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赤坂胃腸クリニック

村田博司 院長

村田博司 院長プロフィール

1956年に山口県下関市で生まれる。1984年に熊本大学を卒業後、熊本大学医学部附属病院第三内科に入局する。熊本大学医学部附属病院、三井大牟田病院(現 社会保険大牟田天領)病院)で研修を行う。1986年に渡米し、アルバートアインシュタイン医科大学に留学する。1986年に熊本大学医学部附属病院に勤務する。1990年に熊本大学医学部附属病院第三内科助手に就任する。1998年に半蔵門胃腸クリニックに勤務する。1999年11月に東京都港区に赤坂胃腸クリニックを開業する。2002年に現在地に移転を行う。
日本消化器内視鏡学会支部評議員・専門医・指導医、日本消化器病学会認定医、元熊本大学医学部非常勤講師など。著書に『腸が死んだら人は死ぬ』(ポプラ社)、『腸の病気で死なない6つの条件』(KADOKAWA)など。

 東京都港区赤坂は江戸時代に武家屋敷が多く建ち並んでいたという歴史を持っている。現在は繁華街から程近い高台にマンションや各国の大使館が集まる。TBSの本社や赤坂サカスなどの施設で賑わう一方、落ち着いた雰囲気の住宅街も広がっている。
赤坂胃腸クリニックは1999年に青山一丁目駅の近くで開業したクリニックであるが、2002年に東京メトロ千代田線の赤坂駅から徒歩5分ほどの場所に移転した。診療科目を消化器内科に特化し、上部、下部の内視鏡を完備している。村田博司院長による内視鏡検査や治療、丁寧な説明が評判を呼び、7カ月先まで予約が入っているという盛況ぶりである。
今月は赤坂胃腸クリニックの村田博司院長にお話を伺った。

開業に至るまで

◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 小学5年生の頃、原因不明の目眩に襲われて、山口の大学病院に2カ月ほど入院したんです。ありとあらゆる検査を受けましたが、はっきりとしたことは不明で、「血管の短絡によって脳内が虚血状態になって、目眩が起こるのではないか」という結論になりました。成長期でしたし、血管の数も増えるだろうということで、特に治療せずに退院しましたが、それから程なく目眩はなくなりました。
 この入院中に医師になろうと思った出来事が二つあります。一つは昨日まで一緒に遊んでいた、小児科に入院中の友達が急に亡くなったことに悔しさを覚えたことです。そして、もう一つは患者さんが主治医や看護師さんたちにお礼を言って退院していく姿を見たことでした。それで、小学校の卒業文集にも医師になりたいと書き、医学部入学を目指すようになりました。


◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 興味のあった科目は熱心に勉強したのですが、そうでもない科目に関してはそこそこの勉強で済ませていました。そういった科目もあったので、再試験を受けながら卒業に漕ぎつけ、国家試験に合格したという感じでしたね。


◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 絵を描くことが好きでしたので、美術部に入っていました。また、テニス同好会にも入っていましたから、趣味は絵画とテニスでした。


◆ 熊本大学の第三内科に入局されたのはどんな理由からですか。
 漠然と内科医になりたいと思っていたんです。それで、内科の中で神経、呼吸器、血液、循環器といった不得意な分野を除いていったら、第三内科しか残っていませんでした(笑)。第三内科はナンバー内科ですから守備範囲が広く、消化器、内分泌、腎臓を扱っていたのが魅力的でしたね。当時の佐藤辰男教授が美術部の顧問でいらしたことも大きかったです。


◆ 第三内科に入局されてみて、いかがでしたか。
 佐藤教授は好きなことを伸ばしてくれる先生でした。やりたいことを熱意を持って伝えたら、色々なことに挑戦させてくださいました。その中で、私は内視鏡をしたいという希望を持つようになりました。


