ヒロクリニックなど、法人内のほかのクリニックも拠点とし、365日24時間の診療体制で、特に重症度の高い患者さんの診療を行っている。
 今月は本郷ヒロクリニックの英裕雄(はなぶさ ひろお)院長にお話を伺った。


開業に至るまで

病院風景 ◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 最初の大学に在学中に母が乳がんを患い、他界するという経験をしました。母の闘病の経緯の中で、医療の知識が大事であることに気付いたのがきっかけです。母は医療情報を積極的に得ようとしていましたが、大学病院では手遅れだと言われたり、私自身の軸が定まらないことに忸怩たる気持ちが芽生えたんですね。ちょうど将来を模索していた時期でもあり、医学的な素養を身につけるために、医学部に再入学しようと決意しました。

◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 医学部の場合は選択授業が非常に限られていて、ほとんどが必修なんですね。そのため、前の大学ほど自由ではありませんでしたので、勉強は普通に頑張っていました(笑)。

◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 海の近くの大学でしたので、ウィンドサーフィンのクラブを作り、勉強と両立させながら多くの時間を海で過ごすことができました。内房のあちこちで練習していたほか、外房にも行きましたし、合宿は館山でやっていました。静岡や冬以外なら富士五湖にも行っていましたよ。ウィンドサーフィンを通じて多くの仲間に出会えました。今も皆とは仲がいいですよ。ただ、皆、忙しいので、なかなか会う時間が取れないですね。

◆ 専門を決められた経緯をお聞かせください。
 浦和市立病院は臨床研修病院の指定を受けたばかりで、研修システムがまだ整っていなかったことに惹かれて選びました。窮屈なところは嫌なんです(笑)。それでも浦和市立病院は当時では珍しいスーパーローテートの研修を行っていました。そこで、内科に興味を持ち、2年目のときは内科を重点的にローテートさせていただいたんです。特にスペシャリティを持とうとしなかったことが今の仕事に繋がった面があるのかなとも思っています。

◆ 大学の医局に入局しようと思わなかったのはどうしてですか。
 いわゆる正規のルートに関心がなかったんですね。たまたま外部の病院で研修を行ったことも大きかったです。最初から開業を考えていたわけではありませんでしたが、違ったこと、変わったこと、珍しいことがしたい気持ちはありましたね。

◆ 勤務医時代を振り返っていかがですか。
 私の場合は卒後4年目で開業したので、勤務医生活は短かったです。それでも病院という大きな職場に身を置くことで、自分の臨床能力を磨くと同時に、不思議な感覚も得ました。医師になって間もないのに「先生」と呼ばれ、それまでとは意識や責任感、社会的な位置づけの重さが分かりましたね。研修終了後は検診医師をしたり、診療所に勤務したりと、都会や地方など様々な場所で働きました。地方は都会とは全くライフスタイルが異なることを知るなど、本当に勉強になりました。


開業の契機・理由

◆ 最初は曙橋内科クリニックを開業されたのですね。
 あるとき知り合った医師の先輩から在宅医療についての話を聞いたのです。自分でもできそうだと思い、当時、住んでいた新宿区の保健所に「このあたりの在宅医療って、どうなんですか」と聞きに行ったんです。そうしたら、「このあたりでは在宅医療を行う医師が少なく、困っている」という返事だったので、「どうしたら始められるのですか」と伺ったら、書類を渡されました。それが診療所の開設届だったのです(笑)。そのときの担当官から「どうせ外来をしないのなら、今、住んでいるマンションをそのまま診療所として届ければいい」と背中を押していただいたのがきっかけです。開業したいという強い気持ちがあったわけではなく、今後のニーズが大きくなると言われ始めていた在宅医療に触れてみたかったという感じでした。