◆ 内視鏡の魅力はどんなところにあったのでしょうか。
 内視鏡を用いると、診断と治療がとても分かりやすいんです。直接、自分の眼で病変を見ることができるうえに、良性か悪性かの判断が難しいときも、組織の一部を採取して顕微鏡で細胞を調べることができます。こんなにシンプルで、分かりやすい科目はないと思いましたね。今後は生活習慣病が増えていくだろうと言われていましたが、ほとんどの生活習慣病は血液検査と治療薬でコントロールしていきます。そうなると、医師の仕事はコンピューターに取って代わられるかもしれません。そこで、医師が必要とされる疾患は何かと考えて、行き着いたのが大腸だったんです。


◆ アメリカに留学されたのはどうしてですか。
 内視鏡のトレーニングをしたかったからです。2年目に行った三井大牟田病院では内視鏡を一人で任され、胃や大腸をしていたのですが、大腸は難しいんですね。スムーズに挿入できず、すぐに壁に当てたりしていました。当時、ニューヨークのアルバートアインシュタイン医科大学で大腸内視鏡の第一人者だった新谷弘実教授が遠い親戚ということもあり、渡米を決めました。そこで、勤務していた病院に休みが欲しいと申し出たところ、給料も出してくれるということでしたので、有り難かったですね。給料をアメリカでいただくとなるとデューティーが発生しますが、日本からの給料でしたから、アメリカでの立場は気楽です。ナイアガラやワシントンDCに旅行に行ったり、ヤンキースの観戦を楽しんだりしました(笑)。新谷教授からは大腸内視鏡のちょっとした手技のコツを教わりましたが、今でも役に立っています。


◆ 海外で内視鏡挿入法を指導してこられたのですね。
 帰国後は熊本大学医学部附属病院に帰任しました。大学病院には海外から多くの留学生が来ており、彼らが自国に戻っても関係が続いていました。ブラジル、ロシア、エジプトなどは大腸内視鏡の普及が遅れていたので、そういった国々に出向き、学会で講演をしたり、実技のワークショップを開いたりしてきました。大腸内視鏡の検査は日本では2万円程度しかかかりませんが、ブラジルでは10万円、アメリカでは20万円ほどになります。海外の病院はパブリックなものとプライベートなものがありますが、プライベートな病院には名医がいるんですね。日本では診療報酬の低さゆえに、若い医師がなかなか育たないのを残念に思っています。


◆ 半蔵門胃腸クリニックに勤務されたのはなぜですか。
 いわゆる雇われ院長のお話をいただいたからです。大学病院を辞めたので、新しい勤務先として選びました。経営者からは「3年で軌道に乗せろ」と言われていたのですが、1年で乗せることができました。


◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
 私は勤務医時代をほぼ大学病院だけで過ごしました。大学病院には外来、病棟、学生への講義、研修医や若手医師への教育、研究といった仕事があります。時間的には非常に忙しかったですね。開業後は診療だけになりますので、仕事量が5分の1になった気がします。


開業の契機・理由

◆ 開業の動機をお聞かせください。
 半蔵門胃腸クリニックを1年で軌道に乗せたので、熊本に帰って開業しようと考えました。半蔵門胃腸クリニックの患者さんに熊本出身の方がいらして、不動産関係のお仕事をされていたので、「熊本に物件はないでしょうか」と伺うと、その方が持っていらっしゃる赤坂のビルで開業してはどうかと言われたんです。東京は敷金や家賃が高いので躊躇したのですが、敷金はなしで、家賃も相場の3分の1でいいと言われ、しかも経営がうまくいくまでは据え置くとも言っていただいたので、その物件で開業することを決めました。そのビルは青山一丁目駅の近くにあり、物件は2階でした。以前は自由診療のクリニックが入っていたのですが、空き物件になっていたのです。その後、経営が安定してから、据え置いていただいた家賃を全てお支払いしました。