◆ 曙橋内科クリニックの開業は介護保険法が制定されたのと同じ1996年なんですね。
 全くの偶然です(笑)。それも初めからフルタイムで開業したわけではなく、週に5日はアルバイトを続けていました。往診依頼の電話を受けるアルバイトの女性に来てもらっていて、往診依頼の電話が入ればアルバイト先の私に連絡してもらうことにしたのですが、全く電話がかかってこなかったですね。

◆ どのような増患対策をなさったんですか。
 看板も出していないマンションの3階でしたし、何もしなければどなたもいらっしゃらないので、休日には手作りのパンフレットを持って、訪問看護ステーションや保健所、病院などを回りました。夜には集合住宅のポストにパンフレットを入れに行ったりもしました。その結果、徐々に訪問看護ステーションなどから紹介をいただくようになりました。

◆ 新宿ヒロクリニックの開業を決心された理由をお聞かせください。
 曙橋内科クリニックのほか、落合と代官山にも分院を展開していましたが、新しい医療の形を模索したいと思っていました。私どもは重症度の高い患者さんの診療を得意としており、ニーズも高かったのです。そこで、重症度の高い患者さんに対して、有効性のあるグループ診療を行うべく、曙橋、落合、代官山のクリニックは譲渡し、西新宿に新しく開業しました。本当は臨床研修病院を選んだときの「窮屈なところは嫌だ」という気持ちが復活しただけかもしれません(笑)。

◆ そして、本郷ヒロクリニックを開業されたのですね。
 新宿、銀座と開業してきてノウハウもありましたし、重症度の高い患者さんのニーズが多い本郷を選びました。文京区は東京大学医学部附属病院など大きな病院が多いので、そういった病院との連携性を深めたかったということも理由の一つです。最初はほかの医師が院長を務めており、私はその医師をサポートする立場でした。今年、その医師が退職しましたので、私が院長に就任し、少しずつ診療所としての機能を変えつつあるところです。

◆ 開業地はどのように決定されたのですか。
 在宅医療メインで、外来は予約のみですので、広さへのこだわりはなかったですし、開業地自体はすぐに決まりましたよ。

◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことですか。
 ずっと継続してやってきた医療であっても、新しい場所では違うことが多くあります。地域性や患者さんの社会性、行政や訪問看護ステーションのあり方なども異なりますが、在宅医療ではこういった違いを認識することが重要になります。地域の違いに気付いて、新しく取り組んでいくのは面白い面もありますし、新しい地域で新しい在宅医療を行うのは新鮮でもありますが、地域の基盤整備はやはり大変ですね。開業すること自体は曙橋時代から何軒も経験がありますが、順調かどうかは私には分からないです。でも、お蔭様で、スタッフや地域の皆様に支えられていて、有り難いと思っています。

◆ 当初はどういったスタッフ構成でしたか。
 院長と事務員2人の構成です。看護師はいませんでした。事務員も紆余曲折がありながら、現在は何とか定着しています。

◆ 設計、内装などのこだわりをお聞かせください。
 以前は普通のオフィスだったようで、完全にできあがった状態になっており、手を入れずに済みました。診察室的に使えるスペースもあり、こちらでは何もしていません。

◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 在宅医療が中心のクリニックですので、重度な機械は揃えていません。普通の心電計と診療器具だけですね。


クリニックについて

病院風景 ◆ 診療内容をお聞かせください。
 内科全般と在宅医療です。在宅医療では重症度の高い患者さんが6割から7割を占めています。安定期の患者さんは少なく、症状変化に対しての医療対応が必須です。点滴や中心静脈栄養、気管切開、胃婁の管理、輸血、腹水や胸水の除去や穿刺といった対応を行っています。
 在宅医療ではご家族の意見調整も大事な仕事の一つです。ご家族の介護状態を知り、行政や各種のサービス事業者とのやりとりを通して、コーディネートしていきます。現在は私と平林医師とで、50人ほどの患者さんを診ています。