◆ 開業にあたっては内視鏡をメインにしようと考えていらっしゃったのですね。
内視鏡だけでやっていきたいと思いました。


◆ 開業までに、ご苦労された点はどんなことですか。
 半蔵門胃腸クリニックでは立ち上げや申請のときから携わっていましたので、開業の手続きなどは理解できていましたから、赤坂でもスムーズに開業できたと思います。私は大学病院の経験しかないので、本来は開業医に不向きなんです。大学病院の勤務医は病名をつけて、診療報酬に反映させることは苦手です。しかし、私には外来医長の経験があり、毎月2日間は徹夜でレセプトをチェックしていましたので、この病名なら、この検査をするといった流れを覚えていました。大学病院時代は嫌々やっていましたが、開業にあたっては役に立ちましたね。


◆ 医師会には入りましたか。
 半蔵門胃腸クリニックのときに千代田区医師会に入っていましたが、港区で開業するにあたっては入会をためらってしまいました。開業しても成功する自信がなかったですしね。それに、私は内視鏡メインのクリニックにしたいと考えていたので、医師会員に必須の当番医の日に内視鏡の患者さんにご迷惑をかけるのを避けたかったというのもあります。


◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
 私のほかは看護師が1人と事務スタッフが1人でした。半蔵門胃腸クリニックを退職していた人たちでしたので、スムーズに決まりました。


◆ 2002年に今の場所に移転されたのはどうしてですか。
 ビルを取り壊すことになり、立ち退きしなくてはいけなくなったからです。この場所は知り合いに頼んで、探していただきました。


◆ 移転先をご覧になっての第一印象はいかがでしたか。
 タクシーの運転手さんにはお馴染みである「赤坂五丁目交番」のそばでしたので、いい立地だという第一印象でしたね。ただ、以前は楽器店だった物件でしたので、大幅な改装が必要だと思いました。


◆ 移転にあたって、マーケティングはなさいましたか。
 全くしていません。最初の開業のときもマーケティングはしなかったんです。見ず知らずの街に開業したこともあって、当初は患者さんが少なかったですね。


◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 上部、下部の内視鏡をリースで揃えました。消化器内科の場合は胆石の患者さんもいらっしゃいますので、エコーも完備しました。そのほかは心電図ぐらいでしょうか。


◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
 都心部のクリニックは待合室が狭くなりがちで、待合室の椅子が堅いところが多いです。しかし、私は待合室を広くして、ゆったりした椅子を置きたいと考えていました。内視鏡検査や治療のあとで、リカバリーするためのスペースも作りました。ストレッチャーでそのままリカバリー室に入れるようになっています。テネシー州の病院でこういった設計を見て、いいなあと思っていたんですよ。リカバリースペースがないと、患者さんをすぐに起こして待合室に移ってもらわないといけませんから、良かったですね。都心にしては広い、50坪の物件を借りられたからこそ、できたことです。その代わり、院長室が狭くなってしまいました(笑)。


クリニックについて

◆ 診療内容をお聞かせください。
 内科、消化器内科です。内視鏡に特化していますので、プライマリケアはほとんど診ていません。ただ、私どもにカルテのある患者さんに関してはプライマリケアも診ています。


◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
 内視鏡に関しては辛くない検査と十分な説明を心がけています。リカバリー後に検査結果を説明し、1回の来院で済むようにしています。ポリープを切除する場合も先に説明し、「もし見つかったら切除しますか」と尋ねておきます。次の日がゴルフの患者さんであれば、「日を改めてお願いします」と言われますから、患者さんのご予定やニーズに合わせるためにも事前の説明は大事ですね。
がんの場合は病理検査の結果をお伝えしないといけませんが、電話でお話しすることがほとんどです。わざわざ仕事を抜けて来院されるのは申し訳ないものです。こういった電話は保険点数にならないので、経営的にはマイナスですが、自分が患者であれば電話で済むものは電話で十分ですから、患者さんにとってのプラスを考えています。