◆ 病診連携については、いかがですか。
 東京大学医学部附属病院、東京医科歯科大学医学部附属病院、順天堂大学医学部付属順天堂医院、がん・感染症センター都立駒込病院などが中心です。都立駒込病院とは臨床研修に関しても連携しており、私どもは協力施設として年間16人ほどの研修医を受け入れています。私としては、研修医が在宅医療を学ぶことももちろん大切ですが、指導医の先生方が在宅医療の現場をご覧になることにより意義があるのではないかと思っています。

◆ 経営理念をお教えください。
 地域医療の中で在宅医療を通して患者さんを診ていくことに尽きますが、手広くやっておられる、ほかの医療施設を補完する役割を果たしていきたいです。そういった医療施設では重篤であったり、外来に行けない患者さんになかなか手が回らないですから、私どもでサポートしていきたいですね。その積み重ねで、高齢社会を支える一助になればと願っています。

◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 在宅医療が初めてだというスタッフは私どもでゼロからのスタートとなります。そういうスタッフが現場で困らないような教育をしていますし、もし困ったことがあったら、その場その場に応じたアドバイスをしています。非常勤医師が多いので、マニュアルも作成していますし、カルテの記入の仕方などが円滑に行えるような研修も行っています。苦しい業務を苦しいままで渡すことは無理ですし、業務体系を整理し、マニュアルや記録用紙の作成など、業務を分担することが重要なんですね。最近はスタッフ同士で教え合うといった、いい雰囲気になってきましたよ。ときには外部講師を招いての勉強会なども開催しています。

◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
 ホームページでの情報開示に努めていますが、看板などの広告は行っていません。マスメディアでの宣伝に頼るのではなく、一人の患者さんをしっかり診ることが次の患者さんへの紹介に繋がると信じていますので、医療実績の積み重ねが肝要です。一方で、私どもとしては従来の患者さんに加えて、潜在的なニーズも考えないといけません。具体的には、外来に通っているけれども、訪問診療の方が嬉しいと思っている患者さんに対するお手伝いなどの需要を掘り起こしていきたいですね。


開業に向けてのアドバイス

 開業は「違った場を作る」という要素があります。そこには苦労もありますが、喜びや楽しみ、遣り甲斐もあります。地域に一歩踏み出せば、全く異なる世界があるんですよ。多様な現場性を味わうことなく、医師人生を終えるのは勿体ないです。私の場合は経済的には非常に苦しい時代が続きましたが、診療的にはこれまでにない充実感を得ることができています。何もかも一人で診る在宅医療は自らの診療能力を高めると同時に、周囲の介護サービスとの連携を構築したり、病院の主治医の先生とのカンファレンスなど、学べることの多い分野です。是非、在宅医療にチャレンジしてみてください。


プライベートの過ごし方(開業後)

 12歳、10歳、8歳の子どもがいますので、子どもと遊ぶことが多いですね。海や山などのアウトドアに連れていっています。


タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

本郷ヒロクリニック
  院長 英 裕雄
  住所 〒113-0033
東京都文京区本郷3-17-11 Zビル2階
  医療設備 聴診器、血圧計、酸素飽和度測定器、ペンライト、心電図、Bladder Scan、central venus hyperarimentation、咽頭ファイバー、i-STAT、SONOSITE、処置セット、レントゲン、気管カニューレ、持続導尿、配置薬、各種注射薬、心エコーなどの在宅用医療機器
  スタッフ 50人(院長、常勤医師7人、非常勤医師13人、常勤看護師4人、非常勤看護師4人、理学療法士7人、MSW2人、常勤事務5人、アシスタントドライバー7人)
  物件形態 ビル診
  延べ床面積 約10坪
  敷地面積 約10坪
  開業資金 約300万円
  外来患者/日の変遷 外来は予約のみなので、ほぼ0人
在宅患者数は開業当初50人 → 3カ月後 50人 → 6カ月後 50人→現在50人
  URL http://www.hiro-clinic.com/

2012.10.01 掲載 (C)LinkStaff

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