◆ 患者さんの層はいかがですか。
 男女の比率は半々です。30代から50代の方が多いですね。ただ、開業して15年が経ちましたので、60歳だった方も75歳になってしまいました(笑)。リピーターの方が多いのが特徴です。リピーターの方は病変が見つからなくなっていきますね。


◆ 健診はどのような内容で行っていらっしゃいますか。
 企業健診などはお受けしていません。レントゲンがありませんので、人間ドックもお受けできないんですよ。あくまでも内視鏡での検査がメインですが、検診で引っかかった方の治療も行っています。


◆ 病診連携については、いかがですか。
 患者さんが希望される病院が第一選択です。特にご希望がなく、「先生が知っているところにお願いします」と言われた場合は虎の門病院、国立がん研究センター中央病院、聖路加国際病院、がん研有明病院をご紹介することが多いです。


◆ 経営理念をお教えください。
 患者さんに「来て良かった」、「あの先生で良かった」という気持ちになっていただけるようなクリニックでありたいと思っています。


◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 事務長がリーダー的存在ですので、私が気づいたことを彼女に伝え、彼女から皆に共有するという形をとっています。スタッフ間の人間関係はとてもいいですね。食事会をよく開いていますし、社員旅行も毎年の行事です。経費で収めるために3泊程度しかできないのですが、これまでパリ、トルコ、ロンドンなどに行ってきました。今年はバルセロナに行く予定で、最近はスタッフ間で「Hora」と挨拶し合っています(笑)。


◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
 ホームページとビルの1階に看板を出しているだけです。患者さんがいらっしゃるようになったのはテレビに出演したり、雑誌で紹介していただいたことがきっかけだったように思います。その後は口コミがほとんどですね。お蔭様で7カ月先の予約までいただいており、予約開始日は電話が鳴り止みません。「嵐のチケットを取るより大変だった」と、お叱りを受けることもあります(笑)。


開業に向けてのアドバイス

 経営者としての自覚を持てるように努力することが大切です。利益を出すことよりも、職員を養い、そして職員の家族を養っている責任を実感しなくてはいけないと思います。私自身も金銭感覚や経営感覚が乏しかったのですが、開業医になるにあたって切り替えていきました。経済的な規模を十分に考えながらの開業準備を進めましょう。開業した先輩からコンサルタントを紹介してもらうと間違いがありません。
ほとんどの開業は何らかの繋がりのある土地でするものですが、私の場合は知らない場所で開業しましたので、地域の開業医の先生方との繋がりもありませんでした。でも、多くの先生方に助けていただきました。そこで、丁寧なお返事を差し上げたり、患者さんのフォローに努めましたので、また患者さんを紹介していただいたり、患者さんがほかの患者さんを紹介してくださったりしています。これから開業される方々には地域のコミュニティや地域の医師とのお付き合いを大事にしていただきたいです。

プライベートの過ごし方(開業後)

 患者さんに俳優やアーティストの方が多いので、観劇やコンサートに伺うのが楽しみです。楽屋にご挨拶にも行ったりしますね。スポーツジムにも通っていますし、飲みに行ったり、スポーツ観戦に行くこともあります。1日のスケジュールを見ると、開業して良かったなと実感します。

タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

赤坂胃腸クリニック
  院長 村田 博司
  住所 〒107-0052
東京都港区赤坂7-9-1 トーユー赤坂ビル6階
  医療設備 上部内視鏡、下部内視鏡、心電図、超音波、電子カルテなど。
  スタッフ 9人(院長、常勤臨床検査技師1人、常勤看護助手1人、事務長、非常勤事務5人)
  物件形態 ビル診
  延べ面積 50坪
  敷地面積 50坪
  開業資金 2,000万円
  外来患者/日の変遷 開業当初3人→3カ月後10人→6カ月後10人→現在20人
  URL http://www.hoyumedia.com/co/ag/akasaka/

2015.02.01 掲載 (C)LinkStaff

